top of page

13/10/16

高専時代はオタクな学生会役員

Image by Olia Gozha

なんだこのスピード感。そしてまたダメになる僕。

僕が入ったのは情報工学科。主にソフトウェアとハードウェアの両面からコンピュータはどうやって作られ、動作し、利用できるのかを学んだ。

当然ながら1,2年次は専門的な授業は少なく、一般科目が中心だったのだけど、最初の一年で数学Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ、二年で数学A,B,Cをやってしまうというとんでもないスピード進行。それと同じ比重で英語の授業もあった。あっという間に落ちこぼれる僕。

勉強以外はと言うと、入学早々入ったソフトウェア研究同好会はただのゲーム好きのたまり場といった感じでゲーム三昧な日々に溺れてしまう意志の弱い僕。

もうホント、ダメダメでした。。。

2つ目の転機。学生会活動

そんなさなか、一年次の冬に2つ目の転機が訪れる。

時期学生会役員の選挙があったのだが、毎年基本的には会長立候補者が他の役員(副会長とか会計とか)も一緒に引き連れて行う感じで、各役員に立候補するのも一人だけ、つまりは形だけの出来レースである。僕らは信任票を入れるだけの簡単なお仕事。

だが会長に立候補した学生は他の学生からの評判が非常に悪かったらしく信任票がたいして得られず落選。会長が引き連れた学生たちは当選したのだけど会長が落選したので皆辞退。非常にマズイ事態になった。

僕のクラスメイトにも役員に当選しけど辞退した奴が居て担任の先生はおかんむり。ホームルームで無責任だと説教しつつ、他のクラスメイトはこういうのをどう思うかと聞いてきた。教室内は嫌なムードで誰もしゃべらない。

僕も自分が信頼する人間の下でなければこんな面倒くさいことやりたくないと思ったので正直にそのことを伝えてみた。当然ながら担任は不満顔。あんまり言い返してこなかったけど。

それから数日後の放課後、ソフトウェア研究同好会で仲の良かった先輩から携帯電話に着信。

「学生会興味ある?」

「あー・・・あります。」

「んじゃ教員用の談話室に来て。」

なんか面白そうなことになってるなと思って行ってみることに。

談話室に入るとそこにはちょっと変わった風景があった。学生指導をしている先生と、僕と面識のない学生数名と先輩。そして出前の寿司である。


まぁ食えと先生(物理担当・学生指導担当・色の入っている眼鏡)に促され食べ始める僕ら。

先生はあらためて現在の学生会の状況とかを話し、よろしく、と。

まぁ寿司食わせてもらったし、と皆了承した。(そんなんでいいのか・・・)

僕としても先輩は面倒見のいい人で結構お世話になってるし、担任に無責任なやつだと思われっぱなしなのも癪だし、と思い了承。

選挙でも無事に信任を得て学生会役員となる。ちなみに書記。字は下手だけど。

楽しかった日々

学生会はやることもそこそこ多かったけど物凄く楽しくて、授業以外はほとんど学生会室に入り浸っていて、何かしら作業をやったりゲームをやったり趣味のプログラミングをやったりしていた。あと鍋やったり。

結構皆自由に学生会室を使っていて、ある学生は教授から古いiMacをもらってきてそれにTV用アンテナをつけてテレビにしたり、漫画や古いゲーム機を持ってきたり、近くのドラッグストアから安いカップ焼きそばを大量に買ってきて食費を削ったり、などなど。僕は学校のゴミ捨て場にあった古いPCを幾つか持ってきてパーツを組み替えてなんとか動く物を一台用意してみたり。

とにかく毎日が楽しかった。

学生会で学べたのは人をまとめること・使うこと。各部活動の予算に関連していろいろ取りまとめ・交渉とか。学園祭等のイベントの運営とか。基本的に自分が動かないと周りも動かないし、逆に自分だけがやりすぎてもだめ。

二年目では副会長になり、三年目は会長を打診された。

だけど僕はそれを断った。

なぜなら会長になると留年するというジンクスがあるからだ。

ちなみに一年目の会長はその通り留年し、二年目の会長は既に留年している状態で会長になった。

そして僕はあまりにも勉強をしていなかったためその時点で既に落とせる単位をギリギリのところまで落としていた。あと一つでも落としたら留年。このままじゃジンクスとか関係なく留年する・・・。

そこでまた高専受験の頃のような日々の開始です。こんな事になるならはじめからやっとけよって話ですよね。何とか頑張って落とした単位も取り直し無事に四年生になれた。耳が悪いので英語のリスニングは半ば運でした・・・。

4年になると専門科目がだいぶ増えて僕には非常にありがたかった。好きなことは苦もなく勉強できるというか、わりと頭に入るので。この頃から就職も意識し始めインターンにも行った。インターンできた仲のいい友達とは今でも付き合いがある。インターンでは趣味と実益を兼ね、デスクトップマスコットキャラクターを作っている会社に行った。

五年は卒業論文に四苦八苦しつつも何とかやりとげた(若干教授のお情けなところもありますが)。

そして就活である

就職活動では高専に来ていた求人票からいくつかの企業を受けた。プログラミングが好きだったので、できるだけ開発かそれに近いところに居れることを基準に。大きな企業は最終面接で落とされたりして結構へこんだけど縁が無かったのだと気持ちを切り替えた。そして入社したのは小さな独立系開発会社。

級友はというとちゃんと企業のホームページやリクナビなんかを使ってメーカーに入っていった。

のちのち、この適当な就職活動をした自分を恨むことになるのである。

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」

情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般...

大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。

今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ...

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1

僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で...

あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。

「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と...

あのとき、伝えられなかったけど。

受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分...

ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話

爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと...

bottom of page