教員1年目の学級崩壊から倒れて救急車で運ばれた話

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著者: Junco


という油断のできない状況であることには変わりなかった。





1時間の授業でもへとへとだったが、


それを5時間授業。




休憩時間も、子どもたち同士だけだと喧嘩になりやすかったので


トイレに行く時間もなく、教室で子どもたちを見守る。




給食指導に、掃除指導・・・。





授業が終われば、個別指導の必要なそれぞれの子どもの親に、


今日の様子を報告し、


事務作業に、校務分掌に、職員会議に。




ようやく明日の授業研究や準備ができるのは


午後8時や9時を過ぎているなんて、ざらだった。




立ち歩く子どもの親の中には、


「私自身、我が子に、他の子どもにはない、何か違和感を感じていました」


と、専門家への教育相談を希望された方もいます。





「発達障害の可能性がある」


との診断を後に受けた際は、


「悲しくなるのかと思っていたら、ほっとした自分がいます。


ずっと、母親として、自分の育て方が悪いのではないかと悩んでいたんです。


育て方じゃなくて、子ども自身の個性だと聞き、安心した自分がいます。


発達障害も子どもの個性と受け止めます」



と、話されていました。






平日は0時を過ぎても自宅で


翌日の授業の個別プリントの作成準備や授業研究を行い、



朝は5時には起きて支度し、学校に行く、


週末は教員セミナーまたは、大型書店で本を買いあさり熟読


という生活をしていたら、



もうすぐ学年末の2月下旬に自宅で倒れてしまい、


そのまま救急車で搬送され、入院を余儀なくされてしまいました。





3月の修了式には、なんとか間に合う形で職場復帰し、


私の教員1年目の幕がおりました。









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