結婚相手に出会う瞬間から結婚するまでの話

1 / 7 ページ

日記から始まるストーリー 作 ケニー

プロローグ
君に出会ったのは,そう、7年前の春。日本ではサブウェイの店長だった僕の店の,アル バイトで働いていたタッキーと僕が,たまたま同じ時期にニュージーランドのクライスト チャーチに滞在することになり,タッキーが僕らのキューピットになってくれた。タッ キーが通っている語学学校の友達を紹介してくれた時,その一人がオリーブだった。街中 を別行動で散策することになり,僕とオリーブは,まだ到着間もなかったため携帯電話を 持っておらず,僕ら二人は携帯電話屋さんへと向かった。笑顔が素敵な彼女は,店から店 へとどんどん先に進む僕を,「けん!」と呼び止めたのだった。ずきんときた。出会った 初日に名前で呼ばれた。 きっと僕は,この瞬間から彼女を好きになっていたんだろう。僕はそのとき日本で出会っ たクライストチャーチの友達の家にホームステイしていて,彼女は別のところにホームス テイしていた。そして僕はその友達と別の友達何人かで,一軒家を借りてみんなでシェア して住もうという計画が進んでいた。彼女の話を聞いていると,あまりシェアメイトとう まくいっていない様子で,引っ越しをしたいようだった。僕が引っ越した先はとても大き な家で,僕と,トビーとカタヤ(カップル)それと,ケニーの4人で住み始めた。そのと き僕が選んだ部屋はとても大きく10畳くらいの長方形の部屋で,出窓がついていて,大 好きだった。 携帯電話を買った僕は,オリーブにたくさん連絡を取り,僕の部屋でルームシェアをしな いかと誘った。 まだ出会って2ヶ月目のある日,オリーブは僕の部屋に引っ越してきた。いままでも外国 人や日本人とルームシェアしたことはあったけれど,好きな人と,つき合ってもいないの にルームシェアすることになったのは初めてだった。 けんかばかりの毎日になってしまって,ちょっと悩んでいた頃,彼女が友達同士で10日 間オーストラリアに旅行に行くことになった。 そしてちょうどその頃,日本ではmixiというソーシャルネットワークサービスが始まって いて,一人の友人から僕に招待状が来た。僕はそのmixiの日記を書き始めた。 この日記を愛する家族,そしてオリーブに送ります。
2005年5月31日 今日は、朝の語学学校の仕事中、憂鬱だったのが自分でもはっきりわかった。なんていう か、その場にいない感じでした。その仕事が終わり、家に帰ったあとは、もう平気でした が、久々にあんなに憂鬱になりました。不思議なのが、理由がわからないのです。今私は 1人の日本人の女の子と、1人のNZの女の子と2人のNZの男の子と一軒家をシェアし て暮らしてます。その日本人の女の子が、今10日間AUSTRALIA旅行に行ってい ます。その子がいなくて寂しいっていうのもあります。さて、憂鬱な話は置いておいて、 明日から6月ですね。今日考えたんですが、この日記を上手く使って本を書き上げる事っ て出来ないかなって思いました。その名も、「日記から始まるストーリー」・・・・ まさにそのままですね。でもいいとします。 さーて、つづくかな~?一日1ページだとす れば、一年かければ、一冊の本が出来ます。 そしてその本を、その本の中で出てくる、ヒ ロインにプレゼントするんです。一年がかりのプレゼントです。今までいろいろビックリ 作戦は考えてきましたが、一年がかりというのはありません。 とにかく今まで以上に、 一日を大事に、ドラマのような一年になるように努力しつつ、3か坊主にならないように 頑張ります。
6月1日 その日は、まだ薄暗いクライストチャーチの朝早く寒さと奇妙な夢で目が覚めた・・・ 昨夜自分で刈った頭が、やけに寒く感じた。 私はいつものようにコーンフレークにミロをかけて食べ、今日はバナナもいれて完璧な朝 食を食べた。 部屋のテレビは、最近までつけてなかったけど、今は元気にアニメが流れている。カーテ ンを開ける気にならない。こちらの家は窓の通気性がすごく良くて、カーテンを開けるだ けで、一気に部屋が寒くなってしまうからだ。まだ今日は誰にも会っていない。どんな一 日になるのだろうか。窓から外を見た。快晴だ。いつも天気は自分の気持ちに+アルファ をくれる。昨日の雨は私に物事をしんみり考えさせ、今日の空は会う人全ての心が丸見え になっちゃうほど澄んでいる。いつもならこの後ちょっとギターをさわって仕事に直行だ けど、今日は、ルームシェアしているきれい好きのあの子が帰ってくる。せめて食べた後 の皿くらいは今のうちにかたずけておこ う・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・ラジオのヒアリングの練習をしてる間、面白いなと思うことがありました。何度 聞いても自分の頭の中じゃアルファベットに変えられなかった言葉が、先生の答えを聞い た後だと、すぐに頭の中にアルファベットとして置き換わるんです。英語の勉強の本はも う数え切れないくらい発売されています。しかし本当にいい勉強法ってのは、自分自身で
しか見つけられないと思います。「あっおぼえた!」って思う瞬間が、人にはいろんなシ チュエーションであります。そのときに、覚えられたそのプロセスこそが、その人に適し た勉強法なんだと思います。今日は、
It serves you right.という言葉を覚えました。正確に言うと今ここで思い出したことで、今 覚えたって感じです。いつも私の場合は、勉強をしても生覚えという感じで、時間がたつ と、すぐに忘れます。何時間後かにもう一度思い出して使ってみるのが、私に適した覚え 方です。ちなみに英語の意味は、自業自得という意味です。 ・・・・隣の部屋からいつものエレキギターの音が響いてきた。彼は毎日必ず3時間以上 練習をしている。私のレベルはいつになっても彼に追いつかないなといつも思いさせられ る。
明日は久々のBack packers のレセプションの仕事。またこてんぱんになってくるか。
6月2日 空港には、1時間前についた。夜12時の到着ということとここクライストチャーチがそ んなに大きな町ではないということで、空港はほんとに空いていた。中で到着を待つ人の 中には、期待と、嬉しさ、そして時間を長く感じさせる空気があふれていた。 3人が出てきた。私は空港で見送られたり、出迎えられたりすることは何度か会ったが、 自分が迎えに行ったことはほとんどなかった。ルームメイトのオリーブ(仮名)を見た瞬 間、今までの10日間、自分にのしかかっていた何かが、どこかへ流れていった。三人と も幸せそうな顔をしていて、わたしが「おかえり」といってみんなを迎えたのだった。私 は他の国の人たちのように、HUGしてみんなを迎えたかったが、3人とも全くそれを出 来る気配はなく、トイレとたばこを吸うために外へと消えていった。 荷物を預かりながら私は、いつか絶対自然にHUGできるようになってやると誓うのだっ た。3人のうち1人だけが男の子だった。私の予想したとおり、彼は疲れていた、やはり 女の子二人と男の子一人の旅は男にとってとても大変なんだろうと思った。家に着いたと きはもう1時だった。一人をバックパッカーに、一人を家に送り、ようやく我が家につい た。私たちの部屋は、昨日とはうってかわって片づいていた。 この一ヶ月彼女と共同生活をすることで、私は以前よりも片づけるのが得意になってい た。 遠距離恋愛をしてる人たちは、こういう不思議な気持ちを常に感じて生活してるのかなと 思った。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
