装備品は木の棒とぬののふくのままですが、人生という冒険にチャレンジしています。

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「75円切手三枚と、収入印紙800円分です」

「わかりました。ありがとうございました」

 

通話ボタンを切ると、私は一息ついた。

裁判所に電話をしたのは人生で生まれて初めてだし、もし千円少々でこの書類が受理されるのなら、内容の重さの割にずいぶんと安い気がする。

私が手にした書類は、”名前の変更許可申請書”だ。

 

名字ではなく、氏名のほうを変えるための申請書。

30年以上、読みづらく伝わりにくいキラキラネームに不便を感じてきたことに加え、この名前で生きていくことがしんどくなった。

名前という、自分が自分であるというアイデンティティの核を失って、私は一体誰になろうとしているのか。

 

 

 生きているのがあまりにつらくて、この世界に愛されていない気がした。

 ただ苦しむために生まれたのかと、ずっと思っていた。

 

 ああ、でも、たとえそうだとしても、私は叫ばすにはいられない。

 この世界に私という人間が存在したという爪痕を残すため。

 私の苦しみも悲しみも無駄ではなかったのだと。

 

 

 自分の存在を叫ぶ。問う

 身を削って、を吐いても。

 

 この叫びは、私の喉をつぶすだろう。

 けれど、誰かの心に届くだろう。

 ならば私は、世界に対して屈服してはいけないのだ。

 

 は甘い誘惑に見える。いつだってそうだった。でも私は生きてきた。そして生きていく。これからも。

 

 負けるものか。

 最後のカウンターパンチを繰り出すまで、私はこの人生に敗北を認めない。

 

 

 

●世間の壁

 

 

幼いころ、自分はとても幸せな存在なのだと思っていた。理由は簡単で、周囲の人間が私にそう言ったからだった。

だがその割に私の心はいつも不安定で、ゆらゆらと頼りなかった。小学生のころから「死にたい」と口に出すようになった。

 

私の人生を語ることにおいて両親の存在を省くことはできないのだが、両親のことを語ることによって逆に理解されなくなるというジレンマがある。

 

簡単に言えば、私は経済的にとても恵まれていたのだ。私の話を対等に聞こうとしてくれた多くの人が、私の親のことを知ると私に対する嫉妬を感じ、親に肩入れしたい気持ちになる。自分が持ちえなかった裕福さを持つ人間が、その裕福さを与えた親を非難するなんて、甘やかされた人間のわがままに聞こえるのだ。

 

平和な家庭で育った人にとっては、家族を、ましてや親を非難することそのものに抵抗があるだろう。今、家庭と子供を持ち、育てている「母」である人からすれば、親の苦労も知らないで、という気持ちになる。

私の親は人の命を救う仕事をしている。人から尊敬される職業についているような人間が、自分の子供に対して本当にそんな扱いをするのだろうか。いや、そんなことはあってはいけないと彼らは思う。

よって、親を非難することがタブー視されているこの国で、それでも相手を信じてしぼりだした私の声など、秒でつぶされる。

 

「子供を愛していない親なんていないから大丈夫」

 

子供愛していない親がいないなら、児童虐待のニュースなんて存在しないだろう。虐待なんてものはテレビの向こうのフィクションみたいに思っていて、それが自分の周囲に発生しているなんて、考えたくないのかもしれない。あるいは、そういう面倒そうなものにかかわりたくないのかもしれない。

 

世界は大変なことはたくさんあっても、それなりに平和なのだと、彼らは信じている。

その価値観に亀裂を入れそうな存在は、やんわりと彼らなりの言葉で包んで、なかったことにしてしまう。

 

実際には、右のほほを殴られた人間は、殴った相手を国ごとフルボッコにするし、加工食品会社は、それが人の健康を害すことを知っていても、お金のためにより依存性の高い商品を開発する。

製薬会社も化粧品会社も、たいして成分が変わらないものに新しい名前を付けて新発売といって売り出す。そのために、犠牲になる実験動物がたくさんいる。メディアはスポンサーのために存在するから、スポンサーに不利になる情報は流さない。政治家は自分の息子を自衛隊に入れない。

 

世の中には残酷な真実が吐いて捨てるほどあるのに、それをどうして見ないようにしているのか私にはわからない。人間の性質は本来善いものだと信じられる人のことは。

いいものだったら、戦争や犯罪は起きない。それらを抑制するための法律はいらない。配偶者を裏切らないという契約も必要ない。ちがいますか?

