結婚相手に出会う瞬間から結婚するまでの話
パウロ・コエーリョという人の本は、とても不思議な感じがする。宗教的というのか、そ れとも精神的というのか、とにかく呼んでいて、気持ちのどこかを満たされ、そして今の 自分の生活を見直す気持ちが生まれる。一言で彼の伝えたいことを私なりに表すなら、 「心という今の気持ちを頭で解釈せずそのまま身体で表そう。」という風に私には伝わっ た。人間社会は、いろいろなモノを作ったが、それと同時にいろいろな考え方も作ってし まった。それに従うことがなくても、周りの環境に自動的になじもうとする私達の心、体 は自分以外の誰か、何かに作られていくことがほとんどだ。だからこそ、自分の中にある 心に従い、心と話すことが大事だと。 私は毎日の生活の中でそれを一番大事にしようと心がけている。
7月11日 年に一度の行事はいろいろあるけれど、その中の一つ、誕生日がもうすぐやってくる。去 年の今頃は、私はSUBWAYの店で黙々と働いていた。誕生日には従業員のみんなが閉 店後に祝ってくれたのを覚えている。楽しかったなあ。私の働いていた店は時々飲み会を 閉店後にすることがあり、渋谷の公園通りという立地上、外を歩く人々の目にとまること がよくあった。でもそんな中でアットホームな感じでの飲み会は、私にとってとても大事 なイベントだった。今日はとても天気が良い。私の誕生日もこんな天気になって欲しいな あ・・・・・
7月12日 最近はイヤな夢ばかりを見る。今日の朝もそうだった。やっぱりオリーブがオーストラリ アに行ってしまうことが辛いのだろうか?自分の気持ちを自分で分かってないということ が時々ある。夢によってそれを気づかされた感じもする。天気の良さとは裏腹に、私の心 は落ち着かない。あと約1週間しか一緒に暮らす期間はない。自分にいったい何が出来る んだろう。いつもと変わらない一週間になるのだろうか?何かが変わる1週間になるのだ ろうか?とにかくその先は何かが変わるのだ。そうだ、10日後のことを考えてみよう。 もうお互い別々の国だ。そのときに出来る何か面白いことがないか考えてみよ う・・・・・・・
7月13日 ペイフォワード。この言葉を知っている日本人は多いと思う。この映画で言ったように、 私達が日々行っている生活は、常に誰かにつながっていくと思う。それが良いことなら良 いことが、悪いことなら悪いことが、それじゃあそのどっちでもないことはどうなるんだ ろうと思った。やっぱりつながっていくと思う。日本にいたとき、私は時間にとても追わ れていた。楽しいことイヤなこともあったが、何に一番時間を使ったかと言えば、毎日の 常にやらなければいけないことだった。それは良い事とも悪いこととも区別がつかない、
やらなくてはいけないこと。これが、忙しい町の中ではたくさん発生していると思う。こ れもやっぱり、ペイフォワードのように先につながっていき、そこ全体の空気がこんな雰 囲気になってしまうんだと思った。人の思う気持ちがたくさん集まって、空気を作り、そ の空気の中に入った人に影響するのだとしたら、それはたった2人の中にも存在する。自 分が2人の中の空気を楽しくしたいと思えば思うほど、思わなければ思わないほど、その 空気は色を変えていく。今日の空気は黄色にしたい・・・・・
今は、ハワイアンミュージックを聴いている。部屋の中がハワイアンな感じになってき た。ジャパニーズミュージックって何だろうって思ったら頭に演歌が浮かんだ。この国に これって言う音楽があるってのは良いなと思う。例えばジャマイカにレゲエ、アメリカに ヒップホップ、カントリー、ブルース。メキシコにサルサ、もっといろいろ知りたいなと 思う。
