伝説のメイドインJAPANゲーム「スペースインベーダー」が世界を侵略した日【後編】

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前話: 伝説のメイドインJAPANゲーム「スペースインベーダー」が世界を侵略した日【前編】

「ブレイクアウト」を“崩し”にかかる


① 戦略の決定

さっそく西角は戦略を思案。

ブレイクアウトを超えるためには、

ブレイクアウトの面白さを取り入れた上に、オリジナル性を出すことが重要だと考えた。


ブレイクアウトの面白さは、やはりターゲットを一つずつ消していき、最後の一つを消した時のあの爽快感だ。


次に、ブレイクアウトには無いオリジナル性の部分だが、

これは「CPUを駆使した撃ち合い」だと考えた。



ブレイクアウトでは、プレイヤーが一方的にブロックを崩すだけ。たまに跳ね返ってくるものの、それは自分が放った玉であって、受けても問題はない。

これを”当たってはいけない相手からの攻撃にしようと考えた。



さらに、これまでのゲームでは敵から攻撃されることはあっても、

敵から「狙われる」ことはなかった。

「プレイヤーの位置をコンピューターが認識して選択的に攻撃をしかけてくる」

今では、当たり前となったこの仕組みだが、この時代にはなかった。

西角はCPUを使い敵キャラが自分を狙ってくるようした。



・ブロック崩しの爽快感

・コンピュータが意思をもったように攻撃してくる

この2点を打倒「ブレイクアウト」のポイントとした。

しかし、大きな問題が一つ。構想が浮かんだのはいいのだが、これを開発するためのツールが無い。



② 開発環境構築

コンピューターのプログラム記憶装置には、EPROMというものを使う。(当時)

そのEPROMに、ロムライター(いわば、電卓を大きくしたようなもの)を使ってプログラムを書き込んでいく。パソコンに比べるとすこぶる使いづらいのだが、まあなんとかなった。問題は書き”直す”時だった。


2016年の今は、タイプミスがあれば、WindowsならBackspace、MacならDELETEキー、スマホならx印のついた矢印でちょんちょんと誤字を消して、保存しなおせばいい。

しかし、当時はそんなわけにもいかない。

EPROMに一度書き込んだプログラムの消去方法はただひとつ、太陽光(= 紫外線)。


ゲームをプログラミングしている時、プログラムにミスがあるとわかれば、手のひらに基板を載せ、青空のもと腕をかかげ、太陽の光を当てる。頬には風を感じる。なんとも微笑ましい光景だが、一刻も早く開発を進めたい開発者にとっては、絶望的な光景だった。

もちろん、太陽光の代わりに紫外線照射器等を使ってもいい。曇りの日でも対応できる。しかし、どちらにせよ、作業効率は悪かった。


西角
(データの書き替えに紫外線が必要な)EPROMを使っていると、開発に何年かかるかわからない……


そこで西角は、ゲームボードを改造して、EPROM部分をRAM(ランダムアクセスメモリー)というすぐにデータを書き替えられるものに変更した。

当時のRAMは容量が小さく、西角の構想通りのゲームを創るためには、大量のRAMへの保存が必要。しかし、大量のRAMに効率よくデータを保存するツールは存在していない。そこで、RAMに効率よくデータを保存するツールも作った。


ゲーム開発中に、新たな開発ツールが必要になったら、一旦開発を中断し、そのツールを作成する。

ツールが出来上がったらまた開発に戻る。もちろん、その中で、あらゆる種類のバグ(不具合)も発生しているので、バグの種類に応じて、バグを取るプログラムも追加する。


すべて通しで作っていたわけではなく、必要に応じて、順次、新しい機能を付け足していった。


西角
やったぞ!ようやくここまで来た。


と思ったつかの間、


西角
全部消えた……。



何日もかけて書き上げたプログラムが、一瞬にして吹き飛ぶこともあった。当時のRAMが、とびきり静電気に弱かったのが原因だった。これにはさすがに参ったので、苦心した挙句、カセットテープ・レコーダーを接続して、そこにデ-タをセーブすることに。これで不慮のデータ喪失を防げるようになった。


