『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第2章「走り回る2年目」

前話: 『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第1章「始まりの年」
次話: 『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第3章「売り込み事始め」

その1「気が付くとライターを兼ねていた」

活動を初めて2年目。
イラスト面でも挿絵の仕事が色々入って来ると共に
思いがけなく始めたライター業の方も、少しずつ
軌道に乗り始めました。
ライターも初めの内は、取材の手順がわからず
文章も直しが多くて大変でしたが、慣れてくると
多少効率も良くなり、ひと月に書ける枚数も
増えてきました。

また取材先では色々な人に知り合えたり、時には
お土産も頂けたりして「ライターって楽しい職業だな」と
素直に喜んでいた時期でもありました。

けれど楽しいだけでは済まされないのが、世の中です。
紙面に斬新な記事を描き、人々の関心を得るためには
色々な苦労話がつきものでした。
例えば、これは別の編集プロダクションであった話ですが
某雑誌社で「このオイルがダイエットに効く」という特集を
企画した時、その証拠物件を集める指令が出だそうです。
でもなかなか証拠(効果)が集まらない。

だけど事実がなくとも、何とか取材先の相手に「うん」と
言って頂かなくては記事が書けません。
そんなある日、出来上がった雑誌に知り合いのライターさんの
写真が「雑誌の読者」と言う形で掲載されていました。
しかも「このオイル、ダイエットに効きました」と言うコメント付で。
名前は…偽名です。

気がついた私が、「これ、どうしたの?」と問うと
「だってこのオイルがダイエットに効いたと言う証言は
結局何処からも得られなかったから(仕方なく私が載ったの)」
と言われました。
私が所属していたところでは、そう言う事はありませんでしたが
実際にはそんな眉根をひそめる様な、裏話もありました。

それまでは私も雑誌が好きで、色々買っては読んでいましたが
読む側から書く側になると、あれこれ見えてきて
少し興ざめです。
なのでこのライター時代は、あまり雑誌を読まなくなりました。
仮に読んでも、情報を参考にはするけれど鵜呑みにはしないなど、
どこか予防線を張る様にもなりました。
ただ変な裏話は多々ありましたが、本当に地道に取材を重ねて
真実を描きあげた信用出来る記事も、世の中にはちゃんと
存在しています。なので雑誌も一概に「信じられない」もしくは
「信じられる」と決めつけては、いけないとも思うのです。
そんな自分の目と頭で判断する事を学べた、ライター修行時代でした。



その2「漫画の連載が始まる」

人間、勢いのある時は本当に色々な話が舞い込みます。
ライター活動の次は「起業向け情報誌に、漫画を連載
してみない?」と、編プロの社長さんから声がかかりました。
漫画か…。
同じ絵と言っても、イラストと漫画とでは大分技法が異なります。
技法どころか、ストーリーも作らなくてはいけません。
正直「描けるかな?」と言う不安が先に来ました。
それでも「やってみます」と引き受けたのは、やはり若気の至り。
好奇心のなせる、無鉄砲さからです。

こうして1997年の4月から98年の10月までの、
約1年半にわたって隔月発売の雑誌に、
毎回8ページの漫画を掲載しました。
内容は経理にまつわる物語でしたが、私に経理が
わかるわけもなく、色々な資料からネタを引き出したり、
経理業務に携わっている友人に相談しながら、
毎回書き上げていました。

編集部の監修が入るとはいえ、元々はその雑誌の
余っているページを埋める事が目的だったので、
アイデアも描き方も、かなり自由が利きました。

この頃は本当に勢いがあったため、このような感じで
通常のイラスト仕事の他にも、様々な分野から
次々に仕事が舞い込みました。
人生、動き始める時って周囲を巻き込むエネルギーが
すごいのかもしれません。社会に出たばかりのまだ未熟な私に、
この好景気です。
「イラストレーターの仕事って、強く願って努力をすれば、
何とかなるものなんだな。人生も総じてきっとそうじゃないかしら」と
そんな事を単純に思っても、不思議ではありませんでした。
でも、人生そうそう上手くは進みませんでした。



その3「一進一退しながら学んでいく」

ライターや漫画など、このころは本職とは随分ずれた事を
していましたが、イラストの仕事も順調にこなしていました。
とは言え、まだまだ経験は浅いです。
お仕事を頂くたびに、色々な壁や失敗にぶち当たり、毎日が
「勉強勉強、また勉強」と言う状態でした。

でもそう言う経験を積めたのも、編プロが仕事を
取ってくれたお陰でした。当時を振り返ると、
駆け出しの頃にこんなに色々学べたり、試せる機会を
与えられた事が、その後どれだけ役に立ったか知れません。
そう考えると、ありがたく幸せなスタートでした。

例えば、高齢者向け雑誌の仕事をした時の事。
出来上がった雑誌をめくってみると、提出した原画よりも
うんと少ない枚数しか掲載されていなかったり、
実際に描いた原画よりも、大きく拡大されて載っていたり
した事がありました。
紙面の都合でそう言う事態になった時、通常は
事前に連絡があるものなのですが、この時は事後報告。
本屋さんで出来上がった雑誌を開いて初めて知り、
衝撃を受けました。

