落ちこぼれボク、グランプリ受賞までのキセキ!〜異星人ボクと宇宙人母さん〜 挑戦編
4)ビジネスプラングランプリに挑戦
★★「うちの子には、別の選択肢がある」という親
ボクも、なんとか無事に高校3年生に進級することができた。
半年間、ほとんど勉強らしい勉強はしていない。
友人たちは、早々に進路を決めていた。
でも、残念ながら、ボクにはない。話についていけず、あせりは日に日に強くなる。
そして迎えた、進路を決める三者面談の日。
恐れていたことが現実になった。
「先生、確かに大学進学も選択の一つだとは思います。でも、うちの子は、他のお子さんとは、少し異なった時間を過ごしてきています。そうすると、当然ながら別の選択肢もあると思っていますが、いかがでしょうか」
あちゃー、ついに親の本音がでちゃった。
大学進学は、ボクが、目的を見つけてからでも遅くないと考えているということ。
人生は、目的を持って、自分で築き上げていくものだということ。
目的も目標も持たずに大学へ入り、社会に出てからも自分の能力を発揮できず苦労をしている人たちがたくさんいること。
そして、ここ半年ほどは、日々病気を治すことしか考えておらず、取り組んできたことも「回復と完治」することを最優先したため、勉強どころではなかったこと。
そのために、オンライン授業を受けながら、いっそのこと世界を旅して自分のことを考える時間を持っても良いのかと思っていること、などなど。
次々と出るわ出るわ、あのちっぽけな体のどこから、そんなパワーとアイデアが出てくるのか。あんまりにも考え方が、ボクとは違いすぎてついていけない。
担任が自分の進学の話をした。その中で、奨学金で大学に入ったと聞いた時、ボクの中で何かが弾けた。
『ならば、恵まれていない人たちのために、何か手助けできることはないのだろうか』
先月、知人から聴いた、建物や衣類などの生活用品に使われている化学物質によって病気、化学物質過敏症、で苦しんでいる同世代の若者の存在がふと頭の中をよぎった。彼らの役に立つことをAO入試のテーマにしてチャレンジするのはどうだろう?
彼らも、ボクと同じように治療法が確立されておらず、化学物質がない環境で生活をすること以外に方法がないと聞いた。
いつの間にかに話が終っていた。
結論はAO入試にチャレンジすることだった。
でも、まさか夏休み明けすぐに、あっけなく、この決定が覆される事態が起こるなんて、担任は想像していただろうか?
何せうちは。
「全てが規格外」なので、そういうものなんだと、思ってもらうしかない。
★★「学校側は一切協力しない」を条件に応募
三者面談が終わった後、夏休みにピッタリな講座を探していたボクに、一つの面白いものがあると、親が教えくれた。
それが、「gaccoの『高校生対象夏休み特別開講』ビジネスプランをつくってみよう」という授業だ。
「夏休みに取り組むのには、ちょうどいいかもよ」と、相変わらず受験には無関心な親のセリフに、半ばあきれつつも少し面白味を感じたボクは、早速調べてみることにする。
説明書きには「ビジネスの究極の目的は、より良い社会を作り、社会の課題を解決すること」とある。
8月から始まった授業は、毎回復習テストがあり、何度も聞きなおしながら無事クリアー。せっかく取り組むんだから、毎回100点をとれるように取り組むことにした。
やっぱり満点というのは、見ていても気分がいい。
授業の聴講が終わると、PC画面にデカデカと
「日本政策金融公庫主催、第3回高校生ビジネスプラン・グランプリ」への応募の案内が表示された。対象は「高校生」!
ボクも、応募できるのかなぁ?
気になって、読み進むと、ボクも該当していることがわかった。
ネタは・・・ある!
「化学物質過敏症の生徒たち」の存在だ!
自分の力では、何もできない病で苦しんでいる彼らの気持ちは、ボクにはわかる。
そして、「なんとかできないか?」ということを、三者面談以来、ずーっと考え続けていた。
読めば読むほど、興味深い。
それまでは、「働く=公務員か、サラリーマンか、自営業」ということしか認識がなかった。
ところが、親が自分で事業を起こして仕事をするという姿をみて、そういう発想がボクには全くなかった。転職といえば、大抵は自分の知識や経験を生かすこと。つまりは同じフィールド内での移動としか考えなかった。だから、安定した職を手放す親の気持ちも、理由も、全く理解ができなかった。ボクにとって、「働く」ということを考える上で、意味不明な考えを持ち、実際に行動をとる親は、既存概念を全てぶっ壊してくれるいい鏡でもある。
そのうえ、難関が立ちふさがった。それは「応募条件」だった。
事務局の人に「学校を通じて応募することが条件です」と、言われたその瞬間、ボクは頭の中が真っ白になった。
翌日、悪い予感は的中した。予想通り、担任からコテンパに言い負かされた。
「お母さんとお話をしたい」と言われ、思わずため息しかでない。
翌朝、担任に言われた通り、親から学校へ連絡をし、
「学校側は一切協力しない」という条件つきで応募は認められた。友人らの話によると、「職員会議では、ほぼ満場一致で反対」だったことを、後で知る。
学校始まって以来、前代未聞の爆弾宣言だったらしい。
★★関係官公庁へ何十回も電話攻撃
応募を決めた後も、課題は山積だ。
何せ、誰もが認める「『超』人見知りのけいたくん」である!