7月16日 語学学校で働いていたときの先生が夕食に誘ってくれた。私とオリーブとその先生の生徒 2人と計5人でその先生のお薦めの中華料理店に行った。なんとその店は今日で閉店と言 うことだった。更に入った時間が遅かったのもあり、私達は最後のお客となった。次々と 入ってくるお客さんに店主が閉店の説明をしているのを聞くと、私は渋谷のサブウェイの 店長をしている頃を思い出した。今私の働いていたあの店はもうない。となりのファミ リーマートが拡大した。最後に店を閉めるとき、お客さんからの「寂しい」という言葉が とても辛かった。意外にも他にどこにサブウェイがあるか聞かれることはあまりなかっ た。特に私は閉店する前の最後の一ヶ月間を、24時間営業にし、私が責任を持って30 日間の深夜労働を行った。その際には昼間では会うことの出来なかった近くのクラブの店 長さんや、ダンスチームの子達(彼らはサブウェイの中で楽しそうにメイクアップしてい た。)終電を逃した子達と楽しく話すことが出来た。昼間はいつも忙しくあまり会話を交 わすことが出来なかったが、夜はこんなにも話せるんだと思った。そして私は、閉店一週 間前に張り紙を出した。近くのスターバックスの店員さん達にも励まされた。そしてその 閉店の日、予定どおり昼の2時頃に全ての食材が売り切れた。並んでいたお客様に、「申 し訳ございませんがこちらのお客様をもちまして閉店とさせて頂きます。」というとき は、とても辛かった。たくさんの記憶がその店の主人の対応を見てて思い起こされた。楽 しく夕食が終わり次は近くのBARに行くことになった。私達は自分たちの話せる英語を 駆使して先生と話していた。楽しいときが過ぎ、私達が解散したあと、私とオリーブには 次のプランがあった。それは、街に出てサルサパーティーに行ってみることだった。とこ ろが・・・・・・・・・・・・・
ここに来て、私達は雰囲気の崖から落ちた。これから会おうとしている人と、みんなでわ いわいするよりも二人で楽しみたいという気持ちがオリーブから伝わってきた。しかしそ の友達はもう街で待っていて、しかもさっきまではもうすぐ行くよと言って大好きなサル サミュージックを思い出しながら待ち合わせの時間も決めていた。オリーブの友達の女の 子二人なのだ。ここニュージーランドの人はとてもフレンドリーで、平和な街だが、夜に なると危ない。私はどちらかを選ばなければいけない状況になった。今までの楽しかった 記憶を全て消しても足りないほど、私は悩んだ。結論を出したときには私はぐったりして いた。私はオリーブと共に家路についたそして、一言も話さずに寝たのだった・・・・
7月18日 引っ越しをした。とは言っても部屋をとなりの部屋とスワップした。オリーブがいなくな る今、私には10畳の部屋は大きく寂しかった。そして、そんなときにとなりの部屋のケ ニーが部屋をスワップしたいと言ってきた。私にとってはありがたい一言だった。3ヶ月 半のルームシェアを過ごしてきたこの部屋に一人になるのは想像以上に寂しい生活になる のだろうと思っていたから。私は新しい部屋での生活を、そしてオリーブは新しい国での 生活をあさってから始めなければいけない。私は私で新しい問題が一つ出来たところだっ た。それはここNZは、法律が厳しく、ワーキングホリデービザでは一つの場所では3ヶ 月までしか働くことが認められていないということだった。計算してみると私は9月の2 日まで働けるとわかった。あと一ヶ月半だ。私は今の仕事に就くまでにこっちに来るとき に持ってきたお金をほとんど使ってしまっていた。今はこの仕事のお陰で満足のいく生活 を送っている。また仕事を探すのは、職種を選ぶととても難しいなと思った。なぜなら 3ヶ月間しか働けないからだ。私が店長として働いていたとき、もし面接で3ヶ月しか働 けないという外国人が訪ねてきたら、まず80%は落とすだろうなと思ったからだ。新し い仕事は1ヶ月、それが英語なら、ちゃんと仕事が出来るまでに2ヶ月はかかる。そのと たんに辞めなければいけないのはとても大変だなと思った。そして今住んでいる家は、 1ヶ月前までに出ることを言うことになっている。そして私はここNZに住んでるうち に、次のカナダへの航空券代を貯めようと思っている。仕事でつまづいていたらそのお金 が貯まらないこともわかっている。さてどうしたものか・・・・・・・・
