子供に伝えたい、学歴が必要な本当の理由

著者: Fuji Yama

高校中退、海外放浪、MBA取得を経て、外資系企業の本社にてグローバルディレクターとして勤務する中で感じた「学歴が必要な本当の理由」をお伝えします。

日本側の職場に迷惑がかかる可能性があるため、特定される可能性のある内容には少し加工を加えますが、基本的には事実に基づいて記載していきます。

私自身は、高校を半年ほどで中退した後、日雇い肉体労働、夜の商売、海外放浪、留学、派遣勤務、ITエンジニア、経営企画職への抜擢、MBA取得やマネジメントを経て、現在はグローバルなIT企業の本社で世界10か国にまたがる数十名のチームをマネージしています。ハーバード大学やオックスフォード大学等、世界のトップスクールを卒業した方々と仕事をしていることから、高学歴であるが故のメリットや、学歴が無くても通用するエリアについても考えるきっかけとなりました。

いわゆる中卒としての社会経験と、その後MBAホルダーとしての生活や環境の違いから得られた経験を通して、なぜ学歴が必要/不要なのか、どのようにして環境が変えられるのか、日本と海外との相違点といった内容にも触れていきたいと思います。

また、これからお話しする内容は、私自身が2児の父として子供に伝えていきたい事でもあります。中高生の頃に知っておきたかったことや、進路を決める上で必要だった知識など、失敗を通じて身をもって覚えてきたことをお話しすることで、少しでも将来を選択する際の参考になればと考えています。

尚、これからお話しする内容は、私が中卒から外資系企業のディレクターになるまでのサクセスストーリーや自伝ではありません。私自身が現在も未熟で発展途上であり、今後もどのように変化するか分からないため、学歴についての所感を記述するうえで必要なバックグラウンドのみ記載させて頂きます。


1. 中卒―高卒―大卒
2. 世の中の仕組みと正しい知識
3. 環境の違いと人脈の広がり
4. 学歴=海外へのパスポート
5. 年収とサラリーマンの天井


1. 中卒―高卒―大卒

1997年の秋、新宿から北千住へ向かう電車の中で、私は激しい眩暈と腹痛に襲われその場に座り込みました。15歳、肉体労働と栄養不足がたたり、心身ともに限界を迎えた瞬間でした。いわゆる日雇いの派遣労働者として社会人デビューを果たし、多重派遣の下で日当6千円を得ていました。

駅の医務室で休ませて頂き、体調がいくらか良くなった頃に当時利用していたPHSで派遣元へ謝罪の連絡をしたところ、当時事務をしていた社長夫人に、嘘つき、クズ、最低とひたすら罵倒された後、「今後一切仕事は無い」と一方的に電話を切られました。

ここが私の原点となります。

高校を中退して上京した私は、引っ越し屋、工場勤務、日雇い労働などを通じて、「少しでも体が楽で日給の高い職場」を求めて点々としました。無論保証は何もなく、風呂の無いアパートでの夢にまで見たひとり暮らしでした。

その後肉体労働に限界があることを悟り、いわくつきの水商売の店で働くこととなります。

月給は40万円程度まで上昇しましたが、休憩室に転がる血まみれのシャツ、指の無い方からの叱咤など、それまでの学生生活や日雇い労働からは考えられない経験がありましたが、実のところ「面白い」と感じて充実していました。

高級寿司店へ連れて行って頂いたり、綺麗な方とお話しをすることが多かったり、華やかな生活に浮かれ、地元に帰った際に同級生に自慢気に高校中退の面白さを語っていたことを覚えています。

しかし、警察による摘発などで同業店が閉店したことをきっかけに、真剣に人生の転換を考えるようになりました。当時16歳になった私は、年齢を詐称して働いていたのです。

警察の摘発があれば店にもお世話になった方にも多大な迷惑がかかると知り、勇気を振り絞り退職の意向を伝えました。いわゆる堅気の方では無かったため、それなりの覚悟をしていましたが、「知ってたよ。このまま自分で道を決めて進み、困ったらいつでも戻ってこい」と言われ、目頭が熱くなりました。

その後この方とはお会いできていません。風の便りで刑務所へ長期間入所されたとも聞きましたが、連絡先も本名も分からない為、おそらく今後もお会いすることはないかと思います。

 これが、中卒・無資格で私の経験した職歴です。エントリーシートの書き方、企業の選考、人脈、保証やキャリアパスといったことも全く知識がないばかりか、正社員としての一歩の踏み出し方すら分かりませんでした。

