【 あなたが思う、世界最高の成功とはなんですか?】小学4年生まで泳げなかった私がたった1年で学校代表選手に選ばれた話
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>あなたが思う、
世界最高の成功とはなんですか?
幼少時代の私は、母に甘えてばかりで、
父がオモチャを買ってくれないと
オモチャ売り場で泣いて暴れる子供でした。
保育園の参観日、
はじめてのドッヂボール大会では、
みんなの標的になり、
泣いてばかりの弱い男の子でした。
みんなからボールを当てられ
泣き続ける私を見て
1番に悲しんだのは母でした。
母は情けなくて
涙が止まらなかったそうです。
保育園でいつも
女の子に泣かされていた私は、
先生から
『 しんちゃん、
もっと強くなって!! 』
と、よく言われていました。
いつも泣いてばかりいた私は、
保育園の先生を守れる男になったら、
先生と結婚をすると約束をしましたが、
弱虫な私は小学校でも弱虫でした。。
勉強ダメ、運動ダメ、、、
学芸会の演劇では、
おむすびや家来の役で、
セリフなんてありませんでした。。。
何をやってもダメな私は
特に水泳が嫌いでした、、、
なぜ、
そんなに水泳が
嫌いだったのかというと、
プールで顔を水につけられない
私とは正反対に、
2つ年下で運動神経抜群の妹が
水泳で上級生を
圧倒させていたからです。
小学4年生の時、
そんな私に転機が訪れました。
私が初めて
学校の水泳大会に参加したのは
小学4年生の夏でした。
私は、
《 5メートル以下 》
という種目に出場しました。
その種目は、
まったく泳げない4人の子供が、
どれだけ泳げるかという、とくに
競いあうわけでもない内容でした。
私は4人の子供の中で
圧倒的にビリでした。
他の3人は5メートルどころか、
10メートル以上、
15メートル以上、
20メートル泳ぐ子もいました。
大人の世界でも同じことが言えますが、
いくらできなくても、
できないなりに頑張っていれば、
まわりから応援されるものです。
その子達も泳げないなりに
がむしゃらに頑張って泳いだのです。
先生や他の生徒が必死で
その3人を応援したのは当然のことです。
誰からも応援されなかった私は、
2メートルも
泳げたか泳げなかったか、、、
顔に付いた水を
必死で振り払う姿を見た担任の先生は
情けなくて仕方がなかったそうです。
私の妹は、
まだ小学2年生だというのに
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