◆体が嫌がる歩きをしているだけですよ~らせん流の動き~
ジャーナリストの釣部人裕です。
私は、元体育教師ですが、正直言って、
私の体に起きた変化が信じられませんでした。
いや、未だに、充分に理解できているとは思いません。
ただ、明らかに、歩き方が変わった。
踵を使っているのだ。
止まるのに筋肉を使い、歩くのには筋肉を使っていない感覚。
ふくらはぎもはらない。この歩きだと、何十キロも歩けそうな気がしたのだ。
そして、歩いているだけなのに、気持ちよく笑顔がこぼれてくる。
さらに、噛み合せの悪い私の顎関節まで動いてくる。
先日、「らせん流RUN」の創始者、
ランニングセラピスト小松美冬さんのセッションの途中から、
私の体に起きた反応だ。
「釣部さんに紹介したい人がいるんですよ。
筑波で体について専門的に勉強した釣部さんなら、
彼女のことが理解できると思うんです」
そう言って、友人が紹介してくれたのが、
ランニングセラピスト小松美冬さんだった。
はじめて会ったときに、
どうやって「らせん流RUN」を行き着いたのか、訊ねた。
ざっと紹介すると、こうだ。
生後10か月で歩くより前に走りはじめた、
走るのが大好きな女の子だった。
4歳で迎えた東京五輪、マラソンのアベベ・ビキラ選手に魅せられ、
中学では陸上部に所属した。
大学時代は、洋菓子作りに夢中になり、
洋菓子教室通いや洋菓子店でのアルバイトに明け暮れ、
卒業後は、ケーキ作り職人、今でいうパテシェになるつもりでいた。
しかし、パテシェになるのは、広く社会を見てからと思い直し、就職。
デパートの店頭販売に配属される。
しかし、窓のない売り場の環境は彼女には合わなかった。
転職を考えるも、知人の紹介で入社した手前、
1年もしないで辞めることはできない。
その時、映画『マイライフ』のヒロインの台詞を思い出した。
「フルマラソンを走ったら、
その先自分のしたいことが何でもできるような気がするの」
「そうだ、マラソンを走ろう!」
と、マラソン完走を目指し、2㎞のジョギングを開始。
それから、4か月後、マラソンを3時間41分で完走した。
スポーツの楽しさを伝えるライターを目指し、
23歳で、編集プロダクションへ転職。
冬はクロスカントリースキー、 春から夏はカヌーや登山も楽しみ、
ランニングのレースは1年に1回、
その年の自分の発表会のつもりでマラソンに出た。
ジョンギングを始めて3年後の1985年。
世界で初の女性だけのマラソン大会、憧れの東京国際女子マラソンに出場。
3時間2分で完走した。
2回目となった1986年の東京国際女子マラソンで自己記録を2時間52分まで更新。1987年は、東京国際女子マラソンを招待選手として走ることになった。
そして、東京国際女子マラソンで国内8位入賞。
28歳になった彼女は、翌年ニュージーランドに1年間、単身ランニング遊学。
世界で最も偉大なランニングコーチと言われる
アーサー・リディアード氏の指導を受け、
2時間46分の記録を出せるまでになった。
オリンピックに出たい! そう思うようになった。
彼女の人生は、順風満帆に見えた。
そんな矢先のことであった。
いわゆる、“脚の力が抜ける”という症状が出だした。
10㎞くらい走ると右脚に力が入らなくなるのだ。
このことが彼女の人生を大きく変えることとなった。
速く走れなくなってからは、マラソンのラジオ解説を手掛け、
現在人気の選手の取材から生まれる人間ドラマとしての
マラソン解説の原形を作った。
その後、24年間にわたり、計25回、
東京国際女子、横浜国際女子、バルセロナ五輪女子マラソンで解説をする。
彼女は自分が走れなくなった原因を、
「動きを部分でとらえ、
本来は自然の一部である人間の在り方・構造に反した
体の使い方で体を歪めたまま走りすぎたこと」
であると分析した。
そして、この症状からの脱却を目指して、
体の構造、意識、動かし方を研究し、体の感覚を研ぎ澄まし続けた。
53歳の時、既成の方法や型に囚われず、
「もっと自由に動きたい!」
という体の奥底から湧き上がってきた体の声が聴こえた。
それから、自分の体と心の声をコーチに、その都度、
「球動法(前・体幹内操法)」「操体法」「自然功」「元極学」
「導引術」などを学び取り入れながら歩き、走り、
らせん状に流れるように進むことで、
身心が自然と調和していくことを発見し、
その動きを「らせん流RUN」と命名したという。
実は、私は、30㎞以上歩いたことがない。25キロを過ぎると股関節が痛くなり、30kmに近づくと、股関節周りが凝ってきて、脚が動かなくなる。
事情を話した後、私は訊ねた。
「らせん流で歩くと、42.195キロを歩けるようになりますか?」
「たぶん、大丈夫ですよ。
釣部さんの体が嫌がる動きをしているだけですから。」
彼女は即答した。
私は嬉しくなった。
「どれくらいの期間ですか?半年ですか?」
「らせん流では、期間を決めません。自分の体が期間を決めますから……」
期間を答えてもらえると思っていた私は、拍子抜けした。
話だけは、わからない。
「信じるな! 疑うな! 確かめろ!」をモットーにする私は、
「こればかりは、体験しないと分からない」
と思い、直ぐに彼女のセッションを受けた。
骨格模型を使いながらのセッションが進むにつれ、
自分の体の声を聴けるようなってきた。
すると、体は、これまで合理的でよいとされてきた動きとは、
微妙に異なる動きをした。
どうも私の、骨格・関節の構造に沿った動きをすればいいのだが、
知識がその動きを邪魔しているようだった。
彼女のセッションは、
自分の「体の声を聴き、気持ちいい動きをする」を良しとする。
確かに私の体は、らせんの動きを好んだ。
まるで「コロンブスの卵」だ。
「言われれば、確かに、そうだなー」の連続であった。
私には、西洋医学と東洋医学を統合したような「トレーニング革命」と思えた。
この理論では、ブレないカメラの構えも、
柔道の技も、テニスのラケット動きも、包丁捌きも、らせん流で説明がつく。
健康になりたいと思う人は、
ぜひ、一度、彼女のセッションを受けることをお勧めする。
自分の体がいかに精巧で、いかに神秘的なのか、に気が付くと思う。
詳細を知りたい方は、「らせん流」で検索してみて下さい。
著者のHitohiro Tsuribeさんに人生相談を申込む