一歩一歩、トライandエラーを重ねながら、少しずつ開発が進んでいった。

そうして、ゲームの基本的な部分、

「敵からの攻撃を避けながら、ボタンを押してミサイルを放って敵機を撃墜する。そして、撃墜した分だけ点数が加えられる」という、構想していたゲームの大枠が形になってきた。


③ キャラクター


さあ、次はキャラクターだ。

まず、キャラクターを描画するツールがそもそもなかったので、ライトペンを使ったキャラクター開発ユニットを自作した。西角は当時、「必要だから自分で作った」という意識しかなかったが、今ではこのようなペン型入力デバイスが、ゲーム業界で幅広く使われている。


描画ツールができたので、次はキャラクターデザインを決める。


まず「ブレイクアウト」のように標的となる敵キャラクターの数を決める。画面サイズとキャラクターの想定サイズから、縦11x横5の計55体とした。いろいろなデザインを作成し、55体をモニターに映しながら、どのデザインのキャラクターのハマりがいいか、テストを重ねていく。

戦車、戦艦、飛行機など、いろいろと表示して動かしてみるが、どれもスッキリしないまま時間ばかりが過ぎていく。最終的に、兵隊を表示してみたら動きもスムースでとてもいい感じに仕上がった。



しかし、周囲からは、

「デスレース」の件もあるから、人間を標的にして撃つのは良くないんじゃないか

と言われた。


「デスレース」とは、アメリカのゲーム開発会社「エキシディ」が開発して、当時アメリカ国内でヒットしたアーケードゲーム。(※ DeathRace、1977年)

プレイヤーは「死神」となって、ハンドル、アクセル、シフトレバーで車を操作する。「死神」は画面内の人型のキャラクターを車で撥ね、その撥ねた数を競いあう。

人型とはいえ、エキシディ社としては「人ではなくグレムリンと言う名前の伝承上の生物」と抗弁したが、世界で初めてゲームに残虐な要素を取り入れ、社会的非難を浴びたレーシングゲームだ。


西角
そう言えば、コーガン社長も以前から人を撃つようなゲームは好まないと言っていたなあ。

この兵隊キャラを諦めよう。

すっぱりと兵隊キャラクターは止めた。


西角
撃っても問題ないキャラクターデザインか…...


その頃といえば、世間ではスター・ウォーズ※の映画第1作が話題になっており、日本での上映も翌年に控えている頃。(※「スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望」 1977年 アメリカ公開)


西角
この映画をキッカケに、これから宇宙ブームになるのでは。......宇宙人なら撃っても問題ないぞ。

早速、宇宙にいそうなモンスター風のキャラを描いて動かしてみると、とてもスムースな動きだった。

西角
これだっ!


テーマは宇宙にすることになった。


タコ、イカ、カニ、キャラクターの創作の原点はあの名作から


テーマが宇宙と決まったので、今度は宇宙にいそうなモンスターキャラの、具体的なデザインが必要だ。


宇宙ものと言えば、西角が子供の頃に観た映画「宇宙戦争※」 が鮮烈に蘇ってきた。(※ 1953年製作 監督 ジョージ・パル / 原作 イギリスの作家H.Gウェルズ)

西角
『宇宙戦争』に出てくる火星人はタコのような形をしている。人類が描く、すべての宇宙人イメージの原型と言っても差し支えないだろう。

「宇宙戦争」のタコのような火星人のイメージをメインのキャラクターに決めて、それをドットで表すことにした。ひとつはタコなので、あとは海の生き物をいろいろ考え最終的にイカとカニに決定。大きさもそれぞれ違って変化を持たすことができると考えた。



    写真は当時西角が実際に使っていたスケッチブック








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