世界旅後手持ち300ドル、家族も友人・恋人、時間もお金もすべて失い失意のまま帰国したバックパッカーが自分の夢を叶えてきた記録(17)

涙が止まらない。日本に帰らなきゃ。

「私、なんでこうなってしまったのかわからない」

泣きじゃくるケイシーの隣で煙をふかしながら、アラウィは静かに言いました。

「・・君は、悪くない。でもね、今の君にとって一番いいのは、自分の国に帰るべきなんだと思う」

ダウンタウンの一角、ビルの三階にある薄暗いプレイステーションカフェの中では大きな液晶画面にかじりつきながらサッカーゲームを必死にしている友達の叫び声が聞こえます。

夜風を浴びるために人二人分のスペースしかないベランダに出たケイシーとアラウィは、シーシャを吸いながら静かにぽつりぽつりと話しています。仕事を終えてきたばかりのケイシーとアラウィはお互いに少しぐったりとして、プラスチックの椅子に膝をかかえてもたれかかり真っ黒な星空を見上げていました。

ケイシーは、自分が異国の地ヨルダンで自立して仕事をしてこそ、彼も彼の家族も支えていける。今は彼一人が支えている家族も、皆でひっくるめて幸せになれると思っていました。それがまさか、自分の独り相撲に終わるなどとほんのひと月前には思いもしなかったのです。

「私、疲れちゃたよ。ひとの一言で私の運命があがったり、さがったり、何が真実で、何が嘘なのかも、もうわからない」

プラスチックの堅い背にもたれかかりながらぽつりとこぼすとアラウィは静かに水たばこの煙を夜空に向かって吐き出しました。

「この国では皆本音を話さない。僕は今のショップで十二年働いているけど、いまだに皆の言っていることを信用していない」

彼は二十四歳という若さですでに世の中に疲れた風な言い方をしました。いえ、もしかするとそれはケイシーの自身のことだったのかもしれません。

二人はしばらくそうして無言のままシーシャを吸い、夜も更けると彼はケイシーをタクシーに乗せて寮まで送り届けてくれたのでした。

・インド洋を眺めながら

スリランカの首都、コロンボでのトランジット時間は十八時間もありました。そこでスリランカ航空の空港カウンターへ行くと受付のお姉さんが快くトランジット時間中の滞在ホテルバウチャーを発行してくれたのです。

係りの案内に従って空港の外へ出ると、そこはむわっとした東南アジアの空気に包まれていました。風は小さく生ぬるく、ケイシーの頬を撫でてゆきなんともいえない脱力感が双肩を襲ってきます。

ああ、ひさしぶりだ、この感覚・・・

ケイシーは思考の定まらない頭の中でそう感じました。ヨルダンのアンマンクイーンアリア国際空港からアブダビ空港を経て、スリランカのコロンボまでやってくるのに二十時間近くもかかりました。その間、ケイシーはずっと泣きっぱなしで心も体もぐったりとしてしまっていたのです。

ヨルダンからひと飛びずつ飛行機が遠のいてゆくたびに、ヨルダンで仲良くしていた友人の顔や好きだった店が思い浮かび、そういったいろいろな思い出がするすると心の中からどこか遠くへと奪われてゆくような心地がしていました。

コロンボの空港は早朝にも関わらずそんなケイシーの心の内など知らない陽気な観光ガイドやタクシー運転手、うきうきとした観光客カップルにあふれ、その誰もが目の前にいるのにも関わらずケイシーからは程遠い存在なのでした。

「スリランカ半日周遊コースなんて、どう?」

首にレイをかけた観光案内ガイドがカウンターの中から陽気に話しかけてくるのにも反応できず、そのままホテル行のバンに乗りこむとバスは出発しました。

土を固めただけの道路は雨による陥没もあり、バスはゆるゆると前に進みます。道路の両脇には南国らしい大ぶりの草木が生い茂り、たまにちらほらと行きかう住民の女性が腰にバティック調の布を巻いていたり、頭の上に籠を乗せて何かフルーツ衣服みたいなものを運んでいるのでした。