大人と話をした経験もごく限られた人たちだけ。ほとんどゼロに近い。
でも、今回は300%の勇気を振り絞って、チャレンジすることができた。
学校のテスト休み期間を利用して、何十回も関係官公庁へ電話攻撃をする。
どの機関も、暇な人はいないであろうことは十分わかる。
しかし、これまで出会ってきた、親切丁寧な大人たちとは180度異なる対応に、ボクは毎回戸惑うばかりだった。
予め、質問書を作り、ネットで下調べをした上で、わからないところだけを教えてもらうために電話をするが、返ってくる言葉は意味不明なグレーな回答ばかり。
少しでも突っ込んだ質問を投げると、「関係部門と上司に確認をした上で、こちらから回答をします」と、その電話は終わる。
まるで、判を押したような答えを何度も聞かされる。
でも、ボクはあきらめたくなかった。
施設や服、備品、食品などに使われている化学物質のために化学物質過敏症を発症し、学校どころか、外出すらできず、病で苦しんでいる同世代たちの存在を知ったからには、なんとかしたい!
同じように、病でもがき、苦しんだボクには、彼らの気持ちが痛いほどよくわかる。彼たちの存在を一人でも多くの人に知らせ、救いの手を差し伸べて欲しいと思った。
とりあえず、事務局から教えてもらった通り、自分で応募書類を埋めてみた。
本命のAO入試の発表の朝・・・。
PCの電源をつけ、大学の指定されたサイトに受験番号を入れると・・・
そこには、「不合格」という文字が現れた。
一言、「AOダメだった」と親に伝えると、ありえない言葉が返ってきた。
「ケイタは、大学へ行くより、起業しなさいってことなのかもね」
「はっ?なんだ、それ?」
「だって、まだ、コンテストの結果来てないでしょ? もしかしたら・・・って思ったの。まぁ、しょうがないじゃない。でも、しっかりと前を向いて堂々と歩くのよ。下見ながら歩かないでね」
簡単な朝食を済ませて外にでると、2Fの窓から「いってらっしゃーい」と、ノー天気な親の声が響いていた。
★★「ファイナリストに選出されました!」とメール
学校帰りの電車の中、いつものようにスマホの電源を入れると「メールが1通届いています」というメッセージが表示されている。
いったい、誰から?
メールを開くと、件名には、
「高校生ビジネスプラン・グランプリ最終審査結果のお知らせ」と、書かれてある。
—————
河崎様
日本政策金融公庫 高校生ビジネスプラン・グランプリ事務局の斎藤です。
第3回高校生グランプリの最終審査結果が本日決まり、今回河崎様に
ご応募いただいた「木救教室」のプランがファイナリストに選出されました!
—————
なにー?????
ボク、通過したの???
やったー!!!!
あまりの嬉しさに、思わずガッツポーズが出た。
あー、早く、このことを祖母にも知らせたい!
