第16話:美しい愛溢れる瞳の理由とは

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インドで出会った美しい愛溢れる瞳の理由ー

少なからず、インド哲学や瞑想の実践で、私なりに理解できたこと。



私達の本質は、「愛と光」なのだ。



だから、自分の本質に近づけば、近づくほど、「愛と光」が瞳から溢れ出す。



自分を飾らず、何かになろうとせず、”フリ”をせず、かっこつけず、隠さず、ありのままの自分でいること。


ありのままの自分でいるというのは、自分に何も付け加えなくても、オッケーであると自分が自分を認めること。


自分に何の肩書がなくても、人に自慢できるような才能や得意なことがなくても、人に与えたり教えたりできるような知識やスキルがなくても、自分の価値をそのまま、まるごと受け入れること。


これに気づいたことで、私は長い、長い旅をひとつ終えた。約20年弱の旅を。


20歳で出発したオーストラリアからの世界放浪の旅のきっかけー


それは、誰かに「おまえ、これだけは他の人より知ってるとか、得意なこととか、大好きなことととか、何にもないの?」と言われたことだった。


そう言われて「何か他の人より、知識や得意なことを持たなきゃ、自分に価値がないんだ!」と思い込んでしまったのだ。


それから、私は、多くの国へ行き、たくさんの知識を身に着けた。”他の人よりも”何か突出したものを獲得するために。


でも、突っ走っていくほどに、私は自由と自分らしさを失っていった。

自然体で、リラックスした本来の自分から、どんどん遠のいていった。


「私は、このままじゃ、ダメなんだ」と、「自分に問題がある」前提で走りだしているもんだから、どんどん走れば走るほど、自分らしくなくなっていった。


でも、それも、必要な経験だったのかもしれない。それがなければ気づけなかったのだから。


瞑想をすると、ものすごい光を見たり、瞑想の後自分の顔を鏡で見ると、瞳が澄んでキラキラ光っていることがあるだろう。


インドで学んだ、私達の本質である「愛や光」に近づく方法は、

以前私が学んでいたような「足し算」の学びとは違い、「引き算」の学びだった。

「自分に問題がある」から、付け足し、付け足し・・・ではなく、元々「愛や光」である自分に戻るために、余計なものを削ぎ落としていくという全く逆のプロセス。


インドの人々に見た、瞳の奥から溢れ出す愛の光は、私の心を釘づけにして、インドに5年間も留まらせ、この学びに導いてくれたのだった。



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