6月3日
新しい生活が始まった。というよりも、前の生活に戻ったわけだが、私の中では新しい生
活という感覚が強い。これからまだ半年以上あるここニュージーランドでの暮らしを、新
鮮な毎日にし続けたいという気持ちと、オリーブとの生活を大切にしたいという気持ちが
今はすごく強い。一人の生活と二人の生活は全然違う。それが異性だと、更に違う。相手 から学ぶことがたくさんありすぎる。男同士だと全然気にしないことで、気にするべき事 がたくさんあることに気づかされる毎日だ。それを上手く新鮮さに感じて、生活していく ことで、自分自身、ちょっとは変わっていくんじゃないかなって思う。今日は、夜中ま で、仕事がある。すれ違いの一日だ。何も意識しなければ、あっという間に終わってしま う一日の中で、どんな面白いことが出来るのだろうか考えながら、今日一日を過ごしてみ よう・・・・・・・・・オリーブは、オーストラリアに10日間行ったことで、とても オーストラリアが好きになったようだ。行ってる最中にも、あっちの情報を仕入れて、ま た行く気満々になっていた。確かに良いところもたくさんあるし、彼女は一人で行動し て、自分に自信をつけたいと言っていたので、行くことはすごく良いとも思うのだけど、 何とも言えない気分だ。私が彼女に行ってもらいたくない理由は、単に自分が寂しいから だけなのだ。今までの自分はそんなこと考えもしなかったのに、なんか自分が弱くなって しまったような気もする。今日は、バックパッカーズの仕事がとても忙しかった。周りは 全て英語なので、とても勉強になっている感じがする。そして今日、職場の人に、フルタ イムの人も必要だといわれた。それを聞いて私は、頭の中に、仕事と、オリーブの天秤が 思い浮かんだのだった・・・・・・・・・・・
6月4日 バックパッカーのマネージャーが、フルタイムの話を出してくれたとき、自己嫌悪が私の 中で起きた。そうなのだ。私はオリーブがオーストラリアに行きたいと思ってると話して くれたとき、行かないで欲しいと言ったにもかかわらず、自分がオリーブと同じ英語学校 での仕事を辞めることを真剣に悩んでいるのだ。私たちはまだ出会って3ヶ月の仲。しか し、出会ってまもなく、ルームシェアを始め、さらには2人しか働くことの出来ない、語 学学校のレセプションに、二人とも受かってしまったのだ。さらには、3ヶ月単位で申し 込むジムも申し込み彼女はエアロビクス、私はジョギングに励んでいた。いまだかつて、 こんなにも一人の人間と、同じ環境で生活したことはなかった。家族ですら。その生活 が、今無くなろうとしている。けんかもたくさんした。私は基本的にけんかはしないのだ が、けんかするために一緒に生活してるようなときもあった。ルームシェアは良くないっ て言う話にもなった。そんないろんな事がありながらも、お互い相手を必要としていた。 そして今、二人の決断の時が来ている。オリーブにはオーストラリアに行って欲しい。自 分の寂しさだけで、彼女を縛ることは出来ない。オリーブは言っていた。「けんのせいで 行かなかったって後悔するくらいなら行く」と。でもそのあとに、ここクライストチャー チで生活するならどんな感じになるのかも考えてくれた。私は今こうしている間にも二人 の決断の時が迫ってるという感じがしてならない。今日は雨が降っている。いつものよう に自転車で仕事には行けないな・・・・・・・
6月5日 葛藤。この言葉をここまでも感じてる自分は今まで無かっただろう。自分の心と、今まで 生きてきた環境で作られた理性とがまさに戦っている。オリーブには気持ちよく生活して もらいたい。彼女はもうクライスチャーチは十分で、他の所を見たいと言っている。もの すごくよくわかるのだが、私は今まさに、自分を成長させてくれる職場を見つけたところ なのだ。オリーブは言った。「働かないと食べていけないって事になりたくないから日本 で十分なお金を貯めてきた。だから海外での生活は、もっといろいろな経験をして、日本 に帰りたい。お金のために働く時間がもったいない。」私がオーストラリアにワーキング ホリデーで行ったとき私は、日本食レストランのキッチンハンドとして約5ヶ月働いた。 日本語のみの中で働き、その時のことを考えると、オリーブの考えはすごく正しいと思っ た。私は今までいろいろな仕事を試してきたからこそ、本当に自分のためになる仕事を今 見つけられたんだと思う。私はいつも片足をつっこんでみるタイプで、最近やっと両足を つっこむタイミングがつかめてきた。人には大きく分けると2タイプの人がいると思う。 自分の中のイメージが出来てから物事を行う人。一か八かやってみちゃう人。私は、ばち とわかっててさえやってみちゃうタイプだが・・・・・・・・ もうすぐ彼女の誕生日がやってくる。私にとって誕生日は、1年365日の中でも、もっ とも大事な日だ。あと3日間は、そのことに集中しようと思う。 それにしても、時間の流れの中に立っている私たちは、その時間をコントロールできるこ とに気づいてないような気もする。 私は自分の身体、そして時間というつかめない私の周りに存在するものを、しっかり見つ めて生きていきたい・・・・・・・ 今日は日曜サッカーリーグがパスになった。実は私は、9年ぶりに、ここニュージーラン ドでサッカーを再開したのだ。あれは高校2年の冬だった。サッカー部の試合で、鎖骨を 折った私は、治ってすぐに、猛特訓をした。休みの日も暗くなるまでグラウンドで過ごし た私は、ある日を境に腰に痛みを持っていった。最初は全然気にしていなかったが、痛み が増すにつれ、他の足首のひねりや打撲とは全く違った、身体に力を入れることの出来な い痛みへと変わっていった。病院、接骨院、整骨院、針や電気、マッサージなど、やれる ことは全部やったが、病院の先生が最後に出した答えは、「もうあなたの腰は一生治らな いから、激しい運動は辞めてくださいね。」だった。頭の中で、何かが音を立てて崩れて いった。それもかなりの時間。 私は5歳の時にサッカーを始め、18歳まで、13年間 大好きで続けていた。それが永遠に出来ないかと思うと、自分の人生の第一段落が終わっ たかのように感じた。しかし今、27歳になり、自分の身体の調子がコントロールできる ようになって、ここニュージーランドでアウトドアサッカーを始めた。身体はもちろん相 当なまっているが、楽しくて楽しくてしょうがない。サッカー再開という意味だけでも、 ここに来たかいがあったと思う。わたしの仕事はミュージシャン、趣味はサッカー、遊び
は踊り、住所は不定という夢に、ここニュージーランドでまた少し近づけた気がす
る・・・