駅から、猛ダッシュで丘を登り、勢い良く玄関の扉を開ける。
幸い、祖母は家にいた。
「おばあちゃん、ボク、やったよ! 日本政策金融公庫に出していた、高校生ビジネスプラン・グランプリの書類が通過したよ! 最終の10組に選ばれた!」
夕食の支度に取り掛かっている祖母の疲れている表情が、驚きから徐々へ嬉しさへと変わり、あっという間に、全身が喜びで包まれていった。
「何がなんだか、わからないけど、よくやったじゃない!がんばったね!」と、涙いっぱいにした目を押さえながら、喜んでくれている。
久しぶりに見る、祖母の晴れやかな顔を見て、ボクは素直に嬉しかった。
小さい頃から、フルタイムで働く母の代わりとして、ボクの身の回り一切の面倒を見てきてくれた祖母。
病弱だったボクは、この祖母が運転する車で、週2−3回通院していた。
待合室で、何時間も絵本を読んでくれたり、話をしたりしながら待っていてくれた。
少しでも体が丈夫になるようにと、食材にも料理にも、気を遣って作ってくれていたのも知っている。
帰宅した親に、最終審査会通過のことを伝えると、
「やったーーー!わたしが言った通り、やっぱり起業しなさいっていうことだね。学校の先生は、何か言ってた?」と、まるでガキのように喜んでいる。
相変わらず、どっちが親だかわからない。
最近、よく「疲れた、疲れた」「もう歳だから、体のいろんなところが痛い」と、ネガティブなことばかり口から出ていた祖母。
これで、少しは、おばあちゃん孝行もできたかな。少しは元気になってくれるといいな。
祖母のことを考えていたら、さっきまで、心の中にあったざわざわが徐々に薄れていき、穏やかな波打ち際にいるかのようにゆったりとした流れに変わっていくのを感じた。
朝一番で、崖から突き落とされ、夕方には高台に登っている。
こんなことって、あるのか?
5)プレゼンテーション? そんなの聞いてないよ
★★「人のために、何かをしたい」という気持ちを強く持ったボク
喜びもつかの間。
翌朝、もう一度、送られてきたメールを読み返す。
なんと、その中に「10組のファイナリストにプレゼンテーションを行っていただく」と、書かれてあったのだ!
「プ、プレゼンテーション???」
ボクはPCの画面に向かって、思わず発狂してしまった。
こんなに大事なことを見落としていたなんて!
今は、この単語だけが、まるでポップアップされているかのように一瞬にしてひるんでしまった。どーすりゃいいんだよ・・・。
メールの最後にあった、次の文章でボクは再び救われる。
「最終審査会のプレゼンに向けて、ご要望に応じて日本政策金融公庫の職員がサポートさせていただきます」。そして、新井所長の連絡先が書かれていた。
新井所長と事務局の方々から今後の進め方の説明を受け、まずは、自分なりに伝えたいことを資料にまとめた上で、具体的な指導を受けることを確認して帰る。
早速、教えてもらった通り、台本を作り、資料の作り方を調べる。
最終審査会まで、あと1ヶ月。
友人たちは、受験のためにラストスパートをかけ、ボクは最終審査会に向けて集中する。
全く異なった時間の使い方、そして歩む道。
寝たきりの頃は、友人たちがうらやましかった。
Lineのやり取りを見ているだけで、悔しさも焦りも感じていた。
一番大きかったのは、大学を決めるときだ。
親へ反発をしつつも、うちの親とは全く異なるアプローチをする友人の親たちが羨ましくもあった。
それがだ。
今では、友人がどのように過ごしていても、全く気にならなくなった。
当たり前のように、既存路線を歩む友人たち。一方のボクは寄り道を選んだ。正解なんてない。それぞれ、自分の選んだ道を信じて突き進めばいい。
今は、化学物質過敏症の患者がいることを知って欲しい。
彼らを救済するために、たくさんの人たちに協力して欲しいという想いを、とにかく一人でも多くの人に伝えたい。
大学はその後だ。
乗り越えなければならない壁は、まだまだたくさんある。
でも、逃げ出さないと決めた以上、1ヶ月間は集中してやる。
ボク、変わったよな。
こんなに「人のために、何かをしたい」という気持ちを強く持ったことなんてなかった。
★★声なき声が原動力
自分なりの台本とプレゼン資料を作るために、複数の動画を見て、パワーポイントの使い方も調べた。ストーリーの作り方の基礎も学んだ。でも、なんだか腑に落ちない。
連日、眠い目をこすりながら、深夜までの作業は続く。
ようやく出来上がった資料を手に、親の前でプレゼンをすることにした。
自分のプレゼンをスマホで撮影をして、再生してみた。
途端に、ボクは愕然とする。
声が、まったく聞こえない!
「『ボソボソ・・・えー、あのー』何、言ってんだよ!早く言えよ!」と、自分でもツッコミを入れたくなる始末。
姿勢も悪い!
猫背だし、表情は硬いし、真剣さに至っては、全く伝わってこない。情熱さえもないに等しい。
「一押し」のインパクトも弱い!