7月19日 今日は私の誕生日。28歳になった。どういう一日になるのかな?私はこの物語を書いて いて、何かを学んでいるような気がする。自分の表現を繰り返すうちにいろいろな表現が 出来るようになっていくと思う。私はこの人生という時間を、しっかり感じ、そして自分 自身という時間の集まりをしっかり表すことの出来る人になりたい。この28年間という 時間から成り立っている私をもっと素直に表現したい。そして今、毎日という新たな時間
を年輪のように積み重ね、太陽のもとへ伸びていきたい。人、そして自分を信じ、しっか りした根を大地に伸ばしたい。
7月20日 私が働いているバックパッカーでは、バス会社と提携して、毎週決まった曜日に無料バス ツアーを行っている。クライストチャーチの市内ではなくビーチ沿いと港町を中心に回 る、とても美しいコースだ。私達はそのツアーを予約していたが、あいにく天気は雨、さ らには朝から洗濯機が壊れるというトラブルにあい、どたばたした一日の始まりになっ た。ツアー自体は霧の中でほとんど何も見えなかったが、ツアーガイドのお姉さんが、と てもハイテンションで、ムードメーカーだったお陰で、私達一団はとても楽しい観光が出 来た。私達はそのツアーが終わったあと、車を見たいという人がいたので、私達が3ヶ月 間使った愛車を見せに行った。交渉は成立しなかったが、私達はその車を売ることに寂し さを感じていた。家に着いてから、オリーブは最後の支度に励み、キッチンからはケニー の作るおいしそうな料理のにおいが立ちこめてきていた。私がオリーブを驚かそうといろ いろ考えていたように彼女もいろいろ考えていたようで、映画「メアリ」のように、私は 一つの手紙から、部屋中を駆けめぐらされ、プレゼントをゲットした。私は自分の身につ けるモノを選ぶのが苦手で、オリーブに会ってから、何かを買うときは必ず彼女に選んで もらっていた。彼女がくれためがねケースは、格好良く、私のぼろぼろになっためがね ケースとは誕生日をきっかけにおさらばすることになった。夕食の際にはフラットメイト から、キーホルダー(時計付き)と、マオリというここNZの現地人の言葉のミニ会話帳 をもらった。オリーブの準備は9時までに終わらせる予定が11時までかかり、そのあと いろいろ話しているといつの間にか1時になってしまった。私達は4時に起きなければい けなかったので、ここで寝坊という落ちはあり得ないので、そのまま起きる決心をした。 とはいえ、そのあとで、最後の連絡をオリーブがメールでシドニーの知人に送っている際 に、私は寝てしまったのだった。「おはよう」という言葉で、私は4時過ぎにオリーブに 起こされすぐに着替えをし、車へ向かった。ここから空港までは30分、空いている朝で は20分で着く。空港について、私達はお互いに感謝の気持ちを言葉にしていた。すぐに でも彼女は出国検査場に向かわなければいけなかったが、出来なかった。わたしは、 「じゃあ、いくね。」という言葉を何度も何度も言った。少し帰ってはまた戻るというお かしな行動を笑顔で繰り返しながら、私は遂に空港の自動ドアをくぐった。オリーブはガ ラス越しに立っている。その笑顔には今まで彼女が見せたどんなすばらしい笑顔よりも私 を辛く感じさせるまなざしがあった。わたしは、また自動ドアをくぐり戻ることも考えた が、滝のように流れる私の涙を彼女に見せたくなかったので、私も笑顔で手を振り、早朝 の薄暗い空港の駐車場へと姿を消した。「また会えるんだよ、さよならじゃないよ。」お 互いに確認し合うように言った言葉、そしてまだ残してある彼女から預かった荷物。全て は昨日までとほとんど変わらない生活。オリーブの心と一緒の部屋にいないという大きな
大きな違いを私は目標という言葉と共に乗り越えようと考えている。28歳の誕生日は、
とてもかけがえのない一日となったのだった・・・・・・
7月21日 アルコールが入っていないビールの味のような一日だった。
7月22日 英語がわからないことが本当に辛い。今日も仕事中の電話で、私が聞き直すたびに電話の むこうからため息が聞こえた。相手の声を聞くときには、心の中で「頼む。聞こえてく れ」と祈っている。無意識のうちに。あと6ヶ月のNZ生活。今のこの辛い環境は必ず身 になることはわかってる。「苦労は買ってでもしろ」という言葉を胸に生きていこうと思 う。
