36歳。不妊治療中に心身ボロボロになり卵巣年齢40歳と診断された私が「こんまり流片づけ」をしたら2週間後に妊娠した話

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<結婚とセックスレス>

2014年。

当時わたしは34歳。
夫とは知り合って約7年。

4月に結婚4周年を迎えた。

夫とは結婚と同時に一緒に住み始めた。

一緒に住むまでは大抵、1週間に一度会いそのたびにセックスをしていた。

それが当たり前だったのに一緒に住み始めたとたん、わたしたちはセックスレスになってしまった。


結婚後はどちらかというと、わたしからセックスに誘っていた。

これまでのいつもの流れ(大抵、夕ご飯を食べた後に行う)のとおりスキンシップをしてみるのだが、どうも相手が乗り気でない。


ある日、乗り気でない理由を聞いてみた。

「所帯じみた雰囲気で、何のムードもなく、やるのがイヤだ」と返ってきた。

分からなくはないが、「一緒に生活をすること自体、所帯じみてしまうのだからしょうがないよ」と思った。


そのままなんとなく、家でやることはなくなった。

かといって旅行先のホテル等、非日常空間に行ってみても一向にその空気はない。

たまーにあったけど、その頃にはわたしのほうがやる気が失せていた。

別にセックスレスだって仲はいいし、セックス以外のスキンシップはしてるし、まあいいかという感じだった。


<妊娠・出産ラッシュ>

結婚してレスになって数年後、周囲に妊娠・出産ラッシュが起きた。

おおー いつの間に!と思ったが、気がつけば自分は34歳だった。

もうそんな年齢かあ。

35
歳以上が高齢出産と言われているように、周囲が子どもについて意識するのも当たり前だよなあ、と思った。

わたしたち夫婦は、子作りについては微々たる会話しかしてなかった。

だけどそろそろ、妊活でもしようということになった。


子どもを作るためのセックスは、はっきり言ってつまらない。

「所帯じみた雰囲気でセックスしたくない」と夫が言うのを思い出した。

わたしはそのタイミングになると、寝室を暗くしてキャンドルを置いたりして工夫してみた。

だけど夫は乗り気じゃなかった。

ムードはそこまでなく、仕方なくやってる感じ。

夫がリードしてくれないのでそのほとんどをわたしがリードし、「なんでわたしがリードしなきゃいけないんだろう」と思いながらやっていた。

普段レスなわたしたちは毎月の排卵日に合わせ、セックスするだけ。

排卵日に合わせる、といっても特に病院などに通っているわけではない。

基礎体温を自分で測り、だいたいこのあたり?というタイミングで2日か3日程度セックスをする。

カレンダーのタイミングを取る日に〇をつけて、夫に「カレンダー見といて」と伝えていた。

味気ないことは分かってる。

でもこれ以上どうしようもない。

味気なくてもなんでもいい。子どもができればそれでいい。

数カ月が過ぎたあたりからそんな風に思っていた。

しかし毎月トライしてみるものの、一向に子どもができない。

生理が来るたびにガッカリした。


35
歳になる少し前から始めたこの活動はあっという間に一年が過ぎ、わたしは36歳になってしまった。

その間にも周囲は妊娠・出産ラッシュ。

どうしてわたしたちは子どもができないのかと、悲しくなった。

周囲の妊娠・出産・・・ おめでたい出来事なのに、心から祝福できない。

周囲に「子どもは?」と聞かれる回数も多くなった。

両家の両親、特に実の母親が露骨に「早く孫が欲しい」と催促してきた。

挙句の果てには友人や芸能人だけでなく、街を歩いている妊婦さんや小さい子を連れた女性にまで嫉妬するようになってしまった。

生まれて初めてのこの感情は、なかなか複雑でつらいものだった。


<不妊治療???>

妊活をスタートして半年が過ぎた頃、「1年間取り組んでもダメだったら病院へ行こう」と心に決めた。

結局かすりもせず、あっという間に1年は過ぎた。

そしてついに不妊治療のドアを叩いた。

それが、2014年の9月だった。


「不妊治療のドアを叩いた」といっても、病院に行くのは簡単なことではなかった。

病院に行って検査をして、「不妊症」の烙印を押されるのが怖かったのだ。

病院を調べる気にもなれず、これは夫にお願いした。

すぐに自宅近くのクリニックを2つほど挙げてくれたので、そのうちの1つに行ってみることにした。

自宅から徒歩5分のそこはどうやら、不妊治療メインの婦人科であるらしかった。


といっても、ここからも長かった。

初診は電話で予約を取らなければならないのだが、どうしても電話ができない。

受話器を持ってはみるものの、ダイヤルが押せない。

そのことを夫に言うと、「電話するとき、隣にいてあげる」と言ってくれた。

嬉しかったけど、つい「いや、大丈夫。自分で電話できる」と言ってしまった。

「電話一本かけられなくて、この先どうするんだ?」と、自分を叱咤した。


それから約1週間後の8月下旬、ついにクリニックに電話をかけた。

「あの、初めてなんですけど・・・ えーと、その、不妊の検査をしたいんですけど・・・」

電話口でそう伝えて、「よし!言った!!」と思った次の瞬間、

8月の初診予約はもういっぱいなんです。すみませんが、来月の予約は来月に入ってからじゃないとお取り出来ないんです。なので、来月また電話していただけますか?」と、受付の女性の声が聞こえた。

「え?なになに?だめってこと?」と、相手の言ってることがよく理解できなかった。

やっと理解したときには少し怒りがこみ上げてきた。

おいおい、こんなに苦労して電話したのに、そりゃないよー!と思い、

「あー、そうなんですか。じゃあもういいです」と言って、ガチャっと受話器を置いた。


なんだか自分が軽く扱われたような気がして、無性に悲しくなった。

夜、帰宅した夫にそのことを伝えた。

怒りが少し和らいだ。


9月に入り、またクリニックに電話をかけた。

2回目の電話はスムーズだった。

幸い、9月の早い時期に予約が取れた。

予約が取れて安心したものの、未知の世界に足を踏み入れるのはやはり恐怖でしかなかった。

 