また、どちらの仕事も大きなリスクがありました。冒頭の肉体労働では、体が資本となり、後者では好待遇に引っ張られて「それ以外の仕事ができなくなる」という大きな足枷があるように感じました。数か月という短い間ではありましたが、100万円程度の貯蓄を基に、英語を学ぶために渡米することを決意していました。

 アメリカへ渡った私は初日から大きな試練に直面しました。英語が全く話せず、あてにしていたユースホステルが満室だったこともあり、野宿をすることとなったのです。当時のニューヨークの街はまだ危険が多く、鉄パイプのような物を持った方を車窓から見ることもしばしばありましたが、比較的安全そうなダウンタウンの大通りを見つけ、バックパックを抱えて一夜を過ごしました。

東海岸、西海岸と放浪する中で、サンフランシスコでUCバークレーで勉強する方にお会いしました。当時16歳だった浮浪者のような風貌の私を部屋へ招き入れ、数日間の宿と温かいご飯をご馳走して頂き、色々とお話しをさせて頂きました。

「お前はもっと勉強をして世界を見ろ、勉強は楽しい、世界には色々な人がいる、知識をつけたい人が集まる場では出会いが広がり、可能性が広がる」というアドバイスを頂き、それまでの両親や先生のどんな説明よりもスッと腹落ちしたことを覚えています。

彼のアドバイスを受けて、数か月の放浪の間に狂ったように英語を勉強しました。朝から夕方までユースホステルの共同エリアで中学校レベルの単語と会話をひたすら書き取り、夜になれば誰彼構わず宿泊客と食事を共にすることで、ようやく日常生活のできるレベルの英語が身に付きました。
(冒頭の写真はこの時のものです)

帰国後、実家に帰り両親に頭を下げ、学資保険から学費を出してもらえることとなりました。生活費は現地のアルバイトで賄いつつ、おおよそ3年間の高校/カレッジ生活を経て、中卒からかろうじてカレッジ卒業となりましたが、4年生の大学ではなかったため、依然として大卒のプロセスに乗ることはできませんでした。

高卒同等の資格 + 英語でのアカデミックな会話ができるようになると、帰国後一気に職種が広がりました。20歳、派遣事務に登録し、IT関係の企業の派遣社員として勤めることとなりました。

この時の職場環境の雲泥の差に、多少困惑した覚えがあります。

相変わらずの時給働きではありましたが、有給休暇といった権利が与えられ、9時から5時までの決まった時間の勤務だけでも肉体労働の倍程度の給与が頂けました。クライアントも大手の外資系企業だったため充実感があり、名刺交換の仕方や挨拶、各種ビジネスツールの利用方法やキャリアパスまで、企業での業務について基本的なことを学ぶことができました。

つまり、高等/短大卒業+一定の資格や語学力を得ることで、社会的に認められ、将来のキャリアパスを考えることができるようになったのです。

ITは未経験でしたが、PCの自作、ホームページ作成やオフィス関連ソフトの勉強などを行うと、契約社員に登用され、20名程度の派遣社員さんの管理を任されるようになりました。

 当時お会いする同年代は、概ね大卒の正社員の方でした。10年以上の就学期間を過ごし、必要な単位をとり、就職氷河期と言われる時期を乗り越えてきた方々でしたが、「絶対にこの会社に入りたかった」または「この仕事がしたかった」という方は皆無で、入社後にやりがいを見つけてキャリアアップしていくことが一般的でした。

正社員には契約社員や派遣社員と全く異なる環境が与えられており、先輩からのアドバイスをもらう機会、社員での集まり、経営層とのコミュニケーション、キャリア相談、資格補助、団体保険、冠婚葬祭のサポートなど、より長期的な視点でのサポートがあります。

こうした違いは中高生の間には全く触れる事がなく、「安定している」という言葉でくくられて説明がありました。就職を考える際に初めて比較検討する方が多いのではないかと思います。私も今では面接をする立場となりましたが、中卒または高卒で実務経歴の無い方を採用することはありません。知識、職歴、スキル、人づてに聞く評価や人柄、学歴などから少なくとも数点突出したところがある方でなければ、書類選考のタイミングで外れてしまうのです。

