追憶~ロボットと呼ばれた3歳児~(1/4)
はじめまして。
都内在住の28才、ごく普通のサラリーマンである僕は
幼稚園児の頃、約1000人に1人の病気を患っていました。
当時の想いとしては、辛いことばかりでしたが、
いまとなればよい思い出です。
この度、記憶をたどる形で当時の想いを掘り起こし、
今の視点も盛り込みひとつの物語にまとめました。
いまも同じ病気と闘う子どもたちと
そのお母さん、お父さんの支えになれば幸いです。
==================================
3才の誕生日を前にして、
物心がつくかつかないかくらいの僕は
ペルテス病と診断された。
治療には3年がかかる見込みとの宣告。
このとき、僕がことの重大さを
理解できなかったことは言うまでもない。
診察室で先生と話す間、
母は初めてみせる顔をしていた。
泣きたいほど悲しいけれども
僕の手前でこらえていたのだと思う。
よくわからぬまま家に帰ると、
疲れ切ったように母は玄関に腰を下ろした。
数日後、また病院に行くと
足に白い液体を塗られた。
何をされているのかわからない。
電動カッターが音を上げて
自分の足のうえで震える。
訳も分からず、恐怖にただ泣き叫んだ。
泣き疲れて眠ってしまったようだ。
そして目が覚めるとまた見慣れた景色。
病室にいるようだ。
何やら説明を受けた後、
妙にぴったりな機具を足に付けられた。
腰のあたりのベルト、
膝の近くのスイッチ。
どうやらこれで調整できるらしい。
家に帰っても、右足のそれはついていた。
こうして、僕の長いながい闘病生活が始まった。
(続く)
著者の川崎 直哉さんに人生相談を申込む