新橋駅のガード下のこの窪み

著者: Matsui Takahiro
新橋駅のガード下のこの窪み。思わずスマホを取り出してシャッターを押した。焼き鳥屋の脂ぎった煙と、溜まったごみが発するすえた臭いが混じりあって、バンコクの下町の路地裏と同じ臭いがした。
あー、バンコクの路地裏の臭いって肉が焼ける臭いと腐ったゴミの臭いのブレンドなんだと今更ながら妙に納得する。あのOtaku Boyの笑みからはほど遠い苦笑いをこの窪みの前でこぼしてみた。
新橋駅の通路の向こうから、包装を取り除いたコンビニのおにぎりを手掴みにして、むしゃむしゃ食べながら歩くうちの息子と同じくらいの年格好の少年とすれ違う。おにぎりが握られている左手も口の回りもご飯粒だらけだ。この子の右腕は肘と手首の間くらいの場所で途切れている。
小学校の頃、2年くらい上の学年の女の子にこの少年と同じような腕をした子がいた。その女の子は、当時問題になったサリドマイド剤の影響で先天的に右腕の半分が欠損していた。肘から少し伸びた腕の小さく丸まった部分には十分に発達できなかった指の痕跡がイボのようにくっついていた。
その子はそのイボのような指の痕跡を目立たなくするためだろうか、欠損した腕はいつもストッキングのような薄茶色の布で包まれていた。とっても元気で男勝りのかわいい子で、時には男子をやり込めるほどの利発な子だった。
それでも時々は半分しかない腕のことを同級生の男子に囃し立てられて、涙を流している姿を見かけた。2年も学年の上の男子に立ち向かっていく勇気も力もなくて、涙を流すその子を何度となく少し離れたところから眺めていた。
ある日の帰り道でも、その女の子は男子に囃し立てられて、初めは元気に立ち向かっていたのだけれど、最後はやっぱり泣かされて、片手で涙を拭っていた。僕は少し後ろから、小刻みに揺れる赤いランドセルを見つめていた。
その日はポケットの中に飴が3つくらい入っていた。その飴を女の子にあげようと少し歩を早めたのだけど、いじめられてる時に何もできなかった言い訳のような気がした。そんな気がしたら、あとで飴をあげるって行為がものすごくいやらしいことのような気がして、嫌な気持ちになった。飴はなぜかエロ本がいつも捨てられている竹藪に投げ捨てた。
新橋駅の通路を歩きながら、口のまわりを米粒だらけにして、おにぎりをむしゃむしゃ食べる男の子とその前を歩くお母さん。二人にとっては当たり前の日常なんだろうけど、僕にとっては何とも言えない光景だった。
ホームに降りる長いエスカレーターの、一番下のステップが吸い込まれるところのパネルのあたりでは、誰かが吐いたピンク色のゲロが波打ち際でくるくると回る泡のように撹拌されている。
その少し上のステップでは若い女の子が撹拌されるゲロを背にして、ひとつ上の段に立つ彼氏に抱きついて彼のお尻を鷲掴みにしている。
エスカレーターの終わりでくるくるかき回されるゲロのように世界もぐるぐる回っている。
はるばる日本にやって来たOtaku Boy。駅でおにぎりを食べる男の子と、片手で涙を拭う女の子。そして、回るゲロを背に彼氏のお尻を掴む恋する女性。
こういうそれぞれの関係なく、たわいもなく、意味のない、それでいてなぜか心を残さずにはいられないお話をいつか書いてみたい。
あ、フィリピン革命の話もだけど。。。

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