一番死にたくなる日、9月1日ー子どもたちに逃げ道を
今日から学校に行かなければいけない
カバンに筆記用具をつめながら、ため息をついた。
「朝ごはんやで~」というお母さんの声は聞こえるけど、頭の奥に重たいものがあるせいなのか、
耳をすーっと通過していくような感覚だ。
「また今日からあの屈辱を毎日味わわなければいけない」
いじめられっ子にとって二学期がはじまるというのは、いじめが再開するのと同じなのだ。
この再開というのがかなりキツイ。
変な話だが、「いじめられる感覚」を早く取り戻す必要があるのだ。
慣れると、
「大丈夫、こんなことやられても」「大丈夫、これで死ぬわけがないから」と自分を奮い立たせる言葉を、心の中にいじめられた瞬間に用意できるようになる。これでかなり自分が救われる。
そうしないと、いじめに飲み込まれて、心が壊れてしまう。自分の存在を自分が否定してしまうことになる。
だから、私は自分自身を見捨てないためにいじめられる感覚を取り戻すのに必死だったのだ。
セーフティネットのない学校生活
1990年代初頭。まだ不登校児童に対する理解もケアも今ほどはなかった。私も、学校に行く以外の選択肢なんて思いつかなかった。
「行きたくないけど行かなきゃいけないのが学校」だと思っていた。
でも、これ本当に危険な考え方だ。
「学校に行かない」という選択肢がないから、もう一つの選択肢は絶対に学校に行かないで済む方法しかなくなる。つまり「死ぬ」ということだ。
「学校に行かないなんんてありえない」と親が子どもに言い聞かせたら、「学校に行くか、死ぬか」という選択肢しかなくなる。
二学期が始まったばかりでは、いじめられる感覚を取り戻せない。それどころか、楽しい夏休みから地獄の日々に身を置かなければいけないのだ。
「こんな思いをするなら、死んだほうがマシだ」と考える子どもがいても、私は何も驚かない。
9月1日だからこそ、子どもに逃げ道を
内閣府「平成27年版自殺対策白書」によると、18歳以下の子どもが自殺をする数で最も多いのが9月1日である。
本当に、今日子どもを学校に行かせてもいいのか、子どもにも問うてみてほしい。
学校に行くか死ぬかしかない私であっても、時々学校を早退で逃げた。学校に行ったあと、親は仕事に出ていく。いったん学校に行きさえすれば、途中で逃げる。そう考えた。
そうやって、なんとか自分で逃げ道を作って学校に通い続けた。それでも年に数回しか早退していないが、早退という選択肢があると思っただけで、生きていけた。
いまはもっと、学校に行きたくない子どもに対するケアや制度が整ってきている。
どうか、せめて今日だけは子どもたちに「学校に行きたくない」という逃げ道を聞いてあげてください。今聞けば、子どもは今日失うかもしれなかった命が救われ、人生を取り戻せるかもしれません。
どうぞお願いいたします。
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