「キーワードは、何度か言った方が良い」って、教えてもらったのに入っているのは1回だけ。
これじゃあ、伝わんないなぁ・・・
自分でも、ダメ出しのオンパレードだ。
ボクは今、脱皮をする時期を迎えようとしているのかもしれない。
1年前のボクは、こんな風に自分のことを見つめることも、他の苦しんでいる人たちに手を差し伸べるなんてことも考えたこともなかった。毎日、自分のことで精一杯だった。痛みが来ないことを願いながら、1日が静かに過ぎていくことを願うだけの時間を過ごしてきた。這い上がろうとしても、誰かに足を引っ張られるような感じがして、いつも海底どん底まで引き戻されていた。
そんなボクが、病で苦しんでいる同じ世代の人を助けたいと思うようになっている。
自分以外の誰かの苦しみを和らげたいと考え、いろんな人にインタビューしたり、現場に出向いたり、まるで、時間のロスを穴埋めするかのように、自分でも考えられないような行動力が体の中から飛び出してきた。
なんでだろう。
あんなに、人見知りがひどかったのに。
これまで、ボクのどこに、こんなパワーが眠っていたんだろう。
自分の言動に、自分が戸惑いや驚きながら、
——彼らにも、今よりも良い生活を送って欲しい。
——友人たちと、たわいのない会話を楽しんで欲しい。
——好きなことを思いっきりできるような生活を取り戻して欲しい
ただ、ひたすら彼らの声なき声が聞こえてくるように感じて、それが爆発的な原動力になっているのは間違いなさそうだ。
★★プレゼンの技法以上のものを教えてもらった
しどろもどろになりながらも、新井所長に懸命にプレゼンの概要を説明し、自己流ながらも練習を重ねてきた、プレゼンも観ていただくことになった。
ボクは、震えていた。
そして、心の中では、逃げ出したい気持ちと、「ここに止まるんだ!」という二人のボクが戦っている。
プレゼンが終わった後、ホッとしているボクに、新井所長と眞崎さまが魔法の言葉をかけた。
「ケイタさんは、このプレゼンテーションを通して、『同世代の化学物質過敏症で苦しんでいる生徒たちを救済したい!』という想いを伝えたいのですよね。それは、けいたさん自身も病は違っていても、同じように治療法が確立されていない病で苦しんだ経験があり、それを乗り越えることができた。だから、聞いている人たちにも伝わるのです。もし、私が、それを伝えようと願い、同じようにプレゼンをしても、残念ながら相手には伝わらないのです。なぜだか、わかりますか?」
突然の質問に、ボクは質問の意味すら理解ができなかった。
それまでの自分は、何度練習をしても、自分が納得できるものとは、ずいぶんとかけ離れていた。
「こういうイメージで、伝えたい!」という想いはあるものの、それをどのように表現をしていいのかすら、わからなかった。
そんなボクの気持ちを言葉で表し、示してくれたことで、勇気と希望の光が見えた。
改めて、ストーリーの抜本的な見直しをすることにした。
練習は、審査会直前まで続いた。
伝えたい内容に、自分の気持ちを乗せることもできるようになった。
言い回しもずいぶん楽になった。
セリフの間違えの数も半分以上減り、ほぼ完璧に言えるようになった。
簡単な言葉を用いることで、誰が聞いてもわかるように工夫もした。
ボクは、彼らからプレゼンの技法を学んだだけでない。
もっと大きなものを教えてもらった。
それは、先輩として、どのように人生を歩んでいけばいいのか。
あるいは、プロとしての仕事の進め方、人との接し方も学ぶことができた。
ほんのわずかな時間だったにもかかわらず、
心配り、気配り、相手を思いやる優しさと懐の深さ。
高校生の小僧に対しても、常に相手の立場を思いやりながら、尊重をしつつ、相手のレベルに合わせた応対をする人たちに、ボクはこれまで出会ったことがなかった。
いつか、ボクも、この人たちのような細やかな配慮ができ、どのような人からも尊敬され、信頼されるプロになりたい!
このプレゼンテーションを通して、一筋の光が見えたような気がしていた。
この間まで、ベットの中で悶々と時間を過ごしていたボクから脱皮するためにも、ここまできたのだから、絶対にグランプリを取りたいと思うようになっていく。そのために、自宅でも、動画を撮り、練習を繰り返した。
もう、迷いはなかった。
体の底から、力が沸き起こってくるのを感じながら、プレゼン前夜は早めに眠ることにした。
6)グランプリ獲得!
★★心臓鼓動の速度はリニアモーターカーにも勝てるぐらい
係員の誘導で、他の発表者たちと一緒に最終審査会の会場に足を踏み入れた次の瞬間、
ボクの緊張ボタンのスイッチが入ってしまった。
心臓が突然ポンプのように動き始めたのだ。心臓発作を起こし、今にも倒れそうだ!