<価値観が崩れる>

いよいよ不妊治療クリニック初診の日。

ドキドキしながらクリニックのドアを開けると、そこは不妊が当たり前の世界だった。

見るからに不妊外来の女性たちでいっぱい。

幸せそうな妊婦さんなんて一人も見当たらなかった。

今まで不妊は特別なものだと思ってたけど、ここでは当たり前。

自分の中で、何かが崩れた気がした。

世の中の晩婚化に伴い、不妊症の人が増えているのは知っていた。

でも目の前で見ると、リアリティーが全然違った。


この日から、子どもがいる友人や街ゆく妊婦さん、子連れの女性など今まで嫉妬の対象だった人たちへの考え方が変わった。

「この人たちも、もしかしたら不妊だったのかもしれない。口にはしないけど、なかなか妊娠できずに苦労したかもしれない」

そう感じるようになった。

「みんなは子どもいるけど、わたしは無理なんだ」

そんな風に思い込んでいたけど、それは偏った見方だと気がついた。


医師は穏やかな雰囲気だった。

「不妊検査をお願いします」と伝えると、「不妊治療を希望しますか?」と聞かれた。

まずは検査。その後不妊治療に進むなら、夫婦で相談してからと思ってた。

だけど今の状況や自分の年齢を考えると不妊治療に進んだほうがいいと判断し、「不妊治療を希望します」と伝えた。

すぐにプリントを数枚渡された。

不妊治療についての説明や、検査項目と費用などが細かく書かれていた。


最初は検査からだった。

検査をしながら医師が排卵日を予測して、タイミングを取る日(セックスをする日)を指定される。

具体的に言うと、生理3日目前後と10日目前後に来院し、血液検査と超音波検査(エコー)を受ける。

血液検査でホルモン値を調べ、エコーで子宮と卵巣を診て、子宮内膜の厚みと卵胞(卵子が入っている袋)の大きさをチェックする。

初診時は生理が終わってすぐ来院したので、早くもタイミングを取る日を指定された。

といっても、その日は夫が出張で不在だった。

そう医師に伝えると、「じゃあちょっと遅いかもしれないけど、旦那さんが帰ってきた日に一度タイミング取ってみて」と言われた。

「タイミング法」と呼ばれる不妊治療の最初のステップに進んだわけである。


展開が早いことと、不妊患者がたくさんいたこと。

そして医師が思ったよりドライで、すべてがオートマチックに流れていくことに唖然とした。


<不妊症???>

クリニックの初診が終わって帰宅したとき、安心と不安がじわじわと押し寄せてきた。

もらったプリントを眺めて、「あー、ついにわたしも不妊治療かあ」と、半ば他人事のような気持ちになった。

検査項目は何やらたくさんあって、これを全部受けるのかと思うと気が遠くなった。

そして検査項目の中には、夫の精液検査もあった。


色々検査してもらって分かったこと。

それは男性不妊だった。

夫の精子に軽度ではあるが、問題があった。

精子の数がWHO(世界保健機構)が定めた基準値よりも、ちょっと少ないのである。


ある妊活雑誌によると、「不妊症の定義は2年間夫婦生活を持っても妊娠しない場合」とある。

確立で言うと、夫婦10組に1組の割合。つまり、10%。

女性の年齢が上がれば上がるほど妊娠率は下がるので、不妊症の割合も増える。

夫婦生活を持って1年で80%の夫婦が妊娠し、2年間で90%の夫婦が妊娠すると言われている。

そして不妊症の夫婦のうち、50%は男性不妊。男性側に原因があるという。