7月23日 私がここNZに来るときに抱いていた夢は、世界を平和にすることだった。あまりにも大 きな夢に、そのことを聞いた人はおろか私自身までが、その夢に自信を持ちきれてなかっ た。でも生活の中で世界平和や、戦争、テロ、人種差別、ベジタリアン、いろいろな言葉 が、私を考えさせる。今日もTVのコマーシャルで、あなたのサポートが必要な子供達が たくさんいます。という内容が放映されていた。地球上の生き物の中で、私達人間だけ が、物欲、金欲を持っている。この事で、戦争が起こり、貧富の差が埋まれ、自殺という ことまで起きる。いくら、最低限の生活をし、それ以外はボランティアに、募金にしま しょうといったところで、それを受け入れる人はほとんどいない。大きな費用をかけ、T Vコマーシャルにして国中、世界中にこの事を発表しても、満足なボランティアは得られ てないと思う。私達が築いてきたこの人間の歴史は、とても大きく、けして一人では、そ して一世代では作り得ない世界がこの地球上に広がっている。そして私達は、この物欲、 金欲というモノを止められない。私は何とかして、この欲を、そして損得勘定というモノ を変えていける人になりたい。私達は何かを手にしたときと同じくらい、何かを与えたと きに満足できる。きっと私は何かできるはずだ。真剣に考える時間はたくさんある。もし この日記を見た方で、何か考えがあるかたは、是非コメントをください。
7月25日 ここNZにも貧しい家庭はある。それはどこの国でも一緒だと思う。私は今日、ふと思っ た。そんな貧しい家庭の中の一員となって働くことは出来ないだろうかと。一緒に生活 し、その家族の一員になることは出来ないだろうかと考えた。全く話は変わるが、私は今 までに格闘技というモノをしたことがない。人と人が戦うということに興味がなかった。 でも映画「ギャングオブニューヨーク」を意味がわからないながらも見ていると、戦いが 必ずしも悪いと言うことにはならないと思った。人が何かをうったえたいとき、自分の後
に残す人のために戦うとき、それは、人の心を動かし、そこに新たな動きをもたらすので
はないかと思った。私も何かの格闘技をやってみるべきなのでは、と思った。
7月27日 今までにない考えが頭に浮かんだ。先進国の中で辛い思いをしている人、発展途上国の中 で辛い思いとしている人、今までは100%発展途上国の人こそを助けるべきだと思って いた。しかし、どうだろう。こんばんは悩みそうだ・・・
7月30日 悩みに悩んで悩みまくった。でも答えは出ない。昨日が休みだった私は起きて朝食を食べ てすぐに、海沿いにあるお気に入りの図書館に向かった。いろいろ勉強道具を持っていっ たものの、勉強よりもいろいろ考えてるうちに時間は過ぎ去っていった。いつの間にか夕 方になり、前に働いていた語学学校の先生に何か意見をもらおうと思い連絡をしたとこ ろ、他の生徒さんも一緒に4人で夕食と言うことになった。夕食中にいろいろボランティ アの話にもなった。青年海外協力隊の話にもなった。でもどうしてもぴんと来なかった。 家に帰る際も私は歩いて1時間かかる帰り道を歩きながら考え、家に帰るとすぐに布団に 入り考え、まるで病気にでもなったように考え込んでいた。こうして書いている今でさえ 悩んでいる。「言葉よりも行動 を」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ふと、頭に思い浮かんだ。自分の生活の中で、助けの必要な人に気がつけるように精一杯 気をつけながら生きてみよう。普段私達は何か自分にとって得なものはないかということ にとても敏感だ。そのアンテナの種類を替えて、何か困っている、または人の手が必要か どうかを察することが出来るように気をつけながら生きていくというのはどうだろう。こ れなら、全てを継続できる。
