「今、ここ」に君はいる。

1 / 3 ページ

>
著者: R

2018年、14日。

一本の電話で、

あの子がもう語り掛けてくることも、笑顔を見せることもない事を知りました。



事故に遭ったと聞かされた時、なんとなく、こうなると分かっていたのに、最後まで姿を出さなかったのは、



自分が傷付きたくなかったのと、

社会的役割がもう存在しないこと。

役割を担う人が、もう存在していた事。

強くなれ、と君から手を引いたことに対する罪悪感。



もう自分がしゃしゃり出る場ではないと思ったのと、

行けば必ず、あの人を罵って、殴りつけてしまうのが目に見えてたから。



だから、ごめんね。って何度も謝って、

後の事は全部任せました。



あの子にとって、自分はどんな存在だったんだろう。


すごく中途半端で、身勝手で、嫌な奴だったかもしれないね。




しばらくは、

平然を装いつつも、もう訳が分からなくなってた。


一緒に死んでしまおうか。とも思ったよ。



ただひたすら、同じ境遇の人のブログを読んで涙を流したり、藁にもすがる思いで潜在意識について勉強をし始めたり…



そんなこんなで、一年程経って、ようやく少し落ち着いた。



あぁ、もう大丈夫だ。



って。



死は悲しいことだけど、

気持ちはいつでも繋がれてるんだって、

一年程かけて、ようやく少し府に落とせた。



それまでは両親に、自己消化をする為、たくさんの時間を貰いました。


情緒不安定になって、訳が分からない事を言いまくって、狂ったように涙を流して。

それなのに、あなた達は見守ってくれました。




君がもういない事は、本当に極一部の人にしか言えなかった。




「最近は会ってない。」




こう言ってしまえば、みんなそれ以上、ツッコミようがないからね。



もう今なら、親しい人に話す事は出来るんだけど、

わざわざ話す必要がないから、言わないだけ。



もう、大丈夫だって、思ってた。




そして、




201914日。




Twitterに飛び込んで来た悲報に、愕然とした。



その人は、

いつも笑顔で、優しさに溢れていて、

僕は、

いつもiPhoneの画面越しの彼と、彼の仲間たちの姿を見て笑っていた。



信じられなくて、

何度も何度も記事を読み返して、

今度はGoogleで情報を探す。

何度も何度も探した。



そして、

時間と、言葉を失った。

思考が停止して、頭がポカーンとする感覚。



それはまるで、昨年の1月4日と同じようでした。



でも、あの時と違うのは、平然を装うことなく、感じ切る時間と環境があると言うこと。


昨年は、人と一緒に住んでたから。

他人に自分の弱さを見せることが苦手な僕にとって、この違いはあまりに大きい。


感じ切らないうちは、或いは、対処する為に自分と向き合わない限り、幾ら誤魔化したって根底に残り続ける。



今年は、感じ切ることに専念できたと思います。


著者のRさんに人生相談を申込む