ゲーマー野郎が一人アカペラでYouTubeの再生回数100万回、そして本気でグラミー賞をめざすまでの話 PART 2

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著者: よう いんひょく

ゲーム「モンスターファーム2」をきっかけに

急速に音楽が好きになり始めました。
好きな曲がどんどん増えて、特に「鈴木亜美」さんの「Be Together」、「L’Arc~en~Ciel」の「STAY AWAY」、「ゴスペラーズ」の「ひとり」を凄まじく好きになったのを覚えてます。


相変わらずゲームもやりまくっていましたが、歌が上手くなりたいと思い始めたのはこのときくらいからです。

 

歌を始めた理由は、モテたいから

鮮明には覚えていませんが、カラオケに行ったとき「好きな女の子に歌うまいと思われたい」と思っていました。


カラオケで主に歌っていたのはJ-POP。

韓国のカラオケにはすごくたくさんのJ-POPがあって、友達も僕の影響で「L’Arc~en~Ciel」とか「CHEMISTRY」とかが好きになり、カラオケで一緒に死ぬほど歌っていました。

今考えると、彼らは言葉も分からないのに、よく覚えたもんだなと思います。


どんどん歌を歌っているうちに、うまくなりたいと思っているうちに、いつのまにか洋楽に流れ着いていました。

Boyz II MenやWhitney Houston、Mariah Carey、Backstreet Boysなどを聴いていました。

当時、僕はちょっとイキっていたので「音楽聴く人は洋楽聴かなきゃだめだよ」とか「ビートルズ聴かないやつは音楽分かってないね!」みたいな。ことを言っていました。

うっとうしいクラスメイトですね。

たいして聴いているわけでもないのに。


中学卒業後、高校では、"重唱団"(合唱団の一回り下の規模、とでもいうのでしょうか)に入りました。

ハモるのは「Something Else」を聴いていたときから好きだったし、「ゆず」や「ポルノグラフィティ」、「CHEMISTRY」などを聴いていて、高校の頃にはすっかりハモることがメインのボーカルを歌うことと同じくらい好きになっていました。


僕は声が周りの人に比べ低めだったので、重唱団ではベースパートをやっていました。

「ゴスペラーズ」が「アカペラ」というアルバムを出していて、それがすごくかっこよくて、そのアルバムのベースパートを家で一人でなぞっていたりもしました。

どこかで発表するわけでもないし、誰かに見てもらうわけでもないのに、自分ではすごくうまいと思いながら、一人でもくもくと歌っていました。

(そんな勘違い野郎は、重唱団の先輩たちから音程が合っていないと散々怒られていたもんです)


音大に行くための戦い

歌が上手くなりたい一心で、いろんな声の出し方を調べていましたが、このときは重唱団にいたこともあり、"声楽"の歌い方にハマっていました。 

ハマっていたと言っても、音楽学校でもなんでもない普通の進学校の高校生だったので、主な情報源はインターネット。 

ネットの情報は今に比べすごく少なかったし、どこまで本当かも分からないですが、とにかく一人で考えるよりはいいだろうと、いろいろ調べていました。

腹式呼吸がどうのこうのとか。ヘッドボイスがどうのとか。

(なんとなくカラオケがうまくなりたい、というくらいだったので、ボイトレなどは行かず、とにかくお金をかけず情報を集めたがっていました)


でもやっぱり、個人トレーニングの効果は薄いし、文字だけだとよく分からない。

そこで親に言い出したのが、「音大に行きたい」でした。 

ゲームばっかりやっていて、学校でちょっと合唱をやっているだけのやつが突然。ねえ。

やっかいな息子の相談ですよ。


今は行かなくてよかったなぁと思っているんですが、そのときはとにかく声楽家になりたがっていました。 

案の定母親は反対。

母親が音大出身ピアノ専攻だったこともあり、「声楽専攻の同級生でクラシックの本場イタリアに留学した人でも、声楽家として食っていけてる人なんて全然いない」と。

「男の子が音大行ってもなにもない。イタリア留してってきて、イタリアン料理屋さんを開いているとか、そんな感じだ」と。

今思えば、本当に正しいことを言ってもらっていたし、実際本当に厳しい世界なんだと思います、声楽家の道というのは。

実際自分が知っている声楽家もほんのひと握りですしね。

 

だけどそんなことはよく分からないし、あらゆる自己啓発系の言葉にそそのかされている僕は、反抗し、本当にたくさん喧嘩をしました。

ただ、僕の母親はすごくファンキーで、ある日の深夜なんて、大きく喧嘩をしたあと僕が自分の部屋にドカドカと戻っていったら、普通に警察を呼ばれていたこともありました。

(最初は近所迷惑で誰かが通報したのかなと思いましたが、「こんな息子いらないから連れてってくれ」っていう理由で、母親が通報していたのでした(!))

警察もそんな理由で呼ばれてたまったもんじゃない。「まあまあお母さん」というくらいしかできず、その場をおさめるために、「君も早くお母さんに謝りなさい」と言う始末。

そこでなぜ自分がなだめられるのか分からず、悔しくて泣いたのを覚えています。


本当は息子に音楽をやらせたがっていた母親

今思えば、母親は僕が小さい頃は音楽をやらせたがっていたと思います。ピアノをやっていた記憶があるので。

まあ、よくある"やらされていた"というやつですし、物心ついたときにはすでに弾けなくなっていたので、すごく小さいときで、すごく嫌がっていたんだと思います。

でも一応、そのときの経験が音感に影響があるのかもしれません。 

しらんけど。


ゲーマーの始まりだった小学校4年生の頃、なぜかたまにピアノを弾きたくなるときはありました。

"フロッピーディスクを入れると鍵盤が動き自動再生されるピアノ"が家にあって、鍵盤の動きを見ながらがんばって覚えて弾こうとしていたときもありました。

そのピアノの中に、「Take the ‘A’ Train」という曲が入っていて、特にその曲を練習していました。10年後にジャズスタンダードだと知る非常にかっこいい曲です。

ただ、そんなんではまったく弾けるようにはなりませんでした。残念。


ピアノやっておけばよかったって大人になると思いますよね。


母親との喧嘩は、続きます。


※あ、今思うに、ボイストレーニングは実際に受けたほうが圧倒的に効果があります(笑)

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