手の平からも汗が次々と湧き出てくる。どれだけ水を飲んでも喉はカラカラ。
声を出そうにも、出し方さえも忘れてしまった。
ヤバイなんてもんじゃない。
一生懸命に、呼吸を整えようと、いろいろやってみるが、何をやっても、鼓動の速度はリニアモーターカーにだって、今なら勝てるぐらい。もう、何もかも目に入らず、耳にも届かない。
突然、ボクの名前が会場に響き渡った。
番が来たのか?
このままの状態で、果たしてこれまでの練習の成果を出せる自信は全くなかった。
時間は止まらない、止められない。
——やるっきゃない!
第一声を発した瞬間、それまで緊張していたことが、まるでウソだったかのように冷静な自分がいた。
制限時間は少しオーバーしてしまったが、自分の持っている力を出し切れた。
自分が伝えたいことは、全部伝えることができた。
ほっとしたのもつかの間、審査員からの5分間の質疑応答が始まる。
審査員の方々にも、わかるような説明をすることだけを心がけ無事終えることができた。
終わってみれば、あっという間の十数分間だった。
席に戻った時から、水分を摂りすぎたせいで、トイレに行くのを必死にこらえながら、前半残り2組の発表を聞く。
続いて、一部で中座をする来賓からの挨拶が始まる。
最後は、斎藤農林水産副大臣(当時)だった。
★★「えーーー、それは、ボクの名前です!」
全10組のプレゼンテーションが終わり、いよいよ発表の時がきた。
審査員特別賞3組、準グランプリ・グランプリ各1組、優秀賞5組の順番で発表すると案内があり、ボクが「絶対に、この学校がグランプリだ」と、思っていた学校が、準グランプリの1校として呼ばれた。
「えっ?なんでグランプリじゃないの? 会場も巻き込んで、あんなにユーモアたっぷりだったのに。何か失敗したのか?」と、頭をよぎる。
それにしても、準グランプリまでの発表が終わったが、ボクの名前はとうとう呼ばれなかった。
失望感と申し訳なさでいっぱいになる。
病で苦しむ彼らの気持ちを、伝えることができなかったんだ。
自分でもやりきったんだから、しょうがない。終わったら、指導してくれた新井所長やそのほかの方々にお詫びに行こう。体の体温がどんどんと下がっていく。寒い。「栄えあるグランプリ受賞プランは、かわさきけいたさんです! おめでとうございます」
えーーー、それは、ボクの名前です!
目の前のスクリーンには、ボクの顔と名前が映し出されている。
「これ、本当に現実?夢じゃないの?『ボクが』グランプリを受賞したの???」
ボクの混乱とは裏腹に、会場のほぼ中央に座っていた母の高らかな歓喜の声が、会場の静けさを打ち破る。
あーあ、相変わらず、やってくれるよな。
さっきまで、あんなに落ち込んでいたのに、コロコロと移り変わる自分の心の変化に、全くついていけてない、おいてけぼりをくらった感じだ。ボクの心は、止まったまま動かない。
壇上に上がり、審査委員長から表彰状を渡され、大きな紙を両手で受け取っても、ボクの心はこの会場から、どこかへ飛び出してしまったようだ。
わけのわからないまま、審査会は表彰式、写真撮影へと止まることなく進行する。
すべてのことから解放されたボクは、大好きなイタリアンを囲んで「家族だけのささやかな祝賀会」の席上にいる。
交流会の時、次々と、いろんな人から呼ばれて、ようやく家族の元へたどり着いた時だ。
「おばあちゃん、母さん、ボク、やったよ!」二人の顔を見ただけで、ボクは満足だった。
おばあちゃんが「お祝いに、好きな料理をご馳走してあげるから、なんでも言いなさい」と、ご満悦な表情でビックな提案をしてくれた。
迷いはない。
すかさず、「とびっきりおいしい、イタリアンが食べたい!」と、それだけ言い残すと、また、名前を呼ばれた方向へ進む。
お店の雰囲気も店員の対応も小さな祝賀会には、ぴったりの場所だった。相変わらず、ベストチョイスをする親に、この日ばかりは感謝感激だ。
家族の誰一人として、ボクがグランプリを受賞するなんて想像をしていなかったこと。
素晴らしい取り組みをしている、A校やB校のこと。
これまでお世話になった方々の話。
どれだけ時間があっても足りないくらい、ボクの口は滑らかだった。
嬉しかった。
「やればできるんだから、絶対に途中であきらめないこと!」
ボクは、生まれて初めて、自分の力を信じること、信じ通すことの大切さを、
このコンテストで得ることができた。「でも、一人じゃ何もできない。これから、どうしたらいいの?」
「それを探すために、これからの時間を使えば良いのよ」と、優しい親の声が聞こえた。
著者のKeita Kawasakiさんに人生相談を申込む
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