ロンドンの便器が教えてくれたこと

『I am not afraid of change 』

( 僕は変化を恐れない。)


僕は20代の前半に2年間ほどロンドンで生活をしていた。その2年の生活を終え日本へ帰国する飛行機の中でロンドンでの日々を振り返り、皮肉にも最後に書き綴った言葉がその言葉だった。そして8年の月日が流れ僕は再びロンドンを訪れた。



ロンドンは大きな変貌を遂げていた。8年という時の流れのスピードとその変化に僕は戸惑った。それはロンドンの街が自分が予測する8年という時の流れを遥かに越える変化だったからだ。10年前にロンドンで過ごし始めた時の僕のこの街の印象は、なんてゴミの多い街なんだろうというものだった。


人々はハンバーガーを食べた糟をポイッと街中で平気で捨て、タバコも吸いきってその辺りにポイッというのが当たり前に行われていた。それは若者だけの話しでなく、品の良さそうなおばあさんが飲み干したジュースの缶を電車の中でポイッと後ろに放り投げた姿を今でも覚えている。


それでは僕は『何故ロンドンの人はゴミをそんなに平気で捨てるの?』って疑問に思って数人に聞くと皆一様に『私らが奇麗にすると掃除する人の仕事がなくなるじゃない。それがロンドナー流よ!』と言われ衝撃を受けた。それ以来、僕も右に習えしてゴミをポイポイ捨てロンドンに溶け込んでいったのだった。



しかし当時のゴミの多い様子は見る影もなく街は奇麗に整っていた。それは中心街だけの話ではなく、僕が多くの時間を過ごしていたイーストと呼ばれる元々は治安はそんなに良くないエリアでさえも整然とし奇麗に掃除されていた。


当時のそのエリアは昼間から若者やホームレスがビールや酒を煽り、辺りでマリファナの匂いが漂い、バングラディッシュやインドからの移民の人も多かった為、様々な香辛料の香りが混ざり合い独特の匂いを醸し出していた。夜になればどこかしらで近隣に住むアーティストやDJ達の小さなパーティーが廃墟で行われてる音が聞こえてきたり、若者の喧嘩をする叫び声やビール瓶が割れる音が時折聞こえてくるそんな場所だった。治安の不安や汚さはあるけれど、其処には刺激的で面白い人々や場所が多くあった。


『その辺りの治安は公衆トイレを見て判断しろ』


という言葉がある通り、公衆便所なんてここを使う意味をなさないくらい汚く、何故だが便器にバットやヘルメットそれにバナナの皮やコンドームなど詰め込まれ、『トイレって何をする場所だっけ?』という疑問を呼び起こすカオスなトイレばかりだった。



そこにあったトイレさえも奇麗に整い8年の間に生まれ変わっていた。それはただトイレが奇麗に取り替えられたばかりという話ではなく、そこに住む人々の生活、ないし住んで居た人々自体が変わってしまっていた事を意味する。


その当時に同じようにトイレを奇麗にしたところで確実に便座を盗む奴がいたし、酔っぱらってトイレでセックスをしたり落書きをしたりゴミを捨てたりする奴ばかりで、トイレはあっという間にカオスになっていただろう。しかし今ではそんな事も起こりえない街になってしまったようだと僕は奇麗な便座を見つめノスタルジーを感じていた。


そんな奇麗な便座を見つめて感じていたのはノスタルジーだけではなく、同時に言葉では表せないような悲しみに似た切なさも感じていた。それは当時大好きだった彼女が数年ぶりにあったら凄く変わってしまった事に対する失望に近いかもしれない。


僕はその観光地化されたエリアを歩きながら『あいつのちょっ危なかしくてエキセントリックな部分が好きだったのに、、、。』とか『時折見せるあの純粋無垢な剥き出しの笑顔が好きだったのに、、、。』とかロンドンという昔の彼女の過去にすがり、新しいロンドンを受けられない状態でいた。


それほどまで当時のロンドン、特にイーストエリアのBRICKLANE, SHORDITCH, KINGSLAND ROAD, OLD STREETの少しばかり危なっかしくてでもとても刺激的で面白い人々が集まる場所が大好きだった。そのちょっと危険な香り漂わせ剥き出しの笑顔を時折見せてくれるその姿は、誰にでも変わらない笑顔を振りまく観光地になってしまっていた。生まれてこの方、自身や周りに対しても変化を求め続けてきた僕にとって、この変化に対してこれ程までショックを受けるとは思いもしない事だった。



ロンドンは2012年にオリンピックを迎え、それに向けて大きく変化をしていったのだ。


世界中から人々が訪れるその機会の為に、ロンドンは観光に力を入れて街を整えていった結果が今になる。当時のイーストのままであれば観光客は訪れにくい場所だったのに違いない。それと同時に家賃が高騰し、投資としての不動産もそのエリアに広がり、当時その場所に居た人達も引っ越しするしかないような状況に追い込まれたのだろう。


その為、以前街にあった個人が経営する店よりも大手資本が運営するチェーン店などが増え、もともとそこにあった味が薄まってしまって、過去の濃い味に慣れて親しんでいた若者達にしても、そこに残る意味さえも薄れてしまったのだろう。確かにそこは治安が良くて住みやすい町にはなったかもしれないけれど、僕が求めていた新しくて刺激的で特別なモノはもう生まれない街になってしまっていたのだ。


10年まであれだけアメリカ文化やコーヒーを毛嫌いしていたロンドンの人々も東京やニューヨークそれにアメリカに習う他のアジアの都市と同じようにスターバックスやコーヒーショップや大手資本チェーン店が立ち並びどことなく他の都市と似た風景になりつつあるように感じた。


SWINGING LONDONを始めパンクやモッズやヒッピー、ニューウェーブそして近年の世界的に広がるEDMブームに繋がるエレクトロクラッシュ等、過去様々な音楽やカウンターカルチャーを生み出してきたその土壌は何処へ行ってしまったのか。"クールブルトニア"と呼ばれたあのカッコイイ刺激的なロンドンは消えてしまったのだろうか。ロンドンナーに根付いていたアナーキーの精神もまたオリンピックとグローバルの波に押され薄れていってしまったのかもしれない。


それはこれからオリンピックを迎える東京にも同じように言える事かもしれない。確実に東京オリンピックで江戸の下町、東京の東側は生まれ変わる。このロンドンのように。でも決して東京、いや江戸としてのアイデンティティは失って欲しくないなと、その奇麗な便座を眺めながら思うのであった。


つづく。


<観光地化されたイーストロンドンの現在>








つづく、、、。


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