女子大生が世界一周を仕事にする話「【ラオス】音楽とメコン川といろんな生き方」
■「流しってなんですか」
流しといえば台所のシンクしか思い浮かばない。このお皿流しにいれといて〜って具合に…これは名古屋弁かしら。流しという言葉すら知らなかった私が、それに出会ったのはビエンチャンでした。九州で生まれ、東京で活動していたけれど、いろいろな事情により、路上で弾き語りをしながら世界一周をすることになったというミュージシャン。
どうやらそんな感じの大きい男の人が私と入れ違いで、私が働くことになったカフェに来ていたらしく、オーナーのご夫婦の様子からとてもすてきな人柄なのだと思っていました。多分メコン川のナイトマーケットあたりで弾いてるはずだよ、と聞いて一度見に行ってみようかな、と考えていたときにその大きな男の人は昼にお店に現れたのでした。
「ある意味神」
と大きく書かれたTシャツを着て、水浴びでもしてきたのかというくらいの汗をかき、にこにこと笑うその大きな男の人が、どうも私が今までテレビで見てきた「ミュージシャン」とは重ならず、驚いたのと同時に興味を持ちました。今度お店でライブをすることになり、その話をしに来たのです。
わたしの仕事は朝の仕込みの手伝いと、お昼の営業だけだったので、その日の夜早速、メコン川のナイトマーケットへ彼の大きな背中を探しに行きました。どこからか聞こえるギターの音と歌声を頼りにナイトマーケットの中に入ると、あっさりと見つかったその人は、数人の日本人と一緒ににこにこ笑いながらビール片手にギターを弾いて歌っていました。
次の週にお店でライブをしたときには、日本人だけでなくいろいろな国のいろいろな人が集まってきて、音楽は本当に国境を越えるのだと実感しました。彼の書く歌詞はとても素敵で、それに乗る歌声はもっと素敵で、そしてじんわりと心に響いてくるのです。
彼の唄い方が好きでした。
歌詞で1番お気に入りのフレーズ。
「アレやコレ考えたって やってみなきゃお話になら無ぇ」
本当は彼女に振られて前を向こうとする男の人の唄だけれど、もがきながらも前を向こうと顔を上げる男の人の姿が何故か、もがきながら前に進もうとする自分に重なりました。今は考えたって考えたってわからないことだらけなんだから、とにかく行動してみるしかないのかもしれない。
このライブがきっかけで仲良くなり、このあとビエンチャンにいる間、別の場所であったライブに遊びに行ったり、一緒に少し観光したり、彼がお世話になっていたビエンチャン在住の方の家で最後に料理をつくったり(ちなみに慣れない食材で思った味を出すのが本当に難しくてわたしはますますオーナーご夫妻を尊敬することになるのでした)まるでお兄さんのようにその大きな背中をしばらく追いかけていました。
わかりやすい特技を持った彼に憧れたのかもしれません。将来の明確な目標があることがうらやましかったのかもしれません。その背中を追いかけながら、自分が旅をする意味や自分の将来が定まらないこと、よけい考えるようになりました。優しくて力強い音楽に浸りながら、すこしずつ私は思い詰めていきました。そんなもやもやが見破られたのか、ある日オーナーの旦那さんが私に言いました。
「別に分かりやすい武器だけが将来自分を助ける訳じゃないと思うよ。きっとそのうち自分にはこれかなっていうのが見つかるだろうから、そんなに焦らなくたっていいじゃない」
この言葉にどれだけ救われたか!
だったらこの好奇心を最大限発揮して、今こうして日本じゃない環境を存分に味わえる間にいろいろ見てみよう。いろいろ学んでみよう。いろいろ食べてみよう。おっと、すぐ食べ物の話になるんだから…
食べ物の話にそれたところで思い出したのが、「食べてみないとわからない」という話。あ、誰ですか今当たり前でしょ!ってツッコんだ人。ずいぶんと気が早いですね、説明させてください。
例えばここに10種類のチョコレートがあります。ちなみにチョコレートは私の大好物です。意外と女の子らしい一面もあるんだっていうアピール。で、そのチョコレートの中で、あなたが食べたことのあるチョコレートは2種類だけ。あとは初めて見るものという状況で、一番美味しいもの一つだけ選ぶとしたら、食べたことのないチョコレートは選べない。
もしかして知らないチョコレートのほうがとびきり美味しいかもしれない。友達に、あなたのおすすめはどれ?と聞かれても知っている範囲で答えることしかできない。という話。私の場合はですね、、
びっくりするくらい、就活以外のチョコレートを知らなかったから。知る機会もなかったから。それなら食べてこようと思った。
私は先駆者になりたかった。新しい生き方の先駆者に、なりたかった。世界一周することがもし誰かの価値や笑顔や幸せに変わって、その対価としてお金を得ることができたら。もしそれで旅の費用をプラスマイナス0にすることができたら。
不特定多数じゃなくて、たったひとりでいい。生き方に悩む誰かの人生を、ちょっとだけ、良い方向に変えるきっかけになれるかもしれない。
■さようなラオス
言いたかっただけ、これが。
ラオス滞在も二週間を超え、そろそろ次の目的地、バンコクへ行かなければならない日がやって来ました。このあと私は続編で書く(予定)のインドで行われる研修に参加することが決まっていたからです。バンコクからニューデリーまでの飛行機はすでに手配してあったので、バンコクで一泊してすぐにインドへ向かう予定になっていました。
ラオス滞在最終日は、お世話になったカフェの4階の部屋を大掃除。二週間のうちに、大してない自分の荷物もほとんどバックパックから出してしまっていたので、パッキングにも時間がかかりました。
お世話になったカフェのオーナーご夫婦にお礼を言い、ゆっくりとバスが出る場所まで歩きました。あっと言う間でしたが、二週間の間に私がピクルスの瓶をひっくり返してピクルスまみれの漬物ナッチャンになったことや、なんだか逆に迷惑ばかりかけたにも関わらず、毎日笑顔で接してくれた親切なお二人とスタッフのラオス人の女の子たちとのことが走馬灯のように頭を駆け巡り、あれ、わたしこのままメコン川渡ったらあの世へ行ってしまうんじゃないかしら。とにかくぎっしりと思い出が詰まっており、ろくに言葉を発することも出来ずに必死で涙を堪えて、後ろを振り返ることも出来ずにカフェをあとにしたのでした。
ラオスで過ごした二週間は、本当に私にとって大切な時間でした。
その日の宿のことや次の日の交通手段のことなど、考えなければならないことが減ったので、ラオスにいる間は自分自身のことや将来についてじっくりと考える時間ができました。カフェのオーナーのご夫婦も、日本語教師の方も、ラオスで私が出会った方の多くが、自分の仕事や自分のやっていることに誇りと責任と情熱を持っていました。私がそこまでの気持ちを持って打ち込めることは何なのかずっと考えていました。
ま、考えても分からないものは分からなかったんですど。なんなら、ラオスにいる間に、いろいろな人のお話を聞いて、ますます選択肢が増えて、ますます分からなくなりました。でも、分からなくたっていいのか、とも思えるようになりました。最初からラオスに住む!と決めていた人はいなかったからです。旅に出たのが就職活動をする前だったので、私はこの旅中に自分の人生を決めなきゃ!と少し焦りすぎていたようです。結局明確な答えはまだ出ませんでしたが、ひとつだけ目標ができました。オーナーのご夫婦のように、お互いのことを、そしてまわりの人たちのことを、大切にできる大人になること。
なんて言ったらお二人は顔を見合わせてちょっと照れながら笑うだろうか、びっくりした顔で謙遜するだろうか。
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