今の自分は教育会社の代表取締役、大学で講師も。高校時代はまわりは東大や医学部、脳みそまで筋肉で体育受験そして2浪。【後編】

前話: 今の自分は教育会社の代表取締役、大学で講師も。高校時代はまわりが東大や医学部な中、脳みそまで筋肉で体育受験そして2浪。【前編】

予備校の先生に憧れ、塾講師に!

さて、お待たせしました。後編です。
私の人生を変えてくれた代ゼミの化学の先生。
本当に素晴らしい授業でした。ホンモノの化学でした。
『大学受験なんてかんけーねー!!!』という授業。
生の授業ではなく、代ゼミ本校の授業を福岡校で映像で見るという授業でしたが、
それでも、毎回毎回、一番前の席を取るべく、朝早くに並んだものです。

おそらく、いわゆる、ただの授業で一番前の席から埋まって行くのは、
日本で代ゼミの人気講師の授業だけだと思います。
代ゼミ本校の授業では、一番前の席を取るために、始発でくる人もいるくらいでした。
実際、私も大学時代、大学受験のための勉強ではなく、
『教える』ための勉強のため代ゼミに通っていました。
意味わからない時間に電車のって代々木に行ってました。

そして、大学に入ったら、必ず塾講師のアルバイトをすることを考えていました。
時給がいいとか、そういう理由ではなく、ただただ、教育というものに携わりたかったのです。
予備校の先生に憧れて。
もちろん、時給も高く、大学3年生まではバブリーでしたね^^

4月に入学し、5月末には某上場企業での塾講師となっていました。

憧れの塾講師。張り切って、毎日のように行っていました。
グループ授業と個別授業が併設されている塾だったので、
担当するクラスが増えたり、担当生徒が増えると、
とても、やりがいがあって、のめり込んでいきました。

しかし。
最初は、熱心な先生。一生懸命な先生。生徒からも信頼を得られる先生。

となっていくのですが、いればいる程、
企業の体質の不十分さと、『教育』ではなく『経営』になっている中身がよく見えて来て、
細かいことを言っていると、煙たがれる存在に。

いまでも覚えている、一番本当に『ありえない!』と感じたのは、
受験の時期に、毎日のように○○校舎、○人、入塾!!!というFAXが、
本部から送られていたことですね。
生徒の受験よりも、各校舎の入塾者の方が重要なのかい! と・・・

本当に、予備校の先生に憧れ、
ホンモノの教育。ホンモノの学問。というものを『教育』として伝えたかった僕は、
だんだん塾講師をしていくのが辛くなりました。

当時から、もう、これは、自分で塾を開くしかない!!!と言っていました。

生徒のことではなく、経営なことばかりな企業は、本当に嫌だと思っていましたし、
今でも思っています。

目的と手段をはき違えるな! 経営・お金儲けのための手段に『教育』を使うな!

と、どこにいっても叫んでいました。

大学院進学の理由は、理科の先生になるため

さて、大学に入ったときから大学院進学は決めていましたが、
理由は、『理科の先生になるため』でした。
生徒に、きちんと理科を教えられるようになるためには、自分である程度研究して、論文書いて、最先端の色々な技術を知っておかなくてはいけない!という持論を持っていました。
大学4年と修士1年の計2年間は、企業さまと共同研究もさせてもらいました。

こういう経験をした人が、理科の先生をすることで、中学高校生に、より深くて面白くて、未来が広がる教育ができると考えていました。

大学4年間と、修士2年間。
とにかく、学びに学び、大学の授業を受け、
塾に行き、また時には家庭教師をし、実験レポートで徹夜をし。

工学部のテストは、いわゆる、大学受験の化学や物理や数学の延長戦上なので、
テスト前には、かなりの勉強がいります。
大学近くのファミレスに同じ学科の友人と集まって勉強したものです。

研究室が非常に厳しい研究室で、ここでも色々なことを鍛えられました。
卒業生の先輩達が言うに、『社会人の方が楽』というくらいの厳しさです。

でも、この頃には、『起業』とかいう意識はゼロでした。
塾を開きたいなぁくらいはありましたが。

就活。あらたなフィールド!

修士1年生の10月から就職活動がはじまりました。
2008年大学院卒 というくくりだったので、この時代は、
まだ10月に就活解禁でした。
2013年卒から12月
2016年卒から3月となりますが。

基本、塾業界での講師職などを見ていましたが、
やはりどこもピンとこず・・・
色々な『教育』というもので見ていたときに、
『人材教育』というフィールドを見つけました。

小・中・高校生への教育。つまり勉強を教える教育だけではなく、
社員研修や、社会人向けのセミナーなどを開くという事業があることを知りました。
新入社員研修や、マネジメント研修、営業研修や、
企業単位ではなく、個人の成長を促すための公開研修。
『自己啓発系』と、揶揄されることもありますが・・・

この新しい教育の世界。フィールドを発見したのは、
自分にとって非常に大きかったです。

そして、就職活動を終えたときに、
この人材教育という部分で、将来自分の会社が持てたらな・・・と考えていました。

ただ、勉強ができるだけではない。
人間的にも優れた人材を育てていきたい。そうすることが、より社会を良くして行く。
こう信じていました。

2011年。念願のフリーに。2012年、ついに法人化!

そんなこんなで、月日は流れ。
基本。
超絶ブラック企業な働き方でした。
薄給はもちろん。有給休暇は一度も取ったことがありません。
福利厚生を受けたことも一切ありません。
年間休日は、30日ありません。20日もない時期も。
基本、責任はすべて自分。
そんな働き方でした。
2浪して、大学院を出ているので、社会に出たのは26歳。

遅咲きすぎですね。
フリーになる29歳までの3年間は、本当にまわりが引くくらいの待遇でした。

しかし。スキルや人脈、色々なものは、
かなり身に付いたと思います。

そして、この3年間があるから、今、生きて行けるのだと思います。

自分の理想とすべく教育を、自分の手で創り上げ、
それを伝えていく。

現在、
小学生の中学受験、学校フォロー
中学生の高校受験、学校フォロー
高校生の大学受験、学校フォロー、就職活動
大学生の教育支援、就職活動支援
社会人の社員研修、
家庭教師に入る際の、学習カウンセリング面談、
学校の先生や塾の先生、家庭教師の先生向けの教育研修
と、広い範囲での『教育』に携わっています。

おそらく、ここまで幅広く現場で教育に関わっている人も、
ほとんどいないのでは?と思います。

そして、
2012年には、2冊の書籍を出させてもらいました。
大学生の筆記試験対策本と、
高校生でも読める、大学生向けの微分積分の入門書。

そして、2013年秋には、流行の動画講義サイトがオープンします。
内容は、大学生への筆記試験対策講座。

高校時代は、勉強する意味。『何のために学ぶのか』が、
わからず、部活ばっかりして、脳みそまで筋肉だと言われてもおかしくないくらい、
運動、スポーツばかりやっていた人間が、
いまや、『教育会社の社長』です。

大切にしているのは、『何のために学ぶのか』ということ。
『何のために生きるのか』と徹底して向き合って行くということ。

ただ、勉強していい大学いって、いい会社に就職して・・・・・という時代は、
とっくに終わっています。

自分らしく、自分の価値を高めていき、
世の中をよりよくしてく。

そんな人を増やすための教育がしたいと考えています。


以上、
今の自分は教育会社の代表取締役、大学で講師も。
高校時代はまわりは東大や医学部、脳みそまで筋肉で体育受験そして2浪。

でした。

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