6月6日 今日はエリザベス女王の誕生日ということで、ニュージーランドは祝日だ。そのため午前 と午後で、交代で入っている語学学校も休みになり、今日は二人で町のバスを乗りまくる 計画を立てた。昨夜は、オリーブのこれからについて具体的に話したのだった。話をする ために、夕食後、海沿いのNEW BRIGHTON BEACHというところにある図書館の駐車場 に行った。ここは、私がクライストチャーチの中でも一番好きな場所で、一日中ここの中 にいても良いと思う場所である。ビーチの真ん中にどかんと建っているその図書館から は、一筋に伸びた海の彼方への道のように、150mほどの散歩道が作られている。そこ はもちろん観光地だが、私のお気に入りは、二階建ての図書館の窓ぎわにずらっと外側に 向けて並べられた、かなり立派な一人用のソファに座り、設置されてあるヘッドホンで、 その時の気分に合わせたミュージックを聴きながら、窓の外に広がる海に向かい最高に落 ち着いた中での自問自答をすることである。まるで、何かに酔っているような気分にな る。何もしない時間がこんなにも早く過ごせるのは、とても気分がいい。私たちがその場 所に着いたときにはその図書館はもうとっくに閉館し、当たりは真っ暗になっていたが、 車の中で話す予定で私たちはスーパーにチップスとドリンクを買いに行き、そこへつい た。私が彼女に勧めたのは、オーストラリアのラウンドだった。オリーブはとにかく海が 好きだ。そして人のあふれる場所が好きだ。 私はシドニーにしか行ったことがないが、あそこの町にある海だけでも本当に感動的に綺 麗だった。彼女はウェブサイトの地図をみて、シドニーからケアンズの上の方まで海沿い を進むコースが気に入ったようだった。もしかすると私の働いているバックパッカーズで も、そのコースのチケットが予約できるのではないかと思い、今は期待をふくらませてい るところである。もうそろそろ11時。いつもなら、オリーブは語学学校のレセプション に座っているが、今はまだ、すやすやと、寝ている。カーテンの隙間から差す光とささや く鳥の声が、今日の幸せな空を知らせている。そして今日という一日が始まる・・・
図書館は祝日で、見事に休みだった。そのあと海の見える山へドライブに行き、車の中 で、ポストカードを書いた。それだけだった。ほとんど何もしない一日。なんて言えば良 いんだろう。自分の中にあるエネルギーが、少しずつ腐っていくような感覚だった。簡単 に言えば充実していない一日だが、もっと他の考え方はないものかと、車の中で、考えて みた。休みの少ないサラリーマンが、休みの日に何もせずに家でテレビを見てる感覚と、 毎日の中にしっかりしたリラックスタイムのある私の何もしない一日とを比べると、充実 していない度ははるかに違う。たくさんやりたいことがあって、それをやる元気もあるの に何もしていない自分がいる。となりにはオリーブがいた。オリーブと一緒に生活してい
ることは、すごく楽しいことだ。今まさにポストカードを書いている彼女は、今日一日を どう感じるのだろうか?時間というのは、私にとってもっとも興味深いものの一つだ。全 世界の数え切れないほどの人が、今という一瞬でつながっている。そして、ただ一人さえ 今以外の時間は生きることが出来ないのだ。私は、心と時間がどうしても何かつながりが あるように思えてならない。この二つの言葉は同じ何かを表してるように思えるの だ・・・・・・・・・・
6月7日 いいずらい事を言わなければいけない日がやってきた。私は4日ぶりにあった語学学校の 先生達に挨拶をすると、みんな笑顔で、答えてくれた。この後私が言うことを考えると、 どうしてもみんなの笑顔が切なく感じる。2人いる先生の内一人は、とても気さくで小悪 魔のような雰囲気のリチャード。もう一人は、彼とは反対に神父さんのような神聖さを 持っているエリック。やはり、仕事を辞めることを言いにくいのはエリックに対してだっ た。 私の予想通り、彼は私の辞めることを悲しんでくれた。何かを手に入れるときには何かを 失うという言葉が、すごく当てはまる瞬間だった。私はここで働き続けられないことより も、この今の瞬間、彼をそういう気持ちにさせてしまったことが辛かった。そして私は バックパッカーに電話をしたのだった。電話の向こうからは、「Great! you made my day!」という嬉しそうな声が聞こえた。もちろん私も念願の英語ずけ環境でフルタイムで 働けるのだから、とてもうれしかった。私の周りの環境が変わっていくのがとても実感で きた・・・・・・・
オリーブが、シャワーを浴びに入った。今がチャンスとばかりに日記を始める。私は彼女 にこの日記を見られたくないのだ。何かを隠して進めることはスリルがあってとても楽し い。私は驚かすことがとても好きだが、その課程をすごく楽しんでいる。それで最後に喜 んでくれれば最高に充実できる。あさってはオリーブの誕生日がやってくる。私が考えた 今回の作戦とは・・・・・・
6月8日 まず私は、ニュージーランドのおみやげ屋に行き、真っ白にNZの刺繍の入った大きめの ナプキンを買った。Tシャツも良いと思ったが、気に入ったモノがなかった。その後は、 WEARHOUSEという何でもディスカウント屋に行き、マジックと、プレゼントを入 れる袋を探した。探してる最中に、派手なカラーのピエロがいた。30センチほどの人形 だが服装がオリーブの好きな色とりどりだったので、気がついたら買い物かごに入れてい た。その店のレジには私の友達が働いていて、私の買ったものを見て「プレゼント?」と 聞いた。私はプレゼントの材料だよっといいたかったが英語が思い浮かばず、「そうだ
よ」と答えると、その子はプレゼントにディスカウント品でいいの?と苦笑いだった。そ のピエロはとてもナイスだったが、セールで5ドルだった。とにかく私はそのピエロとナ プキン、カラフルマジックを持ってこれから走り回ろうと思っていた。タイミング良くオ リーブは、オーストラリア旅行に行っていたので、作戦は順調に進んだ。私たちのフラッ トメイト、そして日本語がペラペラで、8月には長野に行くことが決まっているオリーブ と仲良しの友達、一緒に働いている語学学校の先生、以前オリーブが通っていた語学学校 の友達。ここまでは、さくさく物事が進んでいった。みんなにおめでとうの言葉をナプキ ンに書いてもらいにいったのだ。本当は、全員に、ビデオにおめでとうメッセージももら いたかったが、時間や場所の関係で、出来ないこともあった。とにかく大変だったのは、 オリーブが通っているジムの大好きなエアロビクスの先生にレッスンの合間にお願いした ときと、ここクライストチャーチから約100キロ離れた町にある、オリーブの初のホー ムステイ先に訪ねたときである。その町に着いたのは夜の8時で、辺りは暗く、住所は 持っていたが、着くまでにかなりの時間がかかった。さらには彼らはパーティーを開いて いて、私が着くと、どうぞどうぞと私を中に入れてくれた。しかし私はその中のホスト ファミリーに1度だけしか会ったことがないのだ。ドキドキしながら私は中に入ってゆ き、彼らに事情を説明した。彼らは快くメッセージを書いてくれた。さらには、そのパー ティーには、日本から来ていたオリーブのお知り合いの方もいたのだ。私はここぞとばか りにその人にも頼んだのだった。途中でナプキンがいっぱいになったので、赤ちゃん用の 白いTシャツを買って使った。そしてやっとのことで、16人の人達から、メッセージを もらうことが出来た。そしてまさに今日、このプレゼントを完成させようと考えている。 その方法は・・・・・・・・・・・・・