はあ、と一息のため息をつくとケイシーは目を閉じました。

開け放した窓から外の風が吹き込んできて、頬の上をぬるりとまとわりつくようにして飛び去ってゆきました。

「具合でも悪いのかい?」

悩み事などなさそうな気のいい運転手が、後部座席に座るケイシーに向かって聞いてきます。

「いいえ、別に」

普段なら楽しい現地人との交流も、心の余裕があってこそなのだと気が付きました。それだけ、ケイシーの心の中は大きな風穴が開いたかのような喪失感でいっぱいなのでした。

バンガロー風のこじゃれたゲストハウスにチェックインすると、夜中のフライトまでまだ十時間もあります。水シャワーをさっと浴びるとやることがなくなってしまったので、気を紛らわせるためにぺたぺたと近くの海岸に向かって歩き出しました。

土を固めた道は少しでこぼことして歩きにくくはありましたが、その素朴さは少しだけ、ケイシーの心を癒してくれました。

南国の大きな葉をつけた木々の間をかき分けてビーチに足を踏み入れると、ただ広く地平線までつながりそうな大きな海と茶色がかった砂浜が現れます。地元の子供が数人で汚れたゴムボールを蹴りまわし、数組の観光客らしい小ぎれいな恰好をした西洋人カップルと、彼らに話しかけている上半身裸でボロボロのジーンズを履いた地元の青年が波打ち際近くに見えます。その青年は片腕に何本もネックレスらしきものを通し、それをただ売り歩いているようでした。

ケイシーは近くにあった平たい岩の上に腰かけると、もうだいぶ高くまで登りつつある輝くばかりの太陽と、太陽に照らされキラキラと波間を輝かせる海を眺めています。

「ベリー・チープ」

ふと顔を横に向けると、さっき西洋人カップルに話しかけていた青年がすぐ脇に立っていました。腕にずらりと並べ下げた不揃いなビーズのネックレスをケイシーの目の前に差し出します。

「ごめん、いまそんな気分じゃなくて。・・・ひとりにしてもらますか?」

ありったけの力を振り絞って、それだけ言うと青年は伝わったのか伝わらなかったのか大きな二重瞼をぱちくりとさせてから、海の中の藻屑のようにまたゆらゆらと長い手足を操って波打ち際のほうに向かってゆきました。

ほう、と小さなため息をつくと、ヨルダンでの半年間のことがまるで夢の中の出来事だったかのように頭の中を駆け抜けてゆきます。

仕事を失いビザも切れ、住むところもなく貯金も使い果たしたケイシーは、恋人ともお別れしてシェフとして働いた給与、三百ドルだけを握りしめてこれから日本に帰国するのです。

なぜ自分だけがこんな目に、とケイシーはぼんやりとした頭の中で思いました。外の世界は、そんなケイシーの心の中とは打って変わって明るくのびやかに見え時間が無常に過ぎ去ってゆくのをただただ呆然として観察しているような気持ちです。

ミスターイマドの言葉がふと、思い出されました。

「君は強くならなくてはならない。強くなって、ここに戻ってくるんだよ。君は何にも守られずにここへ来た。だからいけなかったんだ。」

ケイシーの日本行き航空券をジェマールが手配してくれたことは驚きでした。彼にも良心の呵責があったということなのでしょうか。

ふと、悪いのは誰でもなかったのかもしれない、という不思議な思いが首をもたげました。

ジェマールの行動も、ケイシーの行動も、お互いに悪気があって起こしたことではありませんでした。ただ、そんな何気ない行動が重なって、こんな結果になってしまっただけなのかもしれません。

「強くなる・・・」

ケイシーは口の中で小さくその言葉を反芻していました。

目の前に大きく広がるインド洋ははるか日本までつながり、さらにその反対側には遠く中東ヨルダンまでもつながっているのだと感じました。

きらきらと波間に反射する太陽の光に目を細めながら、ケイシーはそこに何かの答えが見つかるような気がしてじっと目を凝らし続けているのでした。


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