32歳で「ものかき」として生きていくと決めた。会社を辞め、東京を離れ、33歳になった僕は今、こんな風に生きています。
髄膜炎になり、一ヶ月ほどの療養が必要だと診断され、もう限界だと判断しました。
そして、それを機に会社を辞め、東京を離れたのです。
それまでの僕は、東京から離れることは逃げることだと思っていたところがありました。
しかし、それは意味のない意地でしかなかったことに気づいたのです。
別に、生きている場所が東京でなければいけない理由なんて、どこにもないのです。
自分らしく生きることができているかが何よりも重要であって、自分らしく生きることもできていないのに、東京の暮らしにわざわざしがみつく必要など、どこにもなかったのです。
それはゆるやかな自死であって、自らの人生を積極的に生きることではない。
アイデンティティーは場所に宿るものではなく、己の精神の内側に宿るもの。
そのように悟りました。
そして、自分には帰るべき故郷がある。
僕は東京を離れ、地元を拠点に、もっと自由に生きてみようと思いました。
そして、消えかけていた「ものかき」としての生き方を、改めて模索してみようと思ったのです。
ライターとして本格稼働。気づけば変わっていた環境。
会社を辞めた後、しばらく療養して、仕事をはじめました。
新卒の頃に働いていた会社の先輩がコンテンツマーケティング・ウェブ制作の代理店を立ち上げたので、代理店専属のウェブライターをやることにしました。
チャットワークとスカイプさえあれば出社する必要もなく、先輩たちがとってきた案件を、在宅で記事執筆して、必要な時だけ東京に行って取材をすればいい。
地元での自由な時間を持てるので、これまでゆっくり過ごすことができなかった母親や父親との家族の時間がたっぷり取れることも魅力でした。
取材インタビュー記事の制作や、クライアントが持つウェブメディア掲載用の記事を依頼を受けては書き、今ではウェブメディア立ち上げの記事制作をまるまる任せてもらえるような状態にまでなりました。
そして最近になって、以前の会社で働いていた頃よりもはるかに少ない工数で、会社にいた頃よりもまとまった金額の報酬を得ることができるようになってきました。
もちろん繁忙期は毎日何かしら仕事をしていますが、自宅や好きな場所で仕事ができるし、一緒に動く代理店も昔の会社の先輩なので気兼ねなくコミュニケーションが取れます。
何よりも時間の自由がきくため、身体の健康も維持でき、本当にありがたい環境だといえます。
今月には自宅も事務所として利用できるように改装し、ライター家業を続けていく拠点をつくることができました。
ここまで止まることなく動いてきたので、自分をとりまく環境がいつの間にか、180度変わっていることに、自分自身でははっきりと気づくことができませんでした。
しかし、久しぶりに会う友人が自分の近況に興味を持ってくれたり、SNSで応援メッセージをくれたり、「そういう生き方が羨ましい」「自分の人生を思いっきり生きているよね」というような言葉をかけてくれる新しい仲間が少しずつ増えていくなかで、ふと気づいたのです。
僕はもしかすると、自分の思い描いていたライフスタイルを実現しているのかもしれない、と。
自分のやりたいことが何かを見定め、後悔しないようにまっすぐに歩んできた結果、僕は一年も経たないうちに、ある程度環境を整えることができたのです。
失敗だらけの20代を生きてきた自分にとって、これは大きな発見でした。
33歳になって、やっと僕は、自分の人生を生き始めたのかもしれません。
まだまだ志なかば。これから実現していきたいこと。

32歳で「ものかき」になると決めた僕は、33歳になった今、こんな風に生きています。
仕事が面白くなり、東京の導線と地元の拠点が整い、家族にも感謝の気持ちを伝えることができました。
これまでの人生の中で、今がいちばん自由で、幸せだと感じています。
しかし、まだまだ志なかば。
僕が今やっている仕事は、あくまでも商用の「ものかき」です。
もちろん、文章を扱うのだから「ものかき」であることに変わりはありません。
プロフェッショナルとして確固たる誇りを持って取り組んでいかなくてはなりません。
ただ、僕が今、食い扶持として書いている文章は、時代の流れの中で消費されていく文章であり、僕自身の名前やアイデンティティーがクレジットされるようなものではありません。
だからこそ、これからは、僕自身の名前がクレジットされるオリジナルの文章や表現方法で、この世界になにか良い影響を残していきたい。
それが、これからの僕の「ものかき」としての目標になります。
僕はずっと昔から、時代の流れの中で洗練され、長く残る文章に心惹かれてきました。
あるいは、今の時代にはもう、100年残るような文章を書くことは難しいのかもしれません。
しかし、僕はその可能性を諦めたくはないのです。なぜならば、これは一度っきりの人生だから。
もしかしたら、僕は明日には、なんらかの事故で死んでしまうかもしれません。
あるいはこの世界は、一週間後には巨大な力に破壊され、あっけなく消えてしまうかもしれません。
いつなんどき、終わりがきてもおかしくないのがこの世界です。死ねば終わり。
この世界で当たり前とされている物事は、いつなくなってもおかしくない、儚く脆いものなのです。
だからこそ、今を真摯に生きて、一秒も見逃さずに前を見て、この人生を生きてみたい。
鍛え上げてきた死生観と、今この瞬間を生きることへの真摯さと、過去に舐めてきた辛酸の数には、少々の自信があります。
これから、「ものかき」として自分の納得のいくアウトプットを創っていきたいと思っています。
エッセイや小説といった表現方法のみならず、もっと新しい表現方法も挑戦してみたい。
それらは、今後の僕の活動を見ていただいて、ぜひとも楽しんでいただければ幸いです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
皆様に、なんらかの気づきと、閃きがありますよう。
狭井悠(Sai Haruka)
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