7月31日 2005年7月30日。この日は自分にとって、とても大事な一日となった。自分がこれ から自分の人生をどうしていきたいかということを、さんざん自分と相談した結果、とに かく自分を磨くということ、周りをよく見て、よく聞いて、よく感じて、そこに自分の出 来ることがないかどうかに気づける努力をすること。世界の状況を知るということが、自 分の生き甲斐だと結論が出た。今までも何度も自分の夢、なんのために生きているのか? 何で宗教があるのか?自分の道に迷うことがたくさんあった。でもやっと今、見つけるこ とが出来た。あとはどれだけ妥協をせずに行動に移せるかどうかだ。今生きてるこのかけ がえのない時間を大事に生きていく。
8月1日
今日から8月だ。今月中に私のワークビザが降りるかどうかがわかる。もし降りなければ ここの家を出ることになる可能性もある。大事な一ヶ月だ。昨日のサッカーでぶつけた頭 と、つった足がまだ全然痛い。毎週月曜日の私はいつもこんなぼろぼろの状態だ。とほ ほ。
8月3日
今日は今月初の休みだ。私は映画に行く予定なので、バッチリその映画から何かを吸収し
てこようと思う。映画はいろんな事を見た人に伝える。映画を通じて、私は世界の子供達
のことを考え始めるようになった。その映画は「ネバーランド」。この映画のような感動
する映画を見ることも出来ない子供達のことを考えさせられた。
「The sea inside」。スペイン語の映画だった。英語の字幕が付いていたが、スペイン語ビ ギナーの私は字幕を見ると同時に所々スペイン語が聞こえ、久しぶりに聞くスペイン語に またあらためて魅力を感じた。物語の内容は、28年間も寝たきりで動けない生活を続け た一人の男が、自殺をしたいということで裁判を起こし、だが彼は顔以外どこも動かすこ とが出来ないので、他の人に助けてもらわなければならず、それを認める人、認めない 人、彼を愛する人の行動、彼の周りの家族、一人一人の感情がそこにはあふれていて、言 語は理解できてなくても、存分に泣いた。私達は五体満足なんだって事をすごく感じた。
8月5日 今日は2度寝をしてしまって、10時に起きてしまった。あと30分で仕事に行く時間 だ。この30分を何をしようか迷った結果ギターをすることに。おととい行ったジムで、 身体が筋肉痛だ。この筋肉痛が毎日続くように毎日トレーニングできたら完璧なんだけど な。私の仕事のスケジュールが昨日でた。来週から時間が削られていたが、これを良い方 にとって、自分を鍛える時間にしたいと思う。
今日は残念なニュースがあった。ワークビザが降りないことがわかった。よって今働いて いるバックパッカーでは、あと1ヶ月しか働くことが出来ないのだ。私はここの家に住ん でいる限り、必ず働いていなければならない。何かが終わるとき、何かが始まる。とにか く残りの毎日を悔いのないように働こうと思う。きっと楽しい毎日になるはずだ。
8月7日 フラットメイトにパーティーに誘われた。私は9時に仕事が終わり、そのあと自転車で帰 る途中にスーパーマーケットでコーラを買った。私は今アンアルコーリアンを目指してい る。これは私が勝手に付けた名前で、アルコールは最高一日1杯。酔わない。というもの の略称だ。私はアルコールならなんでも飲むし、強くはないが、飲むことは大好きだ。私 のフラットメイト3人は、みんなベジタリアンで、3人とも、2年前までは肉を食べてい
た。彼らは、今世界でビジネスのために生まれたことも知らずに残酷に殺されていく動物 の現状に反対したいという意識から、ベジタリアンになった。私は今でも肉は好きだし、 もちろん食べるが、ベジタリアンに対する見方が完全に変わった。私は食社会、食ビジネ スに対する知識がまだ豊かではない。ベジタリアンになろうとは思わないが、アルコール に関することではいろいろと思い当たることがあった。私の父のお腹はビールっぱらで、 何であんな形になるんだろう?と子供の頃思った。私の父の兄は酒癖が悪く、若い頃家族 に迷惑を掛けたという話を聞いた。電車の中で、座ったまま意識がなくなり吐き続けてい る女の子がいた。私の働いていた語学学校の先生のひとりは、掛け持ちでアルコール中毒 の人の世話の仕事もしていた。私達の人生の中でアルコールは蜜でもあり毒でもある。私 はアルコールで満たされる感覚を自分自身でのテンションのコントロールで出来ないもの か試していきたいと思った。