30歳を目前にして、自分が天涯孤独であることを受け入れる話
私にはもう、彼女のことを、ただ食費をポストに入れるだけの人としか思えなくなっていた。
そうして、そのうちに。
食費すらも投函されなくなってしまうのだった。
食費を得るための施策。祖父母への嘘が急激に増える。
1日ぐらい食べなくても平気。
6食ぐらい抜いたとしてもまだ大丈夫。
7食目は流石にきついかもしれない。
8食目になると動くことすらだるくなってしまう。
9食目になれば、ほとんど寝て過ごすだけになった。
そこでようやく、私は絶食が2日続くと、食費をもらいにいくという行動に出ることにした。
もらいにいく先は母方の祖父母である。
けれどここで馬鹿正直に、食費がないからお金をくれと言ってはいけない。
なぜなら母は私に対して、自分が出て行ったことは内緒にしろと口止めをしていたのだ。
母はかわいそうな人だった。
彼女は幼い頃から祖父の厳しい躾けを受け、習い事は片手以上もこなし、私立幼稚園への入園は当然、小学校へのお受験も必須な環境の中、わがままも許されない生活に身をやつしていた。
結婚すらも反対され、離婚すればそらみたことかと盛大に悪口を言われる始末。
それでも彼女は、まるで洗脳にでもあっているのか、糾弾しつづける祖父に逆らえない様子を見せていた。
彼女はかわいそうな人だった。
だから私は、そんな彼女が言うのならと、祖父母には秘密にすることを厳守したのだ。
本当はノートの一つさえ買わないのに「参考書が必要だから5千円ちょうだい」と口にした。
友達と遊ぶ予定すらないのに「遠出するから1万円ちょうだい」と口にした。
部活で必要なものはたったの1千円で買えるのに「部費を払うのに3万円ちょうだい」と口にした。
嘘を吐いて、お金をせびって、それを食費にあてていた。
誰にもなにも本当のことなんて言えずに、ただひたすらに、長男を養うためだけに。
その頃には私は高校3年生となっており、長男は高校1年生となっていた。
まだまだ多感で、思春期真っ只中にいる長男を、私は「私と同じように」させたくなかったのだ。
食も細り、学校も休みがちになり、身体にカッターを入れることが常習化し、とても健全とは言えなくなった私のようには。
それでも限界は訪れる。ネグレクト3年目で自殺。
長男が大学に合格した。
きっと引き金はそれだけで十分だったのだろう。
自殺の方法は簡単だった。
ネット越しの人間に進められるまま、精神科に通うようになった私の手元には、溜めに溜めこんだ薬の山があったのだ。
それをお酒と一緒に飲み込むだけ。
山は80錠を越えたあたりで数えるのをやめた。
ネグレクトに遭ってから、3年目、19歳のことだった。
女は終始無言を貫いた。私もまた無言だった。
一度意識が浮上した。
ぼやけた視界に、考えるよりも早く身体が動く。
起き上がろうとして、自分がそれまで寝ていたことに気づいた。
生きていることに気づいたのはもっとあとのことで、死のうとしたことを思い出したのは、それよりさらにあとのことだった。
起き上がった私は、すぐさまベッドに押し戻された。
誰かの気配がする。
けれどそれが看護師だったのか、医師だったのか、救急車を呼んでくれた知人だったのか、それともあの女だったのか、そんなこともわからないまま、意識は再び沈んでいった。
死のうとしたことを思い出したのは、次に起きたときだ。
丸椅子に座っていた女は、しばらく見ない間に、大層痩せたように思えた。
また、この人は、かわいそうなことになっているのだろうか。
そんなことを思う私に、女は言った。
「胃洗浄、したから」
ああ、この人はもう、母の顔さえ作れなくなってしまったのだ。
ごめん、の一言もなかった。
どうして、と責める言葉もなかった。
馬鹿なことを、と哀しんでくれる顔もなかった。
ただ彼女は言う。
「胃洗浄」
事実だけを、並べ立てる。
「したから」
だからどうだというのだろう。
私にはもう、彼女がどうしても母親には見えなかった。
そうして私もまた置き去りにしていく。
自殺未遂後、私は働きだすようになった。
葬儀会社の下請けで、いわゆるブラック企業ではあったのだが、高卒で雇ってくれるところもほかにないとがむしゃらに働き詰めの日々を送っていた頃だ。
きっかけは昇給の話だった。
給料が上がることに浮かれた私は、今まで思いもつかなかったような行動に出ようとする。
一人暮らしだ。
家を出て、一人で暮らそうと思った。
当時まだ長男と二人暮らしの状況で、そう思ってしまったのだ。
そして私はそのとおりにしてしまう。
5人暮らしの大層な家の中に、弟一人を置き去りにして、私は家を出ることにした。
けれどここで問題が発生する。
家を借りるには保証人が必要だったのだ。
中には保証人不要の賃貸もあったが、私が住むことに決めた賃貸は保証人必須の物件だった。
これには頭を抱える。
よっぽど自分の筆跡を変えて、保護者欄を埋めてやろうとさえ思ったほどだ。
けれどそれには保護者の住所も、仕事先も知らない。
やむを得ず連絡を取ったのは、電話帳にすら登録していない「母」のアドレスだった。
そうして私もまた置き去りにしていく。
あれだけ守ることに必死だった長男を捨てて、私は「家」から抜け出したのだ。
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