ちなみにイラストの原画は縮小すると線が綺麗に
出るので、それほど問題はありませんが
逆に拡大すると線が荒くて汚くなってしまいます。
「お年寄りは眼が悪いので大きくしました。掲載した枚数は
少なくても、実際に描いて頂いた分だけお支払いします」とは
言われましたが…やはり色々と残念です。
「挿絵ってパパッと簡単に描けるモノと言う、軽い認識なのかな」
と、そんな世間とのギャップに悩みました。

しかしこのような経験を経て、「原稿を描く時は、指定された
サイズよりも少し大きめに描いて、縮小して貰う方が無難だな」
とか「そうした方が自分も描きやすくて良いかも」と、
少しずつコツもつかめてきました。転んでも、ただでは起きません。
それに悔しく苦い経験の方が、しっかり身につきます。

ちなみにこの時の原稿料は、グロスで
6枚1万2000円ほどでした。
「グロス」の意味は定かではありませんが、多分
「まとめて」という感覚でしょうか。
イラストの料金設定には「一枚いくらで」と言う場合もあれば、
「何枚描いても、この料金(予算)内で」という場合があります。
そう言う時は「〇〇枚をグロス4000円でお願いします」と
言われたりしました。

ちなみにグロス依頼は枚数で割ると、すごく安い場合が
ほとんどです。それは先方の予算にもよるので
仕方がないのですが、でも「えーっ、安い。どうしようかなぁ」
などと言ったら、私の立場では二度と仕事は貰えなくなります。
だからいつも笑顔で「大丈夫ですよ」と受け答えました。
顔で笑って心で泣いて。
でもそうやって堪えて快諾してきた割には、次につながった
仕事は少なかった様に思います。やはり一度は駄々をこねて
「いくらなんでも、こりゃ安いよ!バカにして!」と抗議しても
良かったのかも?
でもたとえ冗談でも、それが言えたら苦労はしないんですけどね。



その4「仕事の目標。気持ちがすれ違う時」

頂いたお仕事を効率よくこなすため、この年の秋に
パソコンを購入しました。
とは言え、この当時(1997年ごろ)はまだ一般家庭に
パソコンはそれほど浸透していませんでした。
なのでイラストレーターの間でも、大半が手描き作業で
入稿も郵便局に行って原画を郵送したり、バイク便などを使って
送っていた人が多かったように思います。
要するに、イラストの仕事だけならまだ必要ではなかった
パソコンですが、私が購入したのは「ライターの仕事をするため」
でした。

ちなみに当時はまだワープロ全盛期でした。
なので文字を打つだけなら、ワープロでも良かったのですが
時代の流れに対して、先見の明があった事務所の社長さんが
「どうせ買うなら、これからはパソコンの方が良いわよ」と
勧めてくれたため、機械音痴の私が思いがけず、
ハイテクな物を買う事になりました。

そして早い時期にパソコンを購入したことで、イラストの方面でも
仕事の効率がグッと上昇しました。先方に原画を送らずとも、
自宅で原稿をスキャンしてメールで送れるようになったので、
深夜に作品が完成してもすぐに対応できるし
先方に送った原画を紛失される、と言う事態もなくなりました。

このような感じで、仕事の事から個人的な買い物まで
多岐に渡って私に色々な情報を与えて、背中を押してくれた
編プロでしたが、この年の秋ぐらいから少しずつお互いの
考え方にズレが生じてきました。

またその頃はプライベートな面でも、仕事が忙しかった
両親の代わりに、ずっと私を育ててくれた祖母が亡くなったり
また親しかった同級生が突然の事故でこの世を去るなど、
非常にショックな出来事が相次ぎました。
そのため、ひどく落ち込み、内に籠って悩む日々が続きました。
そうなると今までの様に、勢いだけでどんどん駆け上がって
いく雰囲気は払しょくされて、逆に「私の描きたい世界ってなんだろう」
と、自分のスタンスや作品の方向性について、考えだしました。

そんな私に対し、事務所側は「どんな作品でも仕事になればよい」と
言うように、徹底してビジネス面での効率を考えていました。
それは事務所としては当然の考え方でした。
例えば少々品がない絵でも、面白ければそれでいいし
イラストレーターは色々なタッチが描けた方が、それだけ
仕事の幅も広がるから良いと言う考え方は、非常に
効率的であり、ある意味正論です。

確かにイラストレーターは、画家と違って「商業絵描き」と
言われる事もあるぐらい、仕事依頼が来て初めて
成り立つ職業です。「私のタッチはこれで、世界観はこうで…」
などと言う風に、変にこだわっていたら、なかなか仕事は
来ないかもしれません。
だから極端な話、来た依頼に上手く適応した絵の描ける人が、
良いイラストレーターと言えるのかもしれない。

でもなんとなく私は、与えられた仕事のカットだけを
描き続ける作業に対して「これが本当に自分のやりたい
仕事だったのかな。描きたいものだったのかな?」と言う
疑問を抱いてしまいました。
「もっと、自分の個性を出したい。何か、伝えることがあるはずだ」と。

そんな私と、事務所側とのズレは少しずつ
大きくなっていきましたが、それでも仕事が次々にやって来る
とても忙しい時期だったので、まだしばらくは事務所のスタッフさんや、
他のライターさん達と一緒に頑張って、働く日々が続きました。
けれど事務所から離れる日は、思いの外あっさりと
やって来ました。


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