世の中に絶対はないと思った。

まず、「自分たちは絶対に不妊ではない」と思っていた。

根拠なんてない。避妊しなければせいぜい半年もあれば妊娠すると思っていた。

そして、不妊の原因は絶対にわたしにあると思っていた。

これも根拠はない。年齢が35歳以上だし、なんとなくそう思っていた。


夫には漢方が処方された。

毎日飲んではいるものの、正直漢方なんて気休めにすぎないと思っていた。



<コーリングⅠ>


それから間もなく、わたしに問題が起きた。

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月、11月と2回連続で、生理の量がいつもより少なかったのである。


クリニックで調べてもらうと、全部きちんと排卵してないとのことだった。

排卵誘発剤の注射を打ちピルを飲み、強制的に生理を促した。

次の生理はちゃんときた。

原因は、「ホルモンバランスの乱れによる、卵巣機能の低下」ということだった。

医師は「たまたまです」と言っていた。よくあることだと。


だけど、わたしはたまたまじゃないと思った。

そのときのわたしは、仕事・家庭・プライベートとフル回転の日々。

不摂生・睡眠不足・ストレス・乱れた生活と、決して良好とは言えない状態だった。


怖い。一体わたしの体はどうなってしまうんだろう?

でも今、その状況を変える勇気がなかった。

それは執着だった。


ちょうどその頃、あるコミュニティで出会った友人のCちゃんが主催している「アロマ会」という集まりに参加した。

そこで出会ったYさんというアロマに精通している方に、「なんか最近余裕がなくて、疲れているんです」と伝えた。

すると、「あなた、自分に嘘ついてるのよ。自分のキャパシティ以上のものを抱え込んでるのよ」と指摘を受けた。

まさにそのとおりだった。


アロマ会のあと、Cちゃんのバースデーディナーに参加した。

そこでCちゃんの結婚・妊娠発表があった。

いわゆるできちゃった婚である。

それを聞いて不思議と嫉妬の感情は出てこなかった。

それまでのいきさつを少し知っていたし、純粋に嬉しかった。

そして確信したことがあった。


それは、「わたし、妊娠したいんだ」ということ。

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年間の妊活をして、こうして不妊治療にも通ってみて、それでも「自分は本当に妊娠したいと思っているのか?」ということにイマイチ確信が持てなかった。

周囲が妊娠・出産ラッシュだから。周囲の目があるから。親が催促するから。年齢が年齢だから。

どこかでそういう意識でいた。だからいつも他人事のように感じてた。

だけどやっぱり、「妊娠したい。子どもが欲しい」って思ってることに気がついた。

夜、夫にそのことを伝えた。

「もう病院行きたくない。コンスタントにタイミング取ろうよ。そしたら病院行く必要もなくなるじゃん」とも伝えてみた。

夫の反応は薄かった。


こうして現実を変えるきっかけはあったものの、頭では分かっていてもどうにも決断ができない。

結局そのまま、余裕のない日々を過ごしていた。


<コーリングⅡ>

その1ヵ月後、さらに大きな事件が起こった。

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月に入り、いつものように生理3日目にクリニックへ来院したときのこと。

