落ちこぼれボク、グランプリ受賞までのキセキ!〜異星人ボクと宇宙人母さん〜 飛翔編
7)アメリカにいる世界的権威に会いたい!
★ ★アメリカの専門家にメールを送る
グランプリ受賞をしたということは、第三者からの評価と共感が得られたということ・・・でも、今のボクには専門知識も経験もない。
誰に聞けば、このプランを実現することができるんだろう。
まずは、国内の現場を調べることにした。
専門医、患者のサポート支援団体、療養施設への見学、木材関係の団体、大学教授などに面会をしたり、出向いたりした。
とにかく、現場を知らないボクは、誰に会っても、まるで幼児のように質問攻めをした。
事前に、ネットでわかる範囲の情報を集め、「面会&質問シート」も準備する。
せっかく、自分のために時間を作って会ってくださるのだから、チャンスを無駄にしたくなかった。
ある日、質問シートを眺めながら、「この分野の最先端研究集団は、どこの国にいるのだろうか?」という疑問が湧いてきた。
なぜならば、誰に聞いても、あいまいな答えしか返ってこないからだ。
ある日、この分野の専門家である方にお目にかかった時のことだ。
偶然にも、この分野における世界的な権威が、アメリカにいるという情報を教えてもらうことができた。
一目散に自宅に帰り、早速ネットで調べてみると専門病院と研究機関などがあることがわかった。
——ここに、行きたい!
でも、どうやったら、この世界的な権威に会ってもらうことができるんだろう。
国内での苦い経験が頭をよぎる、「多忙なため、お目にかかることができません」という返事を何度もらったことだろう。
でも、ボクは諦めずに、次から次へと電話やメールを送り続けた。
そして、これまでの「面会&質問シート」が教科書となり、世界的権威へのインタビュー申し入れを考えることにした。
★★『念ずれば、通じる』
数日後、めずらしく、いつもよりも早く目がさめた。
眠い目をこすりながら、PCのスイッチを入れる。
メールにアメリカの担当者の名前がある。
急いで、開封すると、そこには、
「Dr. A will be happy to meet with you in April. Please let me know when you would like to come and for how long and I will check his schedule.」と、書かれていた。
「やったー!!!」と、ばんざいをしながら、大きくジャンプをしていた。
「かあさん、やっーーーーーーーた、ドクター会ってくれるって!!!」と、階段を3段とびをしながら、親の元へ走って降りた。
『念ずれば、通じる』って、本当だ。
グランプリを受賞した時は、びっくりした。
世界的権威とのアポが取れた今は、それ以上の驚きだ!
目ん玉が飛び出るぐらい、何度もなんども読み返した。
でも、まだまだ壁はたくさんある。
言葉の壁、滞在場所、移動手段・・・・・
アメリカに、知り合いなんていない。
小さい頃からNHKのラジオ番組のリスナーでもあるボクは、海外の主要都市にある日本人会の存在を知っていた。
早速、現地の日本人会を調べて事務局に渡航目的を伝え、通訳と、滞在先、交通手段の確保の相談をメールした。
ドクターからは、すぐに1週間のロングアポが取れた!
日本人会の紹介で、車で送迎もしてくれる通訳も探せた!
宿も紹介してもらった!
万全の準備を整えた。
ここまできたら、もう怖いものはない!
★★教えてくれないことは、ない。見れない場所なども、ない。
指定された病院施設にいくと、なんと、80歳を超えているのに、ドクターは毎日診察をしていた。
しかも、毎日、世界中からくるたくさんの患者を診ている!
診察室に通されたボクに、
「Hello, What do you want to know?」とは、世界に名だたるドクターの第一声だ!
