生きると決めた日、それを忘れた日々、思い出した今日②
当てのない旅を始めて7日目くらいの頃だったか、自転車がパンクした。
実は2日目から何度もパンクはしていたが、この時はタイヤごと裂けてしまっていた。
原因は交換が下手だったのもあるけれど、道が険しすぎたこと。荷物が多すぎたのはある気がする。
それまでの数日ですでに、千葉県から茨城、日立の山を超えて福島、そこからまた何度も山を越えて宮城、ようやく岩手にたどり着いたがまたすぐに険しい道…
どうにも厳しい道のりを超えてきてしまっていた。
田んぼがたくさんあった道、土手でギターを弾いて気分を変えた。
下手すぎて話にならなかったけれど、気分は少し上がった。
たまに車が通り過ぎるが、ほとんど人通りのない田舎。自転車屋は近くになかった。
強くなかった俺は、100キロ以上離れたやっているかどうかもわからない店のためにギターを背負い、自転車を押しながら進める自信がなかった。
勢い出ててきたから金はほとんど持っていなかった。
辛い時、人はいろいろな苦しい過去を思い出す。
俺は2年前と昨年末の不幸を思い出す。
どうしようもない不幸を思い出して、更に自分は追い詰められた。
涙が、溢れた。
その時、後ろからクラクションを鳴らされた。
振り返ると小さなトラック。
おばさんと、若者。
おばさんは、俺のところまで駆け寄ると、
5000円札を俺に握りしめさせた。
君が歩いているのが見えた。
放っておかなかった。
名前も教えてくれなかった。
そのあと、若者(息子さんだろうか?)の車に乗せられ、盛岡の自転車まで自転車ごと乗せて連れて行ってもらった。
あまりの出来事にお礼の言い方すらわからなくなって号泣、「メンタル弱っ(笑)」
なんてお兄さんに笑われたのはよく覚えている。
そこからだったか、勇気を与える側になっていたことに気づいたのは。
お兄さんに当てを聞かれ、とっさに東北を回ろうと思っていると答えた。
それまでの数日でも、千葉から来たといえば大抵の人は驚いてくれたが、その人は驚かない。
「本州一週くらいしてくれねえと驚かない」と言われた。
東日本を回ろうと、決めたのはその瞬間だったが、新潟に差し掛かる頃には本州一周することを決めていた。
そもそもこの旅は、そういうことのための旅だったから。
自分探しでもなく、友達を増やすためでもなく、イベントやら何かの企画でもなく、
自分の小ささに、向き合う為の、人との出会いで心の底から変えるための旅だったから。
俺は付け替えたタイヤで、また何度も漕ぎ出していた。
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