口下手童貞少年、ナンバーワンホストになる ⑤ 崖っぷち編
それだけ毎日キャッチをしていても、なかなか結果は出なかった。
店に来てくれる子はいるのだが、やはり2回目となると話は別だった・・・。
キャバクラやスナックでも一緒だと思うが、やはり高いお金を払ってお酒を飲むのであれば、洗練されていて、なおかつかわいい子の方がいい。
その時の私にはまだ2万、3万といった金額を使うのに値しないホストだったのであろう。
毎日の営業では、もちろんお酒を飲んでいる。
その頃になると私は営業終了後に店でそのまま寝たり寮で寝たりして、起きてから寮で風呂に入り、キャッチに行くというライフスタイルになっており、実家には帰らなくなっていた。
しこたまお酒を飲んで、それから電車に乗って帰り、また昼に起きて・・というのは無理だった。
スーツも1着しか持っていない。
週6日勤務で1着なのでやはり店で寝たりなどしていたら、休みの前々日ぐらいにはシワシワになっていた。
今思い返せば見苦しかっただろう。
そんな生活スタイルだったが、ガムシャラだった。
もちろん保証期間が終わるというのも理由にはあったが、
自分の中で頑張っているものを形として・・
結果として出さないとみんなに認めてもらえない・・・
結果が出なかったら、こんなに頑張っている事が意味を無くしてしまう、
と思っていた。
そうした考えもあって、キャッチの仕方も考えた。
人に聞いたり参考にして、慣れた頃には、Mさんと一緒にヘルスの近くで待機して女の子が出勤してくるのを待ったり、ヘルスから出てくる女の子をキャッチしたりするようになっていた。
ヘルスから出て来たら99%ヘルスの子だからだ。
もちろんあまり店の目の前だと、ボーイなどの店員に注意されるので、少し遠目の場所で待機。
女の子が出てきたら、店舗から離れた所あたりで必殺
「ニーハオ。」
である。
(だいぶ先の話ではあるが、店から出た女の子に声をかけていたら、
ヤ○ザっぽい人のキャデラックに轢かれそうになった。
おそらくヤ○ザさんの彼氏がいたのであろう。)
今思えば女の子からしたら迷惑な話だったであろう・・・。
しかしこっちも必死だった。
売上0円になったら、給料0円になるという現実・・。
・・・それと、
「自分は頑張ったんだ」
という自分に対しての証明も欲しかった・・。
完全売上制になった時の事を考えると、
OLや一般の仕事の子が月に一回来てくれるという程度では、申し訳ないが到底意味がなかった。
月一回に2,3万の売上では携帯代金も払えない。
そうなると、やはり風俗の子しかいなかった。
OLと比べれば、収入が違う。
その上風俗の子は日銭が入るので、
(今日お金を使っても、また明日稼げばいいか。)
という感覚を持っている子もやはり多かった。
月一回の給料の暮らしをしていては、こういう考えにはならない。
日銭が入ると、やはり財布の紐も緩くなるのであろう。
当初の目的である、「女」という事に関して言えば、
キャッチが出来る様になっただけでも大した進歩であった。
だけどその時の私はナンパが出来る様になった喜びなど忘れていた。
ナンパが出来る様になりたい、かわいい女と話したい、
という目的などとっくに達成していた。
それどころか
女性がお金を使ってくれるような男になる、
そしてお金を使ってくれる女性を手当たり次第に探す
という、
普通の仕事をしていたのであれば必要もないレベルを求める様になっていた。
勇気を出したあの日から……すでに何かが変わりつつあった。
そんな日々を送っていた最中に、Tさんも辞めた。Tさんの場合は、もともと週3ぐらいの出勤だったので、店側からしてもそんなに重要視をしていなかったのであろう。
今月いっぱいで辞めますという話をちゃんと伝え、円満退社であった。Tさんも、短いホスト人生だったが、Tさん指名のお客さんはできないままの終焉だった。
T「K、俺は今日で辞めるけど、頑張れよ!」
私「はい!本当にありがとうございました!やれる所まで頑張ってみます。」
入店当初は、本当にTさんのおかげで不安な気持ちが和らいだ。
入店初日に優しく接してくれたのはSさんとTさんだった。
ひょっとしたら、お客さんが出来ずにいる人間同士で、お客さんができない現実を紛らわせていたのかもしれない。
「ホストでは生活が成り立たないので辞める」
という、TさんやSさんのような人間は、夢見て入店してくるホスト達の中で特別な事ではなく、なんでもない日常だった。
みんなそれぞれの思いで踏み出した一歩だったであろう。
もちろん様々な仕事が世の中にはあり、
その中で際立ってホストという職業が特殊だとは思わない。
だが、初めの門を叩くにはそれなりの理由がないと、その一歩を踏み出しにくい職業ではあると思う。
自分で決め、勇気を出して踏み出した一歩の結果が出ず、店を去る気持ちは無念であったであろう。
私はまだ、あの堤防で黄昏る日々には戻りたくなかった。
ホストという仕事をして、
自分を指名してくれるお客さんがいないまま辞めるのは、
世の中に自分の価値を認めてくれる人間がいない様な気がしていたからだ。
・・・そしてまた、アイスと水をセットするのが忙しくなった。
Tさんが辞めた頃にはもう、3月終盤になっていた。
3月といえば人が色々動く時期である。Bも例外ではなく、新しい従業員が3名程入ってきた。
大学生スポーツ学科在籍の傍らバイトとして働くJUさん、
著者の健二 井出さんに人生相談を申込む
著者の健二 井出さんにメッセージを送る
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