6月9日 「ハッピーバーズデイ!」というのは誕生日の日のはずだが、日付の変わる瞬間に、メー ルをすることが、日本では多かった。私は今日の準備はほとんど完成しているが、昨日の 夜は、小学生時代の思い出話で盛り上がってる間に12時をまわり、おめでとうといった のだった。今日から私の誕生日まで約一ヶ月の間、私たちは同じ歳だ。いっさい歳が増え るだけですごく自分の歳を感じる歳になってきた。わたしはもうすぐ28。私にとって2 7歳の一年は日本社会のレールから、路線を変更した歳だった。オリーブはいったい、ど んな一年になったのだろうか?とにかくその一年を、そして今まで27年生きてきたこと のお祝いを、身近にいる私が精一杯してあげようと思っている。今日もいつものシリアル に、ミロをかけ、ミルクをたっぷりかけてさくさく食べる私がここにい る・・・・・・・・
6月11日
オリーブに「遅めに帰ってきて!」といった私は、4時に家に着いてから早速ケーキの準 備をした。このケーキは、友達のお母さんに作り方を聞きながら作ったスペシャルチョコ レートケーキだった。間にキウイフルーツもいれて、上には、2と7の数字の書いたキャ ンドルをさし、誕生日おめでとうの紙を上につけた。かんぺきだ。それから今日の夕御飯 は私の番なので、(毎日交代でみんなで夕食を作ることにしている。)今日はトルティー ヤを作り、パンプキンライスと、チリビーンズ、野菜にサワークリームといったディナー を作った。全ての準備が整った7時半頃に、彼女は帰ってきた。いつも通りみんなで夕食 を食べ、オリーブは私の作ったトルティーアを誉めてくれた。トルティーアを作るのは、 意外に簡単で、これからもたくさん作ろうと思った。夕食が終わり、彼女が自分の部屋に 戻った後、私たちはケーキの準備をし、部屋を暗くしてオリーブをよんだ。「ハッピバー スデイ、トゥーユー・・・・」オリーブが部屋に入ったときみんなで歌い、彼女はふーっ とキャンドルを消した。それからみんなからのプレゼントは、オリーブの好きそうなCD と、そして私からは、いろいろ飛び回って作った、ナプキン、そして、全8種類もある ティムタムというチョコのお菓子、プルーン、ダイエットコークバニラフレーバー、そし て、カラフルなピエロの人形を、全て詰め込んだ、どてかい海外郵送用の郵便局の段ボー ル箱だった。その箱を見て、みんなが笑った。そして中身を見て、更に笑った。そして肝 心のオリーブは、みんなからのおめでとうのメッセージの入ったナプキンを見て、信じら れないっという顔をしていた。そして彼女の笑顔からあふれるしずくは、リビングルーム いっぱいに幸せの空気を振りまいた。みんなでお酒を飲みながらのんびりくつろいだ後 は、部屋に戻り、私は「おまけだよ」といい、もう会えないだろう人からメッセージをも らったときに一緒に撮影したメッセージ入りのビデオを見せた。日本から来るときに買っ たデジタルビデオがやっと役に立ったのだった。 オリーブが喜んでくれてとても嬉しかった。彼女は来月から、オーストラリアに行くこと を決めた。私は嬉しさの中に寂しさを感じていた。彼女が以前私に言った言葉がある。 「付き合うことがなければ別れもない」と。しかし私にとって彼女がオーストラリアに 3ヶ月間行ってしまうことは、別れとしか考えられなかった。彼女は私に「もっと大人に なって」と、いつも言っていた。今まだ一緒に生活しているのに、とても変な気分だ。そ れは私が子供だからなのだろうか。私は、自分自身に聞いてみた。私はどうしたいのか と。「もっとたくさんの国に行きたい。」私の心が答えた。私には何も保証はないし、何 も保証してほしいとも思ってはいけないんだと、自分に言い聞かせた。私は自分から、落 ち着かないことを望んでいる。私は恋をすることはあっても、地に足をつけることはない と、自分に言い聞かせた。そうしないと、自分の中でとても大きな矛盾が起きてしまうの だった。あと10日で、バックパッカーの仕事もフルタイムになる。ギターの練習も欠か せない。オリーブにはオリーブのやりたい道に進んでもらいたい。たったの3ヶ月間だっ たが、彼女と過ごした日々は私にとってものすごく大切な3ヶ月となった。そしてその
3ヶ月はまだ終わってはいないのだ。毎日を、瞬間を大事にした
い・・・・・・・・・・・・
私は今、ギターの練習の時に使う楽譜の中身を整理している。日本語の曲ばかりなので、 数を減らして英語の曲をレパートリーにいれたいと思っている。そうやって中身を出して いると、オリーブにあったときに作った詩が出てきた。
HELLOからはじまった僕らの仲
本当にはじまったばかりだけど
ひとつだけわかったことがある
こころのしゅるいがおなじなんだ
君の笑顔は僕を写し
僕の笑顔で君を写してゆく
お互いを楽器にたとえて
楽しい行進曲を作っていこう
たまにはチョコレートが誘惑するけれど
食べ過ぎるとチョコになっちゃうぞ
君の笑顔は僕を写し
僕の笑顔で君を写してゆく
君の決断がどんな決断でも
前向きに行こう、必ずうまくいくさ
この歌はここにしまっておこうと思う。私のこの心を現実の世界よりも素直に表せる世界 に。ウェブ上のこの世界は私にとって、無邪気な心の安全な場所。誰も気を遣う相手がい ない。現実の世界では、出来るだけ周りの人のために生きていこうと思う。それが自分の 経験になるから。私自身を成長させてくれるから。そしてこの世界で私は常に素でいつづ ける・・・・・・
今日私はオリーブにひどいことをしたなと感じた。今日の仕事は元々3時から入ってい た。そしてオリーブは友達との予定を同じ3時に合わせ、日頃お互いあまり会えない分今 日を楽しみにしていた。しかし私は、職場からのTELがあったとき、何の迷いもなく2 時からの出勤にOKしたのだった。電話を切ったその瞬間、私は自己嫌悪に落ちた。私は 彼女のことを忘れていた自分が許せなかった。そして、もう一度考えた。電話をかけ直し てやめるべきかどうかを。でもできなかった。人を想う気持ちは行動力につながると思
う。私は、職場の人が困ってるのを感じて、快くそれにこたえた。自分の想ってる相手が 何かを私に求めたとしても、私の周りに私の手が必要な人がいれば、好きな人は犠牲にし てしまう。そんな自分は、好きになるのは人ではなく、人の笑顔が出すオーラのような何 かを好きになっているのではないかと思った。それを求めるためにはその人を求めなけれ ば手に入らない。それとは別に、ほっとけないっていう感情がある。その感情は、相手の 悲しむ姿が想像できて、そのシチュエーションにさせたくないって事じゃないかと思う。 ただその気持ちは、相手がしっかりした時点でなくなるんじゃないかなとも思う。親が子 供を思うかのように。 今一番身近にいる人を見てみてほしい。必ずその人を愛していると思う。
6月12日 サッカーに行ってきた。ここではいつも日曜日のアウトドアサッカーを楽しんでいる。最 近はジムで走る時間がなく、サッカーだけが運動になってしまった。どっかり疲れた。身 体が重い。なりたい自分になるには身体もしっかりエクササイズしてないといけないなと しんみり感じた。うーんまとめてみよう。
1・・ギターばりばり
2・・サッカー鮮やか
3・・踊り輝く
4・・コミュニケーション力無限
5・・味のある笑顔
よしっがんばろっと。 クライストチャーチのさわやかな冬の夕焼けは、まるで朝のように私を照らしてい る・・・・・・
