父との思い出、似顔絵の話

前話: 生きると決めた日、それを忘れた日々、思い出した今日。⑦

離婚されるまでの5年弱が心にまで染み付いているのは間違いない。
大きなゴルフ場にあるレストランで料理人をやっていた父は、子ども向けではないような料理もよく作っていた。
家庭的な料理も一手間加えて洒落たように変えていたのをうっすら覚えている。
当時3歳くらいだった自分には、そういう料理はまだ少し早くて、結局のところ好きな食べ物といえばガーリックトーストやベルキューブを挟んだクラッカーだったりした。
父のいる朝、(今思えばあれが日曜だったのだろうか?)
必ず自分の好きなそういう料理が出てくるのがとても嬉しくて楽しみだった。

寡黙で不器用なクセに子煩悩だった父はよくつまらな過ぎるような冗談を言っていた(死後、周りの大人にその話をすると、父が冗談を言っているところなど想像もつかないと言われた)。
現実的で、トゲというか毒というか、よく言えば子供騙しをしない、悪く言えば夢のない発言も多かった。

ある日、通い始めて間もない幼稚園で、父の日に「お父さんの似顔絵」を書くイベントがあった。
少し逸れた話に聞こえるかもしれないが、父自身はそれはもう絵が上手くて、前述のレストランで社長に気に入られて描いた絵を飾ってもらうほどであった。
そんな父に似顔絵を描いたのは曇りない眼差しと純粋な心の自分、そんな子どもにあろうことか父は「下手くそな絵」と言って馬鹿にしてしまった。

自分はというと、そのあとどんなリアクションを取っていたかはまるで覚えていないが、離婚後も数年間人の似顔絵が描けず(信号機を書いて提出したこともあった)、高校の頃授業で描かされるまで他人の似顔絵を一つも書けない人間になってしまった。
絵が得意なの自体は遺伝したようで、何の練習もせず、習慣的に描くわけでもなしに人並みよりは上手く描けていた、ただ、人の絵だけは描けなかった。

要するにトラウマになっていた。


4年半前、自分が二十歳になりたての頃、
父が死ぬかもしれないとなった時、当時引越しをした直後だった父の家は俺しか知らず、荷物の整理などもしていた。
そして、「それ」を見つけた。

本棚の中に、少し大きなファイル、その真ん中にいつでも取り出せるように、しかし大事そうに綴じ込まれているあの時の父親の似顔絵が、あった。



父さん…
そう呼んであげることすら叶わなかった。

似顔絵、描いてあげたかった。
歌も聞かせてあげたかった。
親父が聴かせてくれた曲、これが歌えたらプロになれるよって言われた曲、ライブでアカペラで歌ったら人が泣いたことすらあった。

聴いて泣いてくれよ。

俺はあんたの、大事にしまっていたその下手くそな似顔絵のせいで
ボロボロに泣いたんだよ


あの日の涙は、忘れようがない

その時、見渡した父の部屋にある家具が、15年以上前家族が4人でくらいしていたときの家具を多く含んでいたこと、
ようやく気づいた。

わかったことは、
「人は死ぬ
だから
俺たちはもう少し、もうすこしでいいから
素直にならなくちゃいけない」

と言うことだった。

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