俺が化学をどう学んできたのか?その1

前話: 超貧乏な人間が、そこからどうやって抜け出すか?

化学の勉強に関する俺の経歴は異色だ。

たまたまそうなってしまっただけなのだが、だが異色であると思っている。
大人になってしまった今、そのアドバンテージは大きいことがわかる。
さあ、俺が化学をどう学んできたのか書いてみよう。

中学生の頃、理科の中で一番嫌いなのが化学だった。
当時は化学という言葉も知らなかった。
心の中では「CH3COOHのやつ。」と呼んでいた。
俺はそれに全く関心が持てず、こんなものを覚えてどうするんだろうか?と思っていた。
工業高校に進学することが決まって、化学科だけに女子がいることを知った俺は、それだけの理由で化学科に進学することになった。
そして初めての化学の授業で「CH3COOHのやつ」を目撃したときに「CH3COOHのやつ=化学科」が結びついてしまい、なんてことをしてしまったんだろうかと後悔したのを覚えている。
だが、当時の俺はそれよりもはるかに重要である隣の席の女子のことを早く知りたかった。
俺らのクラスには女子が6人しかいなかった。
女子は一番右の列に座っていたのだが、俺は出席番号的に女子の横に座ることができた。
また、俺は学習委員になっていたので、もう一人の学習委員である違う女子とも話す機会もあった。
女子からのある程度の人気も得るためには、化学を勉強しないというわけにはいかなかった。
俺らはみんな化学を勉強するために、この教室に集ったのだから。

工業高校の授業のコマ数をご存知だろうか?
大学のように専門科目の割合が高い。
平均すると半分かそれ以上が専門科目、俺の場合はそれが化学だった。
工業化学、化学工学、工業数理、化学製図、化学実習など、1日の半分を化学の勉強に費やすのである。
特に実習という科目はびっくりで、週に1度、1限から6限までずっと実験して過ごすのである。
一番最初の実習は実験器具のスケッチだった。
フラスコや試験管、複雑な冷却器や、珍しいるつぼマッフルなどをスケッチし、実験器具のポイントがつかめていないと×になる。
普通高校の生徒なら、ものの30分で済ませるだろうことに、6時間も割いていた。
いやいや全てがゆっくり丁寧だった。
普通高校では、正しいガラス器具の扱い方の説明など一瞬で終わりだろう。
というより先生も、ガラス器具の使い方など詳しくないと思う。
でも、工業高校生はガラス器具の洗い方、置き方、持ち方など事細かに習うことができた。
また、液体に関しても、普通高校では「液体」で終わりなのだが、工業高校では液体の重さや粘性なんかを想像させるような工業的な「液体」を扱うことが多かった。
反面、コロイドや結晶格子という単元は存在しておらず、受験の際に独学を強いられたが、その当時はすでに研究所に配属されており、自分で実際に実験しながら目で学んでいった。

大学に行こうと思って初めて模擬試験を受けたとき、化学の偏差値が50で化学科なので全国1位だろうと思っていた俺は少し動揺してしまった。
だが、化学科であることを心の支えにして勉強を続けた結果、偏差値が上がるのに時間がかからなかった。
合格した年の1年間は、化学だけは県で2番になったことがなく、また全国でも100番を超えたことはなかった。
一番際どかったのが、代ゼミで全国97位、河合で全国96位というのがあった。
詳しくはもう覚えていないが、偏差値がずっと80いくつくらいな感じだったはずだ。
とにかく市販の参考書を読みまくって、抜けているところをガンガン覚えまくった。

つまりは、である。
基礎をゆっくりゆっくり習って、あとは受験のために独学で覚えていった俺の勉強方法はきっと誰とも同じではないはず。
しかもである。
受験生なのに、実際に実験器具に触り、試薬を使いながら勉強していった俺の化学は日本の先生の中では唯一無二だと思っている。
勉強はピラミッドの形であることが好ましいと思うが、俺のピラミッドは基礎の部分がめっちゃ広いタジン鍋のようなピラミッドなのである。

つづく。

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