FSH(卵巣を刺激して卵胞を大きくするホルモン値)が急激に悪化しているという検査結果が出た。

それに付随して、AMH値(卵巣年齢)を調べる検査を勧められた。

そしてなんと、AMH値1.5。卵巣年齢40歳という結果が出てしまったのだ。


医師に、「妊娠できる期間が限られてるから、治療のステップアップを検討してください」と言われた。

人工授精と体外受精の説明が書いてある紙を渡された。


人工授精とは、医療用チューブを使用して排卵日に精子を直接子宮に注入する処置のこと。

痛みもなく金額的な負担も少ない。病院にもよるが、費用は一回2万円前後。

妊娠の摂理は、自然妊娠と同じ。ただ、妊娠率は10%程度とそこまで高くない。

当時妊活休業をした、森三中の大島さんが妊娠した方法である。


体外受精とはその名のとおり、精子と卵子を体の外で人工的に受精させ、受精卵を子宮に戻す方法。

人工授精に比べて精神的、肉体的、経済的な負担が大きい。

保険は効かない。費用は助成金を利用しても150万~80万円程度。

妊娠率は一般的に30%前後と、他の治療法よりも高い。

当時妊活で話題になった、東尾理子さんが取り組んでいた方法である。


医師は体外受精を勧めてきた。


展開が早すぎて、ショックを通り越して呆然としてしまった。

医師いわく、卵巣年齢は二度と若返ることはないのだそうだ。

AMH値というのは、卵巣内にある卵子の濃度から、卵子がどれくらい残っているのか調べるものである。


年齢別のAMH平均値に検査結果を照合して、卵巣年齢を算出する。

卵子は生まれたときから数が決まっていて、加齢とともに減る一方。決して増えることはない。

幸いなことに、卵巣年齢は卵子の質や妊娠率とは無関係。

卵子の質は取り出して調べてみないと分からないらしい。

そして妊娠率は実年齢であるらしい。

実年齢といってもわたしは特別若いわけではなく、36歳なのだけども。


なんてこった。

この数ヶ月の間に、卵巣が4歳も年をとってしまった。

(数値が悪化する前の卵巣年齢が何歳かは不明だけども、ホルモン値に異常がなかったことを考えると実年齢くらいだろう)


なんて日だ!!!

笑えない。

最早、涙も出なかった。


<自己否定の日々>

自分は女として失格だと思った。

生殖能力がない私に、生きてて一体何の価値があるんだろう?

夫に心から申し訳なく思った。

そして自分たちは自力で受精すらできないのかと思うと、惨めで悲しくなった。

なんでわたしがこんな目に遭わなきゃならないんだろう?

一体どこで歯車が狂ってしまったんだろう?

こんなはずじゃなかったのに。

こんなことになるなんて、結婚当初は考えもしなかった。


この時期は自分より明らかに若い、20代くらいの女性を見るのがとても辛かった。

街ゆく若い女性たち、駅で見かけるフリーペーパー、書店に並ぶファッション雑誌や美容雑誌、グラビアアイドルの表紙に写る若い女性たち・・・


避妊せずにセックスすれば、すぐに妊娠しそうな女性たち。


彼女たちを正面から見ることができなかった。

若さが心から羨ましかった。


わたしはわりと人生において後悔をしないタイプだ。

数え切れないくらいの失敗をしているにもかかわらず、「反省はしても後悔はしない」というスタンスだった。

だって後悔したってしょうがないから。


だけど、このときばかりはすごく後悔した。

なんでもっと早く妊活に取り組まなかったんだろう?

なんでもっと早く夫婦で話し合わなかったんだろう?

個人差はあるけど、男性の生殖能力は60歳くらいまでイケるらしい。

だけど女性の妊娠率は20代をピークに30歳から降下し、35歳からはガクンと下がり、40歳になると格段に下がる。

そして妊娠率が下がる代わりに流産率は上がっていく。

残念だけど、女性の生殖能力にはタイムリミットがある。


いくら見た目や考えが実年齢より若いと言われたって、36歳は36歳。

加齢は待ってくれないし、戻すことはできない。確実に年齢を重ねていくんだ。


帰宅した夫に検査結果を報告した。

妊活で落ち込んでいるわたしを見ると、夫はいつも「大丈夫だよ」と言って、手を握ったりハグをしてくれる。

このときが一番温かく感じて、じわじわと涙が出てきた。

医師に体外受精を勧められたことを伝えると、「じゃあ検討しようか」という流れになった。

だけどこのときは心身ともに疲れきっていて、もう何も考えたくなくて、妊活の話もしたくなかった。

決断できないまま、そしてクリニックにも行く気力もないまま、なんとなく年末年始を迎えた。

 