6月13日 今週で、語学学校のエクスチェンジの仕事が終わる。あとたったの3日間だ。ここの学校 で私はプライベートレッスンのすばらしさを知った。それは、教えられる方もそうだが、 教える先生の方もものすごくその生徒に集中しているということだった。先生の一人は私 に、子供用の物語を自分の声で録音したテープを作ってくれた。その先生はいつも私の発 音やグラマーを細かく直してくれる。すごく良い経験になった。とにかく今日から3日間 は学校であった出来事に感じることをここに映してみようと思う・・・・・・・・
久しぶりに学校に行くと、約一ヶ月間休暇を取っていた先生が、今日から帰って来るとい う話を聞いた。しかし複雑なのはそのあとの話だった。私の働いている語学学校はとても 小さな学校で、先生が3人しかいない。その内の一人がこの学校のオーナーなのだ。3人 とも、もともとは家庭教師として働いていたが、生徒も増え、どこか決まった場所で教え
る方が効率がよいということではじまった語学スクールなのだ。しかし、先生が別々の広 告を作って互いに競争してるために、なにも広告を気にせずに立ち寄ってくれた生徒の方 に対する応対がとても難しい。最近はここクライストチャーチも冬に近ずき、NZドルも 値上がりしたということで、海外から来ている人も少なくなってきた。それに伴い生徒数 も少なくなり、休暇を取っていた先生は休暇を取らざるをえなかったのだ。今回困ったと いう話は、その先生が帰ってきたには帰ってきたが、学校の中の部屋だけを借りて、完全 に独立する。ということだった。私たちレセプショニストは、給料の代わりに先生のプラ イベートレッスンやグループレッスンを受けている。今までは3人の先生から受けていた が、今度からはその先生からは受けられず、さらには新しい生徒にはその先生は紹介しな くて良いというのだ。レセプションの私でさえ複雑なのに、新しく学校を決めようと迷っ ている方には絶対訳が分からないと思うのだった。しかし、当のオーナーは、その場所の 家賃をやりくりするためにとても忙しく、ミッドナイトの仕事もこなしている。学校の全 員で話をする時間がとりずらいというのが私の思う一番の問題だ。しかしどんなに複雑な 環境の中でも、もう一人の先生はいつもプライベートレッスンの予定がいっぱいだ。今日 は私もその先生のグループレッスン(2時間)を受けた。グループとは言っても生徒は私 ともう一人だけで、とても話しやすい環境だった。その先生は、英語とインドネシア語の 辞典の単語の発音を収録するという仕事もしたことがあり、発音の細かい違いや、イント ネーションなどをしっかり直してくれる。私はここをやめても、何か困ったときにはこの 先生に習おうと思っている。今日驚くことがもう一つあった。それは、ここの学校に住ん でいる、(それもすごい)台湾人の女の子が、あと1週間で国に帰ってしまうと言うこと だった。
人の入れ替わり。 日本では、アルバイトで働いている人の入れ替わりが早かったりすることは多いが、身の 回りの人が次々と、海外から訪れたり帰っていったりするのは海外ならではである。出会 いや別れで学ぶことはたくさんある。次の私の別れは台湾人の彼女だ。最後にたくさん話 をしてから見送りたいと思う。 今日はオリーブと半日ずつのシフトの日だった。入れ替わりのとき彼女に会うと、とても 機嫌が良く、私もしばらく学校で勉強していたが、とても小さなきっかけで、赤鬼のよう になってしまった。今日はこれからまた、とても小さなきっかけで、天使のような彼女に なってくれないか作戦を立てている。そろそろギターの練習を・・・・・・・・・
6月14日 今日は、語学学校で、新しく3人の人と出会った。一人は新しい生徒で、サウジアラビア から英語の勉強のために来た男の子。彼はヒョウのような鋭くそして深い目をしていた。 だが話し始めるととてもにこやかになり、私たちはすぐにうち解けた。彼は私よりも断然 英語を話せていたが、まだ全然満足いかないらしく、プライベートレッスンを受けると
言った。私もこの先長いんだろなと感じさせられた。次にあったのは、学校に住んでいる 台湾人の友達の中国人の女の子だった。彼女は日本語をかなり上手に話し、私も中国語に も興味があったので、この先もし時間が合えば、ランゲッジエクスチェンジをしようとい う話になった。そして、3人目は、私がここをやめたあとのための募集を見て面接に来た 日本人の女の子だった。彼女は挨拶をしたあとすぐに面接にいったので、あまり話す時間 はなかった。学校の仕事自体はとても静かな一日だったが、こうした出会いで私の一日は すごく充実したものとなったのだった・・・・・・・
6月15日 学校の帰りにはオリーブと航空券を見に行った。最近彼女は何でも自分の英語で何とかし ようとしている。私がついて行くのは保険のようなものだ。券も見つかり、私たちはいつ ものコロンボストリートを歩き始めた。この道はまっすぐ歩いて1時間くらいの長さがあ り、私の家は1,語学学校は800なのだ。(アドレス)。いつもならバスに乗るところ だが、今日は私の自転車があったので、二人で歩いた。歩いている最中に、彼女がフラッ トメイトの女の子となかなかうち解けられないという話をし始めた。いろいろ相談に乗る うちに、「もういい、自分で考える!」と彼女は言い残し先に行ってしまった。というよ りも、私の足が止まったようになってしまったのだ。私は自分が全く必要とされてないと 感じたときに絶望感を感じるのだ。自分の存在価値が一瞬0まで落ちる。そのあとで何と か自分を取り戻すのだ。そういうことはこの先もあると思う。自分が誰かのために、何か のためにと思って一生懸命したことだって全く報われていないように感じることだってあ る。でもそんなときに落ち込んだときは、これからはもっと早く立ち直ろうと自分と相談 した。落ち込んでいる自分は、誰の力にもなれなければ、周りの人の元気まで落としてし まうから。そして私はオリーブを追いかけた。「そんなこといわずに何でも相談してよ」 と私がいうと「やだ」と、すぐに返ってきた。でもその空間にはもう少しもイヤな空気は 流れていなかった。そこには笑顔があったからだ。私にも、感情のバイオリズムがある。 誰でも落ち込むとき、怒るとき、ネガティブになることはあるが、そこから笑顔に戻るた めの時間は自分で変えられるんだとあらためて思った。自分が立ち直るために自分に考え 方を変えさせたからだ。自分に話しかけることの重要さを知った一日になっ た・・・・・・・・・・
今日は休みだ。これから洗濯をしてギターの練習、そして今日は私が夕食を作る番。先週 上手くできたトルティーアを、今週も調子に乗って作ることにした。あとは今日は室内 サッカーがある。一日中やることが決まっている日と決まっていない日は、どちらが面白 いかな・・・・・・・・・・・・
6月16日
今日、最後になるであろう語学学校に行ってきた。しかし学校の雰囲気はなにも変わら ず、最後という感じは全くしなかった。今日は学校の後に、台湾人の女の子と、オリーブ と3人でカフェに行った。「せーのっ、はっぴーばーすでい!」と私とオリーブは、台湾 人のペイの誕生日を祝った。なんと中国や台湾では、誕生日が1年に2回あるのだ。一つ は生まれた日、もう一つは、その日を月のサイクルのカレンダーに当てはめた日。とにか く彼女がとても喜んでくれたので私たちも嬉しかった。もともとカフェに誘ってきたのは ペイの方だった。彼女は今週の日曜日に台湾に帰る。その前に私たち2人の海外生活につ いて少し話を聞きたいと言った。ペイはフリーライターだということを初めて知ったの だった。彼女は台湾で、もう何冊かの本を出していた。人と出会うことはたくさんあって も、相手のことを深く知り合えるような出会いはなかなかないものだなと実感させられ た・・・・・・・・・
