保育園の中にある宝もの(あやちゃんの場合)
あやちゃんは、年少組に進級した3歳。2つ上年長組にお兄ちゃんのりょうた君がいる。ママは、クリッとした大きな目が印象的なりょうた君が、自分にもよく似た面立ちなので、かわいくて仕方ない。「もう、りょうた! チョロチョロしないの!」と言いながら、にこにこしていることが多い。一方、あやちゃんは、とてもしっかりもの。パパ似なのか、切れ長の目で、口をきっと結んでいるのが印象的だ。だから、クラスでは、お世話係のように、担任のみか先生の片付けを手伝ったり、いたずらする男子をたしなめたりしている。
ある日のこと、そんなあやちゃんが、お友達とおままごとの皿の取り合いになり、いつもなら、「いいよ」と譲るところが、「いやだ! わたしの」と大きな声で言いながら、泣きだした。あわててみか先生が駆け寄り、「あやちゃん、どうしたの?」と声をかけた。取り合っていたお友達も、泣きだしたのをきっかけに手をひっこめて立ち尽くしている。あやちゃんの泣き声は、どんどん大きくなり、泣きじゃくって、鼻水が鼻から出たりひっこんだりしている。みか先生が背中をなでながら、「このお皿、あやちゃんが使いたかったんだね。
」とやさしく声をかけるが、おさまる気配がない。隣のお部屋から主任の先生もやってきた。「どうしたの?」としゃがみこんで声をかけると、あやちゃんは、主任の先生に唾をはいた。幸い、先生の顔の手前で唾は、床に落ちていったが、みか先生も主任の先生もびっくりしたまま、顔を見合わせてしまった。「嫌い、嫌い、みんな大嫌い!」と叫ぶ、」あやちゃん。
その日を境に、あやちゃんは、人が変わったように、これまではひとりでできていたお着換えも、「できない!」と言ってしなくなり、みんなが遊んで積みあげた積み木を壊したりするようになった。みか先生が「お友達が作ったものを壊しちゃだめよ」と注意すると「あーあーあー」と大声を出して、保育士の声をかき消すようにして、耳を手で押さえて聞かないような仕草をする。クラスのお部屋から、ランチルームへの移動も、前だったら、みか先生と一緒に先頭に立って移動して、配膳のお手伝いをしてくれていたあやちゃんだったが、クラスのお部屋の片隅に座ったままで、移動しようとしないことが多く、みか先生が抱っこして連れていくようになった。トイレで排便ができるようになっていたのに、オムツに逆戻り。
朝夕の送迎の折に、みか先生がママにおうちでの様子を聞こうと呼び止めるが、「すみません、今日は、時間がないので!」とすぐに帰ってしまう。たまりかねて、みか先生は園長先生に相談。園長先生からお電話をしていただき、面談をすることになった。
面談に来たのは、ママ。「ああ、わたし、あんまり、あやのこと、かわいいと思えないんですよ」と。「自分の子だからって、全員かわいいと思えるとは限らないじゃないですか。りょうたは、かわいいと思ってますけど。」ママは、率直すぎる思いをストレートにハスキーな声で言った。「最近、何か変わったことがありましたか?」との問いに、「あ、わたし、もう少ししたら離婚するんです。再婚もしますけど。で、ダンナが出てったんで、いろいろバタバタしちゃってて。なんか、あやは、ダンナに似てるからなぁ、顔も、することも。ちょっとイライラするっていうか」園長先生は、やさしく強い口調で、もっともらしいことをママをお話ししてくれたけど、どれくらい、このママに伝わっているのか。みか先生は、自分の胸に冷たい風が吹き荒れるような寒さを感じていた。あやちゃんは、何も悪くないのに。
面談が終わり、帰り際。兄のりょうた君が、ママの腰に手をまわしながら甘えているのを、一歩下がったところで、あやちゃんが見つめている。みか先生がそっと近づくと「今日の晩御飯は、カレーだって。ママのカレー、すっごくおいしいんだよ」と教えてくれた。「いいなぁ、カレー。先生も大好きなんだぁ」と言いながら、みか先生は、あやちゃんをぎゅっと抱きしめた。どんなママでも、その子にとっては、大好きなママ。たったひとりのママ。
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