<現実逃避>

この辺りの辛い時期に、昔から付き合いのある男友達から連絡が入り、飲み会の予定を入れた。


彼らは既婚者。

何でも話せて気が楽で、一緒にいると楽しい時間を過ごせる存在。

だけどお互い深くは踏み込まない。踏み込まないことは暗黙の了解だった。

だから関係性が変化することもない。

いわば、確定した未来。

会うのは楽しみだった。現実逃避して、何もかも忘れられると思った。

思いっきり彼らに頼って優しくしてもらって、満たしてもらおうと思った。


そんな風に意気揚々として飲みに行ったのだが、予想外に楽しくなかった。

彼らの本質が見えてしまったのだ。

そして、彼らに対する自分の本質も。

お互い、上っ面だけの薄っぺらい関係。

プラス面だけを見てマイナス面を見ない関係。


一緒にいて違和感を感じたが、わたしは思わず本音を漏らした。

自分の中の深い部分。今まで見せなかった弱い自分。

そうするまでに落ち込んでいた自分。その深い部分に触れて欲しかったのだ。

だけど彼らのうちの1人に、「そんなのはあなたじゃない。昔のあなたに戻ってよ」と言われてしまった。

彼らはいつもどおりだった。わたしが変わったのだ。

「もう彼らとは会わなくてもいいな」と思った。


これはあとで気がついたことだが、わたしは彼らに逃げることで、夫に向き合うのを避けていた。

エネルギーを分散させていたのである。

本来、夫に向けるべきエネルギーを彼らに向けることで、結局は誰とも、そして自分とも向き合っていなかった。

目の前の一人の人と向き合うことは、自分と向き合うことでもある。

とことん向き合って自分をさらけ出していけば、何が起きるか分からない。

いわば、不確定な未来。

わたしは、幸せになる勇気がなかった。

目の前の一番大切な一人の人と、とことん向き合う勇気がなかったのだ。

 

<こんまり流片づけ>

そんなこんなで怒涛の12月と年末年始が終わり、わたしはまずまとまった休みを取った。

1週間の休暇を取り、「心身ともにボロボロになった自分を一度リセットして立て直そう」と決めたのだ。

わたしが取った手段は「片づけ」だった。

 

こんまりさんの「人生がときめく片づけの魔法」を参考に、私物を徹底的に片づけることに決めた。

 

服からスタートし、本、書類、小物、思い出品と順番に片づけた。

片づけはわずか半日で終わった。

 

もともと、「人生がときめく片づけの魔法」が出版されたときに1度。

そしてその後、うつ病にかかったときにまた1度片づけをしていた。

 

今回は人生で3度目の片づけということになる。

 

一度目の片づけのときにゴミ袋16袋という膨大な量のモノを派手に手放した。

それもあり、その後の片づけはとてもスムーズだった。

 

だけど今回、向き合ったモノ、手放したモノの存在は今までの片づけとは比べ物にならないくらい大きかった。 

今回の片づけでわたしが最も向き合ったモノ、思い切って手放したモノは「書類」だった。


書類の片づけで仕事関連の書類を手に取り、残す書類/手放す書類と分別していった。

その結果、なんと3つの仕事の書類のうち、2つが手放す書類に分類されたのである。

 

じっくり考えるまでもない。

時間を取るほどのことでもない。

一目見ただけで、触れただけで手放すべきものだと分かった。

もうとっくに自分の中で答えは出ていた。


ときめきは嘘をつかない。

自分の感覚は嘘をつかない。

片づけは嘘をつかない。

もう自分の気持ちに嘘はつけない。

 

自分の中ですでに答えは出ていたのに。

なぜこんなに体にムチを打ってまでがんばって仕事をしていたんだろう。

その気持ちに向き合わざるを得なかった。


わたしはセルフイメージが低くて、自己肯定感が低くて、いつも無価値観を感じていた。

だから人の目や評価がすごく気になるし、誰かの役に立たなければ価値がないと思っていた。

何かをして誰かから褒められないと、認められないと自分は価値がないと思っていた。


だから一生懸命仕事をした。

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