6月17日 私は遠距離恋愛というものが出来るのだろうか?この先オリーブがオーストラリアに行く ということで、彼女はそのことで夢中になっている。そして帰ってきてからも、ここクラ イストチャーチには数日寄るだけで、後はオークランドに行くという予定を立てたのだっ た。彼女と私との共通点は、帰国後に、またワーホリでカナダ行きを目指すことだ。昨夜 は暗い部屋の中、曖昧だった私たちの近い未来が、とてもきれいに浮かび上がった話し合 いとなった。私は恥ずかしいことに今のままでは金銭的にカナダに行くことが出来ない。 どうしてもここクライストチャーチからすぐに離れることは出来ないのだ。私は、オリー ブがオーストラリアから帰ってくるのを出迎え、そしてオークランド行きを見送り、彼女 が日本に帰ってから、地元にやり残してきた手続きなどが済んだ時点で、連絡をもらい、 東京に帰ろうと思っている。東京に着いた後は、すぐにカナダ行きのビザを申請し、3ヶ 月間、何とかアルバイトを見つけようと思っている。すみかはもちろんフラットシェアを 探そうと思っている。ここまで先のことがクリアになったことは今までにない。そしてク リアになった今、私は仕事、英語、そして音楽、ダンスと、自分のやるべき事に集中する ときがやってきたなと実感した。今日も冬のクライストチャーチの空は曇り空、でも私の 心は澄み渡っていた・・・・・・・・・・・・
6月18日 イヤなムードというのにはいろいろ種類がある。誰もが分かるほどぎこちないムード、ま んねりをあらわすかのようなちょっとしたときに起きる空気。「空気を読む」この言葉は イヤなムードを作らないためにもあると思う。一人だけだとその空気は作ることが出来な い。空気を感じ取れる相手といて、その空間は初めて感情を持った空気となる。それは何 か光と似ている。光は色を映す。物質の種類を色として映し出す光のような心の光を私た ちは持っている。人といてその相手に写って見える自分の心の光は、相手の中にある自分
と同じ色を映しているのだ。私たちは常に気づかされている。自分の中にある数え切れな いほどの感情、そして思いやりを。それは人に映って見え、心で感じることが出来る。今 日もこれから1日が始まる。自分うつしの日帰り旅行とでも考えてみようか な・・・・・・
6月19日 今日という一日は、私とオリーブにとってとても大切な一日となった。今日は彼女が ニュージーランドに来たときから2ヶ月間ホームステイをした、ホストマザーの誕生日 たった。私も彼女を知っていたので、朝7時からプレゼントの準備を終わらせ、アッシュ バートンという約ここから100キロ離れた町に向かった。気合いが入りすぎていたの か、予定の時間より1時間も早く着いた私たちは、近くのカフェにより、話をし始めた。 そこでオリーブは私に言った。「もっと社会のことに関心を向けて、勉強して、考え方も 大人になって欲しい」と。「プライドを持って欲しい。」「口ばかりでなにも実行できて いない」と。私はしっかりと彼女の言葉を受け止めていたが、彼女の存在が少しずつ遠ざ かって行くような空気を感じた。私は10日前の今頃、自分なりに頑張って企画した誕生 日で、彼女を驚かしたことを思い出した。私には夢がある。それは世界を平和にすること だ。そんな突拍子もないことに対して、私を知っている人は、もちろん知らない人も口先 だけだと思うだろう。でも、この世界で平和な暮らしをしてる人のいったい何人が、この 言葉を言えるのだろう。私は正直、その方法を分かっているわけではない。自分の夢を 持っているというだけなのだ・・・・・・・・・
私たちは楽しくランチをすませると、片言の英語でみんなと話した。そのときのオリーブ は、クライストチャーチの私たちの家ではほとんど見せない、とてもリラックスしきった 表情で、みんなと話していた。 家に帰った後、私たちは、自分たちの部屋で、くつろぎながら夕食の出来るのを待ってい た。8時近くになり、おそいなと思ったので、キッチンに行ってみると、もう食事は準備 され、そこにおいてあった。 私たちに食事が出来たことを伝えてくれなかったのは初めてだった。思えば最近あまりフ ラットメイトと話をしていない。仕事が忙しいのもあったが、オリーブと外にいることが 多く、さらには彼女は自分の部屋を好んだので、ほとんど合う機会がなかった。私がどう して呼んでくれなかったのと聞くと彼らはいつもいないからいないと思ったと言った。私 はリビングルームにみんなでいるときがすごく好きだ。しかしオリーブはその雰囲気を苦 手としている。フラットメイトの一人と合わないらしいのだ。その結果私も私たちの部屋 にこもることが多かったが、今日になって私はこの環境を何とかしなければと思った。彼 女はこの先1ヶ月後から、3ヶ月のオーストラリア一人旅を計画中だ。出会った人とのつ
ながりはとても重要になることを私は経験している。合わないからといって避けているオ リーブをみて私は彼女に自分の気持ち、意見を全て話した・・・・・・
6月20日
私は今、落ちている。そこのない落とし穴に誤って足を滑らせた・・・・・・・・・
なにも見えない、暗い穴に。
上の方に見える明るい光が、小さくなっていく。
戻りたい。
あの明るい地上へ。 自分がこの穴の中で落ちているのか、それとも漂っているのかが分からなくなってきた。 きっとあの光の元にいけるかどうかは自分次第だ。
がんばってみよう。
落ち着いて考えてみよう・・・・・・・・・・・
6月21日 心というのはすごく弱いものだなと感じた昨日だった。わたしはオリーブの話を聞き、そ してフラットの中の人間関係を考えた上で、オリーブとこの先も海外生活を続けていきた いと思って積み重ねていた積み木がちょっとのバランスを損なっただけで見事に底まで崩 れてしまったのである。私も彼女も、心のどこかにとても身近に感じてる部分があった が、私から、一緒に生活を続けるのは難しいと言ってしまったのである。彼女は「うん、 もういいよ」と言ったが、その一言は大地震が、地表に亀裂を入れるかのごとく、二人の 関係を切り離した。
それにしても、心は弱いと感じた。お互いに、もう性格が合わないと分かっていても、ま た二人の間には、笑顔が出てしまうのである。人と人の関係を表す言葉は、たくさんあ る。家族、親戚、兄弟、夫婦、親子、恋人、友達、知り合い、先輩、後輩、ライバ ル・・・・・・そのどれに私達が当てはまるのかは分からないが、当てはめる必要もない な、という雰囲気が二人の中にはあった。だからこそ、共同生活をやめること自体が私達 にとっては別れであり、すべてであった。しかしそこで終わることの出来ない私達の心は お互いの弱った心を支え合っていた。二人の話は止めどなく続き、つい数時間前の、傷つ いた心とは見違えるように二人の気持ちは和んでいた。
オリーブは予定通り、後一ヶ月後にはここを離れる。この町の空気もその後は違う色に見