これが私がアンアルコーリアンになろうと思ったきっかけで ある。 ・・・・私は家に着いてから、ジョギングに出た。実は今ひとつの作戦を立てていた。オ リーブが帰ってきたときまでに、身体を引き締めておこうという作戦だった。それはさて おき、トレーニングのあと、私はコーラを持ってパーティー会場の友達の家へと向かっ た。もう11時半を過ぎていたせいか、人は30人くらいいて、盛り上がっていた。驚い たのは、友達のお父さんやお母さんもいて、歳に関係なく楽しんでいることだった。みん なは私に「飲んでる~?」と盛んに聞いてきた。私は自分でテンションをあげ、楽しく会 話を楽しんだ。1時半も過ぎた頃、私のフラットメイト達は街に飲みにでると聞き、私は 街まで彼らを送っていった。私は翌日大好きなサッカーの試合があるのでここで帰ること にした。一人で運転している街からの帰りの車の中私の心はとても満たされていた。私が アンアルコーリアンになろうと決めてから、まだ2週間しか経ってないが、2回あった パーティーの2回とも、気分良くその日を過ごし、翌日も気分の良い一日となっている。 今のところ順調だ。これからも続けていきたいと思うのと同時に自分のテンションのコン トロールももっとうまくできるようになりたいと思った。
8月11日 フラットメイトのお母さんの紹介で、ナーシングホームという老人介護の施設の仕事に面 接にいった。どんな仕事なのか今日は一日見てみてくださいといわれ、午前中4時間いろ いろな仕事について回ってみた。とても感動した。自分一人では起きあがることもできな いたくさんの人達、無口で何を話しかけても返事をしない人、部屋に家族の写真がたくさ ん飾ってあった。私がご飯を食べるのを手伝ってあげたときに一口ごとに「thank you」と 言ってくれた。彼らは、長い人生を過ごしてきた。私の3倍は生きているだろう。まるで 子供のように、素直な笑顔で私の声に笑顔をくれる。彼らには数え切れないほどの思い出 がある。そして今の生活がある。たとえ自分の家族と一緒の生活じゃなくても、そこには 家族のような空気が流れていた。私の母親は、北海道の実家で、付きっきりでおばあちゃ んの面倒を見ている。大変なんだろうなとは思っていたが、今日ここでの体験で、とても
母親を誇りに思った。私は、おばあちゃんの、そして今はもう亡くなったおじいちゃん の、そしてお父さん、お母さんの辛い話を一度も聞かされたことがない。自分が親の立場 に立ってみたらどんなに大変なんだろうと思った。自分はいったい誰のために何を我慢し ているんだろう。こんなに元気な身体があって、こんなに自由な世界に生きていて、今の 自分は、誰に「安心」を与えてあげられてるだろう。世界は進歩していく。私達人間が変 えてゆく。でもこの家族という安心を、そして、私達人間は人間同士が家族なんだという 気持ちを持ち続けていきたい。私達が今初めてであった人のその瞳の中にでさえ、私達の 一番身近な人が、そして一番大切な人の心の一部が重なっているんだって事 を・・・・・・
8月12日 仕事の合間に、マネージャーに呼ばれた。採用のお知らせだった。言葉にできないくらい 嬉しかった。仕事が決まるというのはとても嬉しいことだが、今までにこんなにも嬉し かったことがあっただろうか?なぜだろう。そこに暮らす人の役に立てることが嬉しいの だろうか?そこに暮らす人は、私達のように自分で生活してる人と何が違うんだろう。彼 らはゆだねている。私がどう接するかが、彼らの人生の一部になる。私はいろいろな土地 を回って、今ここにたどり着き、彼らと接している。しかし半年後にはまた違う土地にい るだろう。彼らは、そこに暮らすことを選んでいる。それは彼らの瞳を見るとわかる。自 由な生活空間で暮らす人が自分自身を縛り付けているのとは全く逆に、彼らはそこで出会 う人々の心に彼らの心をゆだねている。そして、その生活を楽しんでいる。自由という言 葉はこの社会の中でとても大きなキーワードとなる。自由というのが一つの形だとして も、その色は人によって千差万別、自分の色の自由を見つけ出したとき、その人の向かう 方向が決まるのではないかと思う。とにかく本当に良かった。できる限りを尽くそう。
