Hi-STANDARDの音楽に魅せられた中学生が15年後ライブハウスのブッキングマネージャーになった話

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山嵐やMINOR LEAGUE。自分が10代で憧れていたバンドさんにも出演してもらうって、一つの夢も叶えられた。

でも実際問題ブッキングライブが難しいんです。

HOMIESはやっぱさくさく決まるんですね!!"いいイベント"の枠なんですよたぶん。

でもライブハウスを支えるのは地元の若いバンドなんですよ。やっぱり!!

自分的にも新しく出会ったギラギラした奴らと頑張りたい!って思ってたし。

だから若いバンドを誘ったり、みつけて来たり、いろいろしてみたけど全然うまくいかなかった。正直悔しい思いばかりでした。

この頃からDJで誘って頂いたり夜の渋谷の遊び方も覚えて行きました!DJ練習した事無いのに!!

いろんな場所へ行って。自分を、箱を売り込む。

そんな毎日でした。それしかやれる事がわからなかったから。

まー麻雀は相当やってましたけどね。笑

おやじ死す



簡単に説明すると親父が酒飲みすぎて死にました。笑

本望でしょう!笑

このころ働いていたライブハウスをやめました。

自分でイベント組んだりしてみよう!!と思っていろいろやりました。

海の家でやったりもしたし、好きなライブハウスでやったり。

でもはたからみたら中途半端な感じだなーとか思いながら毎日飲み歩いてました。

そしたら現上司から、【うちこないー?】て言われたので、親父も死んじゃったし、しっかりしようと思い、入る事になりました。

今の職場です。

自分のやり方の筋を通す

今のライブハウスに来て来週でちょうど3年です。

ブッキングマネージャーに任命されたのはまだ半年前くらいです。

【ブッキングマネージャーとはこうあるべきだ】

そういうのはやっぱりあります。自分もどちらかというと昔気質な仕事をするタイプなので、思う事もあります。

例えば、ブッキングマネージャーは店にいるべきだ。

間違いないと思うんですが、自分バンドマンだったら

『ライブも観に来ない奴にライブなんて誘われたくない』

絶対思うんです。

てか好きなんだから観に行きたいしね!直接観て誘いたいし。

だから自分は全国各地どこにでも出没します。

【自由でいいね】

よく言われます。どこにでも出没するので。DJもするので。

でもね、自由なわけないですよ。この仕事。24時間電話なりっぱなしですし、例え酔っぱらってても大事な連絡の時には素面に戻れなきゃいけないですし。

自分のやり方通させてもらってる以上"売り上げ"は絶対落としちゃ行けないんです。

なんの仕事でもそおですよね。

ライブハウスていうのもイメージがふあふあしてるだけで会社なんです。

横浜のライブハウスのブッキングマネージャーて看板しょってるわけですから、バンドマンよりバンドマンらしくがもっとーです。

STOMPIN'BIRD/OVER ARM THROW/NUBO

横浜の先輩のライブをみると涙が出るんです。

ぶちあがったらMOSHしちゃいますし。笑

でもそれでいいんです。ずっとそうやってきたんで。

そうやって6年前にはじめたHOMIESというイベントは、2013年9月現在で95回やってます。

来年頭には100回目を迎えます。すげー祭りにしてやりますよ。

最後に


ここまで読んでくれてありがとうございました。

暇なんですね。笑

Hi-STANDARDの音楽に出会ってこの業界にいる。

それは間違いありません。だから一番好きなバンドはハイスタです。一生。

この話を読んでライブハウスて場所が少しでも理解してもらえたらうれしいです。

"変な髪型のTATTOOはいった酔っぱらい達がなんか柄悪そうにしてる場所"

これは間違いないんです。笑

でもみんな筋の通ったかっこいい奴らだと思いますよ。喧嘩もほっとんどおきません!たぶん道歩いてた方が遭遇します。

自分はライブハウスで学校で教えてくれない事をたくさん学びました。ほんとに。

もしライブハウスに行った事がない人がいたら、横浜の中華街、マリンタワーの裏のライブハウスに来てみて下さい。

そこには非日常があります。酒でも飲んで笑いましょ-!!

非日常をこれからも創り続けます。

読んでくれてありがとう。

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