えるだろうと思う。
6月22日 集中するって事は、どういう事なのかなと思う。私達は集中することで、物事が何倍も上 手くできる。私は今家に帰ってきて、今日何に集中したかな、と思いだしてみると、電話 の聞き取りをしているときのことを思い出した。今日はこれから夕食作りと、室内サッ カー、そしてギターの練習。全部集中力がいるから、よく寝られそう だ・・・・・・・・・・
6月26日
あれ、 と思った間に、何日も、何週間も、時には何ヶ月もたっているときがある。私は今、この 物語を3日間も書いていなかった感覚が全くないことに驚いている。この3日間、私は仕 事づくめだった。そしてここクライストチャーチのラクビーゲームの盛り上がりは、最高 潮に達していた。4~5年に一度行われるイギリスのラクビーチームのツアーがここ ニュージーランド中を回り、当たり前のように、「バーミーアーミー」と呼ばれる応援観 戦者が、イギリス方面からどっさり訪れるのだ。私の働いているバックパッカーは、簡単 にフルブッキングとなり、そのほとんどはイギリス人だった。町の中心にある大聖堂の正 面に、仮設大舞台が作られ、ライブバンドが行われ、さらには巨大スクリーンも2機設置 し、町中がラクビーのためにあるような雰囲気を出していた。そんな中ふと思ったのが、 アジア人の少なさである。普段はたくさん見かけるアジア人が、ほとんど外に出ていない ように感じた。私はそのたくさんの人を見て、かつて渋谷のサブウェイで働いていた頃の ワールドカップの時期を思い出した。渋谷は、たくさんのサポーターであふれていた。人 の多さを感じて日本を思い出したことは、不思議な感覚だった。私はニュージーランドに 来てからそろそろ5ヶ月たつが、一度も日本が恋しくなったこと、そして懐かしくなった ことがなかった。そして今、このたくさんの人の出す雰囲気を感じて、渋谷を懐かしく思 い出したのである。そのころの私は、店を任されていたということもあり、休みは1ヶ月 に1回が普通だった。家も同じビルの上のマンションが社宅だったので、そこに住み、本 当に忙しい毎日をほとんど同じ場所で過ごした。その中で移り変わるものといえば、店の 前の公園通りを通り過ぎる人々、お客さん、そして従業員、人の流れだけが私の記憶の中 を流れていった。そのお陰で今、人との出会いの大切さを間近に感じている。今日はどん な人に出会うのだろうか・・・・・・・・・・・・・・・
私はここニュージーランドに住み始めてから、サッカーを再開した。これは実に9年ぶり
で、サッカー少年だった頃の自分を思い出せるとても大事なイベントだ。毎週日曜日の2
時から45分ハーフのフルゲームに参加している。そして今、その試合から帰ってきたわ けだが、私のサッカー人生14年の中でも一番気持ちのいい試合となった。今日の試合 は、リーグも終盤に入り、優勝を決めるトーナメント制となる第一回目の試合だった。い つも2りいるストライカーの一人が来なかったため、私はセンターフォワードを任され た。あまりやったことのない場所だったので、難しかったが、とにかく最初のゴールを決 めたのは、私だった。実はこのゴールは私がこのリーグでプレイして初のゴールだった。 とてもうれしかった。はっきり言ってその前のゴールは9年前なので、どんなゴールだっ たかも覚えてないのだ。相手もなかなか手強く、試合は3対3の同点で90分を終えた が、トーナメントということもあり、いつもなら引き分けとなるところが10分ハーフの 延長戦となった。それでも決着がつかず、私達はPK戦を行うことになった。5人シュー トする人を選ぶときに、私は迷わず手を挙げた。そして私のける順番は5人目、そんな大 事な番をいまだかつて私はけったことがなかった。一人目の私達のチームメイトのシュー トが相手のキーパーに止められた。しかし、こちらのキーパーも、しっかり一人目の シュートを止め、その後の人達はお互いにシュートを決めて、遂に私の順番がやってき た。私はいつもより延長戦で疲れてはいたが、集中力はあった。そして私のシュートで ゴールネットが揺れた。最後の相手チームのシュートはゴールのバーに当たり空高く飛ん でいった。みんなが私を祝福してくれた。こんなに嬉しかったことは今までになかった。 私はいつもシュートを決めるよりもパスを出す方だった。2ゴールを決めた今日の私は、 自分を誉めたかった。 こんなふうに、英語でも、仕事でも、そして音楽でも、いつか自分自身を誉められるほど 上手くいくことを信じて頑張っていこうと思うのだった・・・・・・・・・
6月29日 温泉。この言葉を聞いて笑顔になる日本人はとても多いと思う。日本では温泉は休息を意 味し、旅のイメージもある。わたしにとっては、「やったー!」という気持ちになる。北 海道にいた頃は、温泉に行く機会が多く、温泉じゃなくてもスーパー銭湯という大きな銭 湯に時々行っていた。しかし東京に出てからというもの、温泉に入ったのは、群馬県に1 泊のスキー旅行に行ったときだけだった。そして今ここニュージーランドに来て、温泉が あるということを知った。私が住んでいるのはこの国の南島。北島に旅行に行くには海を 渡らなければいけないので、あまり行こうとは思わない。南島は日本の本州よりちょっと 小さいくらいの大きさだが、町の数が少ないということと、国道の制限速度が100キロ という事もあり、意外と簡単にどこへでも旅行に行ける。今回私とオリーブは、最後にな るであろうNZの旅に温泉を選んだ。ここの温泉は、日本人が掘り当てたという温泉で、 日本人に人気があるとガイドブックに書いてあった。朝から片道4時間も運転し、温泉に つかるためだけにいったのだが、久しぶりに入る温泉はとても気持ちよく、露天風呂から 見える景色は、日本とはまた違った巨大な山々に囲まれていた。そこの温泉は旅館にも
なっており、レストランも日本風のレストランだった。驚かされたことには、以前働いて いた語学学校の生徒の一人が、そこに泊まり込みで働いていたことだった。話によると、 泊まれる上に温泉にも入れて給料ももらえるという。とてもいい環境だ。日本でも同じよ うなしごとはたくさんあるが、ここニュージーで、お金を貯めるということは、なかなか 難しい。更に、英語の環境という意味でもその温泉の従業員はこちらの人ばかりだったの で、彼はいいところを見つけたなと思った。私も頑張らねばと思った・・・・
6月30日 今日で6月が終わる。何かの終わりは何かの始まりでもある。私にとって日本での生活の 終わりは海外の生活の始まりだった。この先国は変わっても日本に戻りたいという気持ち はない。私が暮らした町は、三笠(北海道)18年、札幌4年、東京4年半、シドニー (オーストラリア)10ヶ月、バルセロナ(スペイン)2ヶ月、そしてここクライスト チャーチ(ニュージーランド)にはいまのところ5ヶ月という感じになっている。こうし て並べてみると、私には6つの町が懐かしさを感じられる町になる。それにしても日本に 住んでいる期間は長かったなと思う。約28年のうち、26年半の私の生活は日本だっ た。私は気楽に100歳までは元気に生きると考えているが、それでも4分の1を日本で 暮らしたことになる。これからの私はどうしても世界の町を渡り歩きたい。何があるか分 からないこの世界をもっと自分の目で見たい。そしてそこに暮らす人の出す空気を感じた い。そして、自分の中にある、どんな場所でも出せる自分の空気というモノを見つけ出し たい・・・・・・・・・・
