イヤでも身につく”使える英語力“  4. 仕事と英語(2) 誰でも得られる英語の果実 4.1.3 英語のメリット

前話: イヤでも身につく”使える英語力“  4. 仕事と英語(2) 誰でも得られる英語の果実 4.1.2 英語の必要性
次話: イヤでも身につく”使える英語力“  4. 仕事と英語(2) 誰でも得られる英語の果実 4.1.4 英語力の証明
著者: Karl Kamamoto

日本語だけではおそらく遭遇しなかった人々が私にはたくさんいます。その何人かを思い出してみます。

 

サムエル・ワンジル選手

2008年北京オリンピック、男子マラソンの優勝者です。ケニアのナイロビを訪問中の2009910日に日本大使館で遭遇しました。その時の様子はインターネットのホームページ(https://www.office-ktk.jp/)にも掲載しています。しかし、この本を書いている1ヶ月ほど前の2011515日の彼の訃報をテレビで知りました。心より冥福を祈っています。

 

ラウレル・フィリピン副大統領

1992726日、当時のフィリピン副大統領のサルバドール・ラウレル氏が彼の自宅で私的な音楽会兼パーティーを私と私の友人のフィリピン人弁護士の2名のために開いてくれました。写真はホームページ(https://www.office-ktk.jp/)に掲載しています。

私がある木工会社のフィリピン進出を支援して頻繁にフィリピンを訪問し、その会社の工場落成式で私が副大統領の通訳を務め、仕事がひと段落した後のことでした。

招待者は企業進出の窓口になった日本人の私と現地フィリピンの私の友人の弁護士、J. G. チュン氏だけでした。

ラウレル副大統領の趣味一つはヴァイオリンを弾くことで、彼が弾いてくれたのは彼の父親がイタリアの大統領からプレゼントされたヴァイオリンの名器の一台であるストラディ・ヴァリウスでした。

私も返礼に下手なギターを弾いたことを覚えています。

ちなみに、彼の父親は第二次世界大戦終了当時のフィリピンの大統領、ホセ・ラウレル氏、で日本に対する戦後賠償請求を破棄して日本を助けてくれた人でした。サルバドール・ラウレル氏は戦後、日本に留学し、当時、平成天皇と席をならべていたそうです。

 

アウォリ駐日ケニア大使、他アフリカ中央東部諸国の駐日大使

20066月にはケニアからの駐日大使であったアウォリ大使に私が要請し、尾道大学で講演していただきました。また、201011月、アフリカのウガンダからの駐日大使であるビリグア大使に尾道大学で講演いただきました。

私はこれらのアフリカ諸国からの駐日大使を20088月にビジネス視察目的で中国・上海の㈱青藍にご案内したこともあります。

他のアフリカ中央東部諸国の駐日大使としてはタンザニア駐日大使やルワンダの大使に何回もお目にかかりました。

アフリカ諸国の大使は単なる政治家、官僚ではなく一般企業出身者が多く、音楽やスポーツなどでも第一線で活躍している(いた)人が多いです。

 

仕事という共通課題があるからお互いが必要なのですが英語がなければこのような関係は存在しませんでした。その意味からもこれも英語スキルから得た果実でしょう。もちろん、英語と言う共通項以外に関係継続にはお互いに誠意と努力が必要であることも言うまでもありません。写真はホームページ(https://www.office-ktk.jp/)でご覧ください。

毎週火曜日に連載中です。

写真データ、写真資料は以下のサイトを参照下さい。

https://www.facebook.com/kamamototsuguru  


著者のKarl Kamamotoさんに人生相談を申込む

続きのストーリーはこちら!

イヤでも身につく”使える英語力“  4. 仕事と英語(2) 誰でも得られる英語の果実 4.1.4 英語力の証明