 

この世界は嘘つきだらけだと思うようになった。

上手に嘘をつけることが、大人になることなのだ。

 

 

前置きが長くなってしまったが、世界は平和だと思っていたい多数のために、少数の痛みはゴミ箱行きになる。多数派の勝利でこの世界は構築されている。

 

だから、私はゴミ箱の中から叫ぶ。

 

痛い。つらい。なぜ。どうして。どうして!

 

死にたい。でも負けたくない。

この痛みを、同じように苦しむ誰かに届けるまでは。

 

きみには幸せになる権利があるって。その権利を今は不当に奪われているだけなんだって。きみは生きていていいんだって。

 

 

今もきっと、家庭という閉ざされた空間の中で、自分が痛いこともわからず生きているこどもがいる。親のために自分を犠牲にしているこどもがいる。かつての私がいる。

 

 

私がきみの声になる!

 

 

 

●父と母

 

親はえらいのだと多くの人は思っている。子供を産んで、育てれば。

どんな育て方をしたのかは問われない。子供が犯罪者にでもならない限り、成人まで子育てした親は立派だということになる。それ以降の子供の人生がどのようになろうとも、子供の責任だ。

 

確かに、子供の気持ちに寄り添い、子供の興味関心を伸ばす愛情深い親は素晴らしいと私は思う。

だが、反対に子供を自分のアクセサリーのようにしか思わない親もまた存在する。

 私の幼いころの話をさせてほしい。

 

私は周囲となじむのが下手な子供だった。幼稚園は通っていない。

だから、小さい頃の大半は祖母の家で遊んで過ごしていた。母と父と過ごす時間よりも祖母の家にいるほうが楽しかったのだと思う。

あるいは幼いながらも、両親と暮らすのがつらいと感じていたのかもしれない。

 

幼いころの記憶は、のちに母に聞かされた話ばかりだが、たとえばこんな話がある。

泣き止まない私に父が怒り、怒鳴った。大声を出されて余計に泣いた私の腕を父が引っ張り、私は肩を脱臼してしまった。

母が風邪で寝込んでいても、仕事から帰ると「俺の飯は?」と聞く。

自分の実家には盆暮れ正月と妻子を連れて帰省するのに、母の実家にはほとんど顔を出さない。

 

戸籍上ではいないことになっている祖父がいる。

母は「お父さん」の話をよくした。

私にとっての祖母、「お母さん」をだました酷い男だと。

結婚する前提で祖母と恋愛関係になり、祖母は母を妊娠したのだが、「お父さん」には他に家庭があったそうだ。

 

母には会ったことのない腹違いの兄と姉がいる。

お父さんは、お姉さんのことは可愛がっていて何でも買い与えるのに、母には何も与えなかったらしい。

大学に行くにも、「女に学歴はいらない」と学費は出さないし、就職して車が必要になって、「お願いします」と手をついて頭を下げた時もとうとう買ってくれなかったと何度も言っていた。だが、母のお父さんは、母の「お姉さん」を四年制の大学に行かせたらしかった。

 

 

母は「お父さん」を憎んでいた。

若くして亡くなったが、死んでも悲しくなかったと。

 

だが、子供は本来、親が大好きなものだ。

それが捻じ曲がるほどの苦痛を受けてきたのだ。

 

生まれただけでいい。ありのままの自分で愛されているという無条件の肯定がなく、大地にしっかりとした根を張れないまま育ち、誰かに認められることや愛されることに飢えている。

結果を出すことで愛情(に思えるもの)がもらえた。がんばらなければ自分の存在に意味がなくなる。

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