7月1日
7月8日から、ニュージーランドinternational Film Festivalがはじまる。ここクライスト チャーチでも7月28日から8月14日までと、約2週間の期間がある。日本の映画の選 ばれた映画の中には、「ハウルの動く城」や「スチームボーイ」といったアニメもエント リーされたようだ。ハウルの動く城は、私がこちらに来る少し前に見てきたが、スチーム ボーイは見ることが出来なかった。この映画の監督、大友克洋は「アキラ」というアニメ を私がまだ小学生だった頃に作り、私はそのアニメにすごく夢中になったのだった。その イメージがあるので私は今回の機会に必ず観てみたいと思っている。もちろん世界35カ 国からの映画が集まるので、この期間は久々に私も映画をたくさん見に行こうかなと思っ ている。映画に影響されることというのはたくさんある。私が今までに影響された映画 は、「レオン」「ネバーランド」「ソードフィッシュ」がある。ネバーランドは大人の中 にある子供の心があふれている物語。レオンは、殺し屋の中にも子供と一体になれる心が 見える。そしてソードフィッシュは、完全に大人の世界という感じだ。なぜ私がこれらの 映画に影響されたのかは自分でも分からないが、これからの自分の人生を考えるときに自 分がどういたいかということにとてもためになった。
7月2日 今日は弟の誕生日。私は子供の頃からつい最近まで、親の誕生日を覚えることが出来な かったが、弟の誕生日だけは、忘れたことがなかった。私達は2人兄弟で、3歳違い、同 じ血液型、同じ星座と似たところも多いが、その性格は弟の方がずっと私よりも大人っぽ い。小学校の頃から、弟は私と同じくらいの身長があり、私達は仲のいい友達のようだっ た。中学に入り身長が伸びてくると、弟はあっという間に私よりも大きくなっていった。 私達はよく仲のいい兄弟だねと言われた。今思い浮かべても、一度くらいしかケンカした 記憶が思い出せない。私と弟よりも弟と親のケンカが多かった。高校に入ってからは、生 活時間帯が変わり、あまり話す時間が無くなったが、それでも母親似で話し好きの私は、 よく弟に話しかけ、弟はいい聞き役になっていた。私が短期大学を卒業し、留学資金を貯 めようと、営業の仕事を始めた頃、弟は高校を卒業しなにもやりたいことがないといって いたので、私は私の働いている会社の社長に頼み、弟もやってみるといったので、系列の 会社の営業をすることになった。そして私達は札幌の一つ屋根の下で暮らした。2DKの その家は、とても住み心地がよく、ほとんど私が朝弟を起こし、たまに作る料理は私が作 り、外に食べに行くときはお互いにおごり合うという感じで、まるで夫婦のような暮らし をしていた。私達は、完全歩合制という営業形式により金銭感覚を失っていった。1年半 後、私はどうしても時給の仕事をしたくなり、お金を稼ぐため、そして借金を返すために 東京に出た。その後弟とは、しばらく一緒に生活してなかったのだが、ここNZに来る 3ヶ月前、弟も私と同じような道をたどり、東京に住む私の所に一緒に住むことになっ た。久々に一緒に住んでみると、全く変わってなかった。男同士の生活は本当に気楽だっ た。今では話し方に違いが出てきた。初めて話す人なら、弟の方が年上だと思う人が多い だろう。今彼は東京で生活をしている。私は離れていてもバースデイメールをいつも送っ ていたが、今年はNZから国際電話でもしようかなと思っている。がんばれよ、という気 持ちを込めて。
7月3日 となりでオリーブがとても元気になっている。とてもすっきりしている感じがする。実は つい30分ほど前、私達のムードは最悪だった。そして彼女から手紙を渡された。NZを 私達の共同生活の最後の場所にしよう、と。納得できた。私はここ最近仕事でのすれ違い や、週末のサッカーで、ほとんど一緒の時間を作れなく、彼女ばかりが私の生活パターン に合わせようとしていた。それに対して私でも自分で実感できるほどに何もしてあげれて なかった。そしてお互いの残り16日間の共同生活をイヤなムードにしたくないというこ とでの彼女の決断だった。なぜか辛くはなかった。それも今だけなのだろうか。とにかく 私は、自分の未熟さを知らされた一日となった・・・・・・
7月5日 私はオリーブに伝えられたことを素直に受け入れるつもりだったが、寝付けなかった。本 当にこれで良かったのかと何度もクエッションマークが頭の中を行き来した。そして「そ れなら今までと同じだ!」と思ったのだった。私は何かが始まること、何かが終わること は仕方のないことだと思っていた。それに対して自分が出来ることはない。特に何かが終 わるとき、それはその終わった何かを受け入れ、その次の何かをみるべきだと思ってい た。しかし今回その終わった何かは、本当に終わったのかを考え直してみたのだった。私 はオリーブに、まだ私達の生活は終わってない、終わりたくないという気持ちを伝えた。 そしてその後の二人の空気には、今までのそれとはまた違った色があった・・・・・
7月6日 人を信じること。それは人生の中でも一番難しく、長く生きれば生きるほど、そして経験 をすればするほど難しくなっていくのではないかと感じる。私は自分を信じるので精一杯 で、他の誰かを心から信じることが出来ていない気もする。そんな中でも、家族だけは、 何の疑いもなく信じている。なぜだろう。どこにいても私が孤独を感じないのは、私の中 にもう亡くなったおじいちゃん、そして今も頑張って生きている88歳のおばあちゃん、 そのおばあちゃんを毎日必死に支えてるお母さん、そのお母さんを見守るお父さん、そし てとなりで育った弟がいる。私は海外に興味があるということもあり、いろいろな環境に 立ち、周りの人に本当に支えられているが、一番自分を支えているのは、自分の心の中に いる家族、そしてその家族に育てられた自分を信じる心だ。私もいつか、今私が持つよう な気持ちを誰かと共有し、その心を伝えて行きたい。
7月8日 今日は以前働いていた語学学校で一緒だった台湾人の友達で、現在メルボルンに住んでい るという方がここクライストチャーチに来るということで、一緒に市内観光をすることに なった。もうここの街に来てから半年ほどたつが、市内観光をしたことがなかった私はど こにいこうかどうか真剣に悩んだ。そして、あまりたくさんの場所に行くよりも何カ所か をゆっくり回った方が楽しいかな、と思い市内をまわってるトラムのレール沿いを見て回 ることに決めた。実際見て回って思ったのは、自分が住んでいる町にこんな良いところが いくつもあったんだと思った。いつもは仕事場と家とサッカーに行くくらいなので、あま りたくさんの景色を見ないが、観光という気持ちで街を歩くと全然違うモノだなあと実感 した。そして、今日本語を教えるための勉強をしているという2人にもあえて、話も楽し かった。これからのたまの休みはこんな気持ちで自分の住む町を観光してみるのも良いな と思った・・・・
7月9日

著者の中川 健一郎さんに人生相談を申込む

著者の中川 健一郎さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。