いきなり質問を受けたボクは、驚きつつも、自分の目をみて、ボクの話に耳を傾けてくれることを知り、なんでも聞けることへの喜びが、心の底からあふれてきた。
まるでダムの放水ように、あらかじめ準備をしていた質問をひとつ残らず聞いていくことにする。
ドクターは、現役の紳士でもあった。
自身の書籍を見せてくれたり、図を描いてくれたり、ひとつ一つ、丁寧に、わかりやすく答えてくれた。難しい言葉なんてない。
アインシュタインの言う「専門家たるもの6歳の子供にもわかるように説明をすること」という教えが、具体的にどのようなことなのかをも教えてもらうことができた。
5日間のスケジュールは、初日にドクターへのインタビューをした後、翌日からは、午前中に院内をくまなく見学し、午後はドクターへのインタビューとなった。
教えてくれないことは、ない。
見れない場所なども、ない。
全てがオープン。
この対応には、心底驚いた。
何の知識もない高校生に、なぜこのような対応をしてくださるのか。
ドクターの答えは、これまで出会った誰よりも懐の深さと広さが違う。
「若き日本の若者が、この分野の発展のために自分のことを尋ねてきてくれた。そして、病に苦しんでいる人たちのために、何かをしたいと考えている。だから、自分ができる範囲で協力できることは、惜しまず協力したいと考えているんだよ」
そして、ついに最終日が来た。
ボクは、思い切って、自分の進む道を模索していることをドクターに伝えることにした。
すると、少し困ったような顔をして、
「自分は、医学以外の学問については分からない。でも、ケイタ、アメリカには、たくさんの優秀な人たちがいて、いろんな分野で活躍をしている。教授も揃っている。本気で取り組みたいならば、アメリカにおいで」と、ボクの目をまっすぐに見つめ、穏やかに優しい口調で、ボクの心に語りかけてくれた。
初日と同じように、穏やかで、真剣な眼差し。
この貴重な時間が終わろうとしている今この瞬間、両手いっぱいに広げて、ボクの成長を待っていてくださっているかのように温かさを感じた。
たった、5日間。
されど、5日間。
ようやく、長い長い迷いの中にいたボクにも、一本の光が見えた気がした。
会えて、良かった。
来ることができて、良かった。
そして、素晴らしい通訳の方々にも出会えて、よかった。
現地で出会った、全ての方々に心からの感謝をしている。★★米国留学に飛び立つ
ドクターの勧めに従って、ボクは米国に留学することにした。
アメリカの大学を調べ始めて、一番初めにぶったまげたのは学費の高さだ。
寮に入るにもお金がかかる。
起業間もない母親に、そんな多額のお金を出してくれとは、絶対に言えない。
どうしたらいいんだろう。
思い出したのが三者面談の時に担任が話をしていた「奨学金制度」の存在だ。
きっと、アメリカにもあるはず。
留学の手続きを依頼するのにも多額なお金がかかることを知る。半分諦めかけていた時、ついに、無料で手続きをしてくれ、さらには奨学金制度を持っている団体を見つけ出すことができた。すぐに電話を入れて、面会アポを入れる。
ここでもまた、担当者に恵まれた。
奨学金の額が一番高い、半額支給の大学を選ぶ。
次は、リベラルアーツが充実していること。
何をやるにも「交渉」は、つきものだ。そのためには、まずは自分を確立しておく必要がある。自分は、何を大切にし、何をしたいのか。
そのために、どのように相手と折り合いをつければいいのか。自分のこと、相手のことを理解する必要がある。そのためには、リベラルアーツが整っていることが必須条件となる。
ようやく、大学を決め、なんとか無事、入学の手続きを終えることができた。
2017年8月、ボクはノースカロライナ州の「ド田舎」の大学にやってきた。
大学に着いたときは、『ここが本当にアメリカなのか?』と、呟いていたことを思い出す。
なんたって、寮では、断水やお湯が出ないことなどは、日常茶飯事なのだ!
挙げ句の果ては、食事はのどを通らないほど、油っぽいものが多い。周りは太っていくが、ボクはやせていく・・・
意思の疎通だって簡単じゃない!
何を言っているのか、まるでちんぷんかんぷん。
そんな中、盗難事件に巻き込まれてしまう。
Oh my God! 神様は、本当にいるのか?
にやける相手の顔をみて、無性に腹もたったが、言い返せない自分とも対峙する。
「くそー!、今に見てろ!」
その時、母さんの知り合いのアメリカ人から教えて貰った言葉を思い出した。
「ケイタ、アメリカでは『シャイは美徳でもなんでもない。それは罪だ』
自分の気持ちや考えを相手にちゃんと伝えないと相手には伝わらない。
それがアメリカなんだ」。
妥協をしちゃ、いけないんだ!
何が起ころうとも『粘り強く、諦めず』。
しかし、どこにいっても「人に恵まれる」のが、ボクの唯一の特権でもある。
優しい教授や先輩、そして友達と出会ったおかげで、ずいぶん助けられている。
日々言葉の壁に加え、ダイナミックさとシステム化された社会構成、そして自由という偉大なる解釈の違いと格闘をしながら、ボクだけ置いて行かれないように必死に食らいついている。
いいことも、悪いことも、すべては、『やってみなきゃ、わかんない!』
8)エピローグ〜〜
★★一人一人の人生には使命が与えられている
留学先を決め、エントリーも済ませたある日。
珍しく母さんが、「これが、もしかしたら最後のメッセージになるかもしれないから、よく聞いてね」と、穏やかで優しい、ゆっくりとした口調で話し始めた。
目の前には、ボクの小さい頃の親がいた。
「人は生まれてくる前から、『その人に与えられた使命』というものがあり、それを全うするために、人はいろんな人と出会い、体験をしながら生きる」と、いう古くからの教えがあるの。
そのような意味で考えた時、ケイタが、これまでもがき苦しんできたことも、素晴らしい方々との出会いがあったのも、すべてはケイタの人生のプログラムに組み込まれていたことなのかもしれない。
でもね。もしかしたら、アメリカに行ったら、化学物質過敏症の対策以上に、もっと他に本当に自分が人生をかけて何としても取り組みたい!って、思えるテーマが見つかるかもしれない。
その時は、自分の力を信じて迷わずそれに取り組んでほしいの。
『ケイタには、ケイタにしかできないことがある』と、いうことを忘れないで!
これまでに身につけた知識も、経験も、そして、その優しさや穏やかさも、必ず求めている人たちが、この地球上のどこかにいる。今か、今かと待っていると思う。
世界中のいろんな人たちと出会い、力を合わせて、本気になって取り組む日のために、自分の良さをもっともっと磨いて、積極的に、たくさんの知識と経験を積んでいってほしい。だからこそ、これからの人生はこれまで以上に大切に過ごしてほしいの。
人を愛し、人から愛される。
そして、いつの日か、ケイタが望む「安寧」を得る日が来ることを願っているからね」終始穏やかで、やさしい親の顔をみながら、心の耳で素直に話を聞くことができた。
ボクは、これまでも、親といろんな話をしてきた。
時に意見がぶつかることもあったけど、彼女のスタンスはいつも同じだった。
自分だけでは、子どもを人に役立つ人間として育てられるだけの知識も自信もない。
だからこそ、いろんな分野の友人や知人を紹介してくれ、人の話を聞くことだけでなく、実際にいろんなことにチャレンジすること、さらにはたくさんの本を読むことの大切さを教えてくれた。
ボクが、全うな人生を送ることができたのも、ひとえに、周囲にいるたくさんの素晴らしい人たちの支えがあり、励ましがあったからだ。
出会う人たちは、誰もがみな、目的をもって人生を謳歌している人たちばかりだ。
親の言う「使命をもって生きている」人たちでもある。
そしてまた、どんな壁も、乗り越えられない壁はないことを教えてくれたのも、彼らだった。
ボクの「使命」とは、いったいどのようなものなのだろう。これから、「それを探す旅が始まろうとしているのだ」ということが、親の話を聞きながら、よくわかった。
どんな旅にするかは、すべて自分で選んでいく。
できないと決めてやらないのも、できると信じて取り組むことも、すべては自分が勝手に決めていること。
ボクは、これからもいろんなことにチャレンジしていく道を選んでいくことを心に決めた。
★★人生は自分で切り拓く!
ボクは3月10日、20歳の誕生日を迎えた。
高校を卒業してから、留学が決まるまでの間、天からの恵みとも思えるような時間を過ごした。
「その間に、何をしていたのか」と、問われれば、
激動の3年間を振り返っていたことと、これから自分が歩んでいく未知なる道をより鮮明に描くために、専門家や起業家の方々へのインタビューをさせていただいたことに尽きる。
高校生ビジネスプラン・グランプリに応募したことから始まった、ボクの新しい人生。
様々の分野のプロフェッショナルの方にお会いをする中で、それまでは無縁だった「社会のルール」を学ばせてもらった。
一言で表すならば「『実社会を学ぶためのプライベートスクール』に通っていた」とも言えるのかもしれない。
極度の人見知りで、いつも人の話を聞いてばかりいたボクが、この間に出会った方との交流を通して、少しずつ自分の考えがまとまり、気持ちを言葉で表せるようにもなっていった。
たくさんの人に会うことによって、話をすることへの慣れ、質問の精度、そして何よりもモノの見方や考え方(価値観)も変わっていった。
誰に会うにも、まずは「自分が何者で、何を考え、何をしたいと思っているのか」を伝える必要がある。何度も繰り返し伝えることで、「自分が本当に何を大切にしているのか」、あるいは、「大切にしていきたいのか」ということをまとめる良い機会にもなった。
自分の人生のハンドルを持つ・・・つまり使命に生きるために必要なこと。
それは、『ブレない軸』を持つことということも学んだ。
同時に、社会にはいろんな個性を持っている人たちがいる。その異なる人たちと、どのように接すればいいのかという新たなる課題も見つけることができた。
高校受験の挫折からのスタートとなったボクの4年間を振り返ると、こんなにも激動の人生を歩む人は少ないとは思う。
しかし、いろんなことがあったからこそ、これからの人生を自分の手で切り開くという力強い人として成長をすることができた。
ボクも、「優しく広い心をもったブレない人」となって、「人に役立つ人間」として成長をしたい。
——何ができるかは、わからない。
——でも、もうひ弱なボクではない。
——うまくいかないこともきっとある。けれど、自分のことを自分で決め、試行錯誤することを心から楽しんでいきたい。
これから始まる新たな人生の幕開けに、いざ、Take off。
<お礼>
この文章で、これまで味わったことのない屈辱も、病との闘いも、コンテスト受賞の喜びと戸惑いも赤裸々に書いたのは、自分では、どうすることもできず、今は、辛く、苦しい時を過ごしているかもしれない人のことを思うと、ボクが経験したことが、何かのきっかけや参考になるんじゃないかと思ったからです。
どんなに苦しくても、このストーリーを読んでくださったあなたにも、必ず、明るく温かな光が当たる日が訪れます。それ信じて、1日1日を大切に過ごしてくれることを心から願っています。
このストーリーは昨年夏に約9万字書いた文章の要約です。削ってしまったエピソードも多く、できれば全文を本にしたいとも思っています。
また、執筆にあたり、ご支援をいただいた方々に、心からお礼申し上げます。
最後に、影ながら応援してくださった皆さま、そして家族に感謝の花束を贈ります。
(終わり)
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