また、偏差値の高い大学に入ることで、選択肢や条件が大きく広がっていきますが、これは人脈との兼ね合いも含め後ほどお話ししたいと思います。


さらに数年後、もう一つの転機が訪れました。転職です。


当時のクライアントさんからお声がけ頂いたこともあり、退職を決断しました。しかし、当時の現職への後ろめたさから、いくつか他の企業も視野に入れて検討する中で、別の外資系のIT企業が目に留まりました。

幸い20代中盤だったこともあり、未経験ではありましたが運用部門へ入社することができました。

ここで大きく異なったのは、好きでこの仕事を選び入社される方の多さです。国内トップクラスの工業大学や、修士を持っている方も多かったことから、知識のギャップに圧倒されました。0と1の電気信号がどのように通信やアプリケーションを動かしているか、より効率よく制御するにはどのような構成が良いのかなど、頭を突き合わせて議論するうちに、すっかり夢中になり、いくつか数百時間単位の勉強が必要とされる資格を取ることもできました。

さらに、複数の部門をまたぐプロジェクトへの参画を通じてビジネス部門とのやりとりが増えます。営業企画、マーケティング、社長室などとも話をする機会が増え、いくつかプロジェクトを進める中で、経営企画部門から正式に異動のオファーを頂きました。

運用部門から企画部門への異動には運が大きく左右しますし、海外ではこうした異動は殆どありません。後に当時の日本法人の社長から聞き知ったのですが、私は運用部門に在籍する中で、「中途入社」から「第二新卒」へレールが切り替わっていたそうです。

一般的に、「中途採用」の場合にはすでに役割や仕事が決まっており、この仕事を遂行するために予算が割り当てられるため、基本的に異動という考え方はありません。しかし、「第二新卒」枠の場合には新入社員同様にチャンスがあれば他部門への転籍を通じて色々な経験をさせる考え方が出てきます。

これも、職業選択を行う際に誰かに教えてもらうことはありませんでしたが、MBAの科目となっているOrganisation Behaviourを学ぶ中でキャリア開発の考え方を知ることができました。

経営企画関連の部門には優秀な方が数多く在籍していました。

MITやUCLA、東大や早慶といった名門大学を卒業された方、INSEADやロンドンビジネススクールなどのビジネススクールやロースクールを卒業された方などが集まり、国際環境の中でクリエイティブな仕事をしていました。

基本的に「これは出来ないだろう」という発想が無く、「どうすれば出来るか」を考え、人脈と時間とリソースを使い、驚くような仕掛けを次々と生み出していくメンバーを横目に、彼らの頭の中の構造が知りたいと強く考えるようになりました。

当時の上司はマッキンゼー出身で、マネジメントの生みの親と言われるPeter Drucker氏に直接師事されており、私のキャリアについて真剣にアドバイスをしてくれました。質の良いビジネス書をとにかく沢山読むこと、MBAを取得するのであればトップスクールへ通うこと、人・物・金の考え方からエクセルやパワーポイントの効果的な使い方まで、目から鱗の内容ばかりで、キャッチアップするために人一倍働き、勉強しました。

ここで、大きな壁に直面します。

ある程度の役職に就くうえで、「○○大学/大学院卒業」というパブリックプロフィールが必要となるのです。これはどこかに明示されている訳でも決まり事として存在している訳でもなく、漠然と存在します。

一つ目の理由として、株主や上長に対して「この人に要職を任せる」という打診をする際、「一定のフレームワークやビジネスの仕組みを理解している」という証明になるからです。また、グローバルで部下を持つ際に「同じ土俵で話ができる」ことの説明にもなります。

有名大学やビジネススクールを卒業するメリットとして分かったことは、

1) 各分野で活躍する人との深いつながりが構築される

2)任命責任を果たすための説明がしやすい

3)著名な教授からの質の良い教育が受けられる

という3点でした。

これらの中で、幸いにも1については職場やプライベートな繋がりで賄えそうでした。3については読書を通じて自力でなんとかなりそうですが、2については全く想像もしていなかったため、通信教育で、働きながらビジネススクールへ通うことにしました。

そして、その後ビジネススクールでの教育やアジア・ヨーロッパでの海外勤務を通じてさらに知らなかった世の中の仕組みが見えてくることになりますが、、

週末が終わってしまうため、読んで頂ける方が多ければ続きを書くことにしたいと思います。PRや仕様書を書くことはありますが、あまり文才がある方ではないため読み辛い点はご容赦頂ければと思います。長文でしたがありがとうございました!


2.       世の中の仕組みと正しい知識

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