私が自由を求めるワケ⑧

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著者: Kayo Satou

お腹の子を失って、

しばらくはひどく沈んでいました。
またしても、
心にポッカリ大きな穴が開いてしまいました。
そして、思い出しては泣いてばかりいました。

上の子は幼くて、
まだよく状況はわからなかったでしょうが、
優しく寄り添ってくれました。

あの子がいなかったら、
きっと私は今、生きてはいないでしょう。


お産の後は妊娠しやすいという事で、
次の妊娠までは最低3ヶ月は
お腹を空けておいてください
と言われていました。

私は心に大きく開いた穴を埋めるには、
もう一人子供を産むしかない!!!
と思いました。

そして3ヶ月経つと、
有難い事にすぐに授かる事が出来ました。

前回、安定期に入っていたにもかかわらず、
ダメになってしまった経験上、
今回は非常に神経質になっていました。

その精神的な物もあったのかもしれませんが、
つわりがとてもひどく、
妊娠5ヶ月で身長170㎝でもともと55kgだった体重が、
40㎏代になりそうなほど、痩せてしまうくらいに、
食べられる物も少なく、食べても吐いてばかりいました。

妊娠期間中、ほぼ具合が悪い様な状況だったにも関わらず、
主人は相変わらず家事をほとんどしませんでした。
しかも、そんなに痩せてフラフラの私を
気遣う そぶりもありませんでした。

その時私は思いました。

確かに怒ったり気性の荒いところは無いから、
一見優しそうに見えるこの人は、
人に対する思いやりの無い人なんだ、
自分さえ良ければ
それで良い人なんだという事がわかり、
いつか絶対に離婚しよう!
と思ったのでした。

もともと幸せな家庭で育っていなかった私は、
感情を押し殺して生活するのには慣れていました。

可愛い我が子がいる事で、
まだ殺伐としていないだけ、
元の我が家よりは、
その時の状態の方が全然マシでした。

しかも高卒で仕事を辞めてしまった私が今離婚しても、
子供達に十分な教育を受けさせてあげる
自信がありませんでしたし、
私を産んだ母の様に
やつれて醜くなってしまうのも嫌だったので、
自分で子供達を育てられる様になるまでは、
我慢する事にしたのです。


そして、下の子が産まれました。
案の定、男の子でした。

前回ダメになってしまった妊娠から通算して、
約2年近く妊娠していたかの様な私にとって、
下の子の誕生は、この上なく嬉しい事でした。

産まれたこの子は、
ひょっとして
ダメになってしまった子の生まれ変わりかもしれない・・・
とも思えました。

産まれたばかりの子と比較すると、
それまでとても可愛くて仕方のなかった上の子が、
ひどく大きいお兄ちゃんの様に見えました。

それからは、
下の子を溺愛してしまう日々が続きました。

上の子はお兄ちゃんだからという事で、
我慢させてしまう事が多くなりました。

お兄ちゃんはとても優しく、
それはそれは弟の面倒をよく見てくれる
素晴らしいお兄ちゃんでした。

お手伝いも良くしてくれて、
私はすっかり頼りきってしまいました。


下の子が歩き出す前に、
手狭になった社宅を出て、
新築の一戸建てを購入する事になりました。

結婚当初から、
いつまでも社宅に住めるワケではない事は
わかっていましたので、
家の事は全て管理していた私は
計画的に貯蓄をしており、
質素倹約に励んだお陰で
結婚4年で主人の給料だけでも
しっかりとした頭金を貯蓄できたのでした。


家を購入する手続きや話し合い自体は、
世帯主である主人も同行しましたが、
乳飲み子を抱えながらも、
中身や詳細に関しては、
全て私が判断しました。

家族全員の保険や将来設計など、
主人は一切関わらず、

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