8月13日 仕事が決まった今、仕事を辞めなければいけない日も決まった。ビザによる許される期間 は3ヶ月。15日から働くと、11月の15日まで働くことができる。そのあとは、日本 に帰ることも考えている。6年間離れていた実家の北海道で、ホワイトクリスマスを迎え るかも知れない。私は、以前はせっかく海外のビザが取れたんだから、ぎりぎりまで滞在 しよう、できることならビザを延長しよう。と言う気持ちもあった。しかし今ではその考 えは変わり、その瞬間の気持ちを大事にしようと思っている。オリーブは、私よりもここ ニュージーランドに来た時期が早かったために12月の頭には帰らなければいけない。私 は、この先も必ず海外に行くと思っている。それなら、今はオリーブとタイミングを合わ せて、新しい生活のリズムを作りたいと思った。日本を旅行したことのない私は、青春1 8切符にも興味を持った。時々気分が落ちることもあるけど、私は常に走っていたい、そ
して、止まったときも足を動かすのを忘れないでいたい。信号が青になったときに、タイ ミング良く駆け出せるように・・・・・・・
8月14日 介護の仕事に行き、サッカーの試合に行き、夕食の当番だったので夕食を作り(カ レー)、今週の家事の掃除機ともっぷがけをすませ、とても充実した一日となった。レス トホームに暮らすマリアンが、私の名前を覚えてくれた!とても嬉しかった。私はお昼ご 飯のお世話をしてるときに思った。彼らは、毎日食べるご飯を選ぶことができない。中に は、ちゃんとかめないので離乳食ばかりを食べている人もいる。そして、自分の手で、口 元までご飯を運ぶことができないなら、そのご飯を食べさせてあげる私達だけが彼らの食 事を楽しいものとさせることができる。私達がただ彼らの手の代わりをするだけより、 もっと何かを考えて楽しい食事にしてあげたい。
8月15日 今日は、初めて一人で、メアリーの午前中の身支度とベットメイキングを任された。 ちょっと緊張したが、ジョージファミリー(これからレストハウスで暮らす人、働く人を こう呼ぶ。)の中では一番ひょうきんで、初めて私の名前を覚えてくれた人でもあるので 自分の思ったようにできた。それでもそのあとに任されたハッスルのときは、ちょっと 焦って、ブラジャーを着ける前に、ブラウスを着せてしまった。午前中はあっという間に 過ぎ、私は汗だくだった。そのあとはまた嬉しいことがあった。昨日のご飯の時間に元気 のなかった女性(名前を忘れた。悔しい。)が、私の「hello! how are you?」に、答えてく れたのだ。しかも、昨日は口の開き方が小さかったのに、今日はしっかり口を開けてくれ た。今こうして書いていて思ったのだが、どんなに小さいことでも、集中するだけで、こ んなに大きく感じるんだと思った。今は、バックパッカーの仕事から帰り、身体に疲れを 感じている。でもそれが嬉しい。こんなに自由に動かせる身体を少しでも疲れさせて眠り につけることに幸せを感じた・・・・・・・
バックパッカーで、久しぶりにメキシコからの旅行客をチェックインした。その方は英語 が片言だったので、「よし!」と思い切ってスペイン語で話しかけた。しかし、しばらく 使ってなかったせいか、あれっ知ってたはずなのに!と言う言葉が全然出ず、すぐに英語 に戻ってしまった。でも彼女は「muy bien!」と言ってくれて、やっぱりスペイン語もやり たいよ~!と思った。しかし今は英語に集中しなきゃならないんだ。がんばろ。それにし てもいろいろな国の人達が来る。これで何カ国語も話せたら、どんなに楽しいんだろうと 考えてしまった。
8月17日
忙しくなってきた。今日はレストホームでとても嬉しいニュースがあった。介護の資格が 取れるかも知れないという話だ。その資格はNZの定める資格で、もし取れればこの先の 海外生活にとても強みになる。昨夜はバックパッカーの仕事が12時までになり、そのあ と飲むことに。バックパッカーの一階にあるバーはにぎわっていて、一杯ビールを飲んだ あとは、周りのみんなと踊って、家に着いたのは2時をすぎていた