Hi-STANDARDの音楽に魅せられた中学生が15年後ライブハウスのブッキングマネージャーになった話

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M本さん
新人のスカウトを探してる。お前おもろいから明日、本社来いや。

ちなみにこの会社、知らない人が日本にはいないだろう超一流企業だった。

お笑いがメインだがレーベル業務に力を入れて行きたいって感じだった。

次の日、年に1回着るか着ないかのスーツを着て神保町へ向かった。

ちゃんと書き直した履歴書を持って。

バカでかいオフィスビルの入り口でタバコを一服し気持ちをおちつける。

入り口のきれいなお姉さんに、あのーとわけを話す。そして会議室へ通された。

すると、会社の中でも重要なポジションぽい人達が座っている。

あとでわかったんだけど、取締役、取締役、どっかの社長、M本さんだったらしい。

そして挨拶を済ませると、

【じゃあ今後の音楽業界をどうしたいか話して下さい。】て言われた。

えぇぇぇぇぇ無茶振りキター!!!!!!!!!!!!!

このとき自分、21歳になりたてほやほや。

こわい物なんて虫と幽霊くらいだ!そこで1時間だったか2時間だったか、今の音楽業界はクソだ!俺が変えてやる!!!てノンストップでやってしまった。。しかもホワイトボードまで駆使して。

というわけで受かった。笑

そこからはライブに経費で行きまくりデモCDを集めまくり、たくさんの土地にライブを観に行った。時には鈍行電車で地方に行き、最終新幹線に乗って、しかもくそ重たいビデオカメラを担いで。でも楽しかった。

月に1回のプレゼンの為に資料もたくさん作った。

このときPCも大体自力で覚えた。請求書のだしかたとかも!


STUDIO勤務

毎日毎日芸能人や大物ミュージシャンや会社社長とお話する日々がはじまった。

とても勉強になる事ばかりで刺激的な毎日だった。

ただ品川まで毎日車で通っていたし給料も多いわけではないので、想像の通り極貧生活だった。

電車がある時間には仕事が終わらないので。

仕事後もM本さんが業界のいろんな話をしてくれた。会わせたい奴がいるといってたくさんの"面白い人達"を紹介してくれた。

面白いっていうのは、お笑い的な事じゃなくて、

【こいつ(の人生)おもろいでー!】て事だ!

それなりにマジでキレられたり怒られたりたくさんしたけど、今いい思い出として残ってるのはホントに感謝してるって事だと思う。

この頃出会った某SNS会社の社長もいまだに連絡をくれる。

こんなただのライブハウスのブッキングマネージャーなんかを気にしてくれてるとても尊敬する人の1人です。

ある日、A&Rの上司に


上司
お前V.Aつくれ
自分
へ・・・?
上司
新録でディレクションしてV.Aつくれ!



マジか。遂にCD作れと言われた!!やってやる!!

大好きな地元バンドマン達にオファーし、

毎日夜中も働き詰めで、レコーディングエンジニアとあーでもないこーでもないと進める業務は楽しかった。そこでレコーディングの事も少しだけど学べたし、効率がいいRECのしかた、MIXとは、マスタリングとは、TDとは。音楽の仕事が少しわかった気がした。

CDが完パケしてからの、宣伝、流通、出版、入稿、ライブ制作

これも自分でやった。この頃の自分は頑張ってたとぶっちゃけ思う。笑

わからない事ばかりだから楽しかった。

このとき出来たCDが『HOMIES』

そのままイベントタイトルにした。

はじめてのイベントはクラブチッタ川崎

今考えると意味不明だ。1300人収容のデカ箱。

あの当時は何でも自分で出来ると思ってがむしゃらだったから、ブレーキがついてなかったんだと思う。もちろん死ぬ程大変だったし大赤字だった。

【もおイベントなんてやらない】て思った。

ライブハウスの世界へ

違うチームに入れと言われた。

たぶん出世的な感じだったと思う今考えたら。

でも音楽の仕事が出来なくなるかもしれない。

ここで5年頑張れば色々みえてくるだろうとかいろいろ考えたけど、音楽の仕事がしたかったので『やめます』と言った気がする。

ビジネスミュージックじゃなくてミュージックビジネスがやりたかった

(ここテストにでますよ!!赤線ひいて!!)

元からイベントを組むのが好きだったのでひょんな事からライブハウスで働く事になった。

この頃出会ったのが"絵描き"の女です。夢をみてるやつと夢の話したのはじめてかも知れない。

大事な仲間です。

今自分を支えてくれてるのは仲間の存在が全てですね。

それまでの自分は何でも1人でやれる!やってやる!!

頼れる仲間みたいな存在が一人もいませんでした。

でも今はたくさんいます。夢を語れる仲間が。

夢を叶えて、まだまだ先を見せてくれるやつらもいる!

あのオナナナーてバンドがそうですね。笑

なんだかんだM○Hには10代で出会っています。

軽音部時代です。

はじめてみたときバンドやめようって思いました。笑

かっこよすぎて。

V.A "HOMIES"を作るってなった時も、レーベルに入ってて参加出来なかったけど、ライブのMCでたくさん宣伝してくれたり、DEAD POP FESでDJで誘ってくれたり。ホントに感謝してる!いつか恩返したい。焼肉とかで。

他店のブッキング、渋谷の金髪もそうですね。

あいつがいなくちゃ自分ココまでやれてないです。ライバルで弟だと思ってます。

そういう大切な出会いがたくさんありました。これからもたくさん面白い奴に出会えるようにガンガン攻めていきたいですね!

で!ライブハウスでのブッキングですよ!!

全然やり方わかんねー!!!

だって教えてくれる人いないんですもん。ブッキング俺しかいなかったし。

でも、用は出演してほしいバンドに声をかければいいんでしょ!?て思ってた俺は鬼の用に出演依頼を出しまくる!!24時間だしまくる!!ライブ行きまくる!!

面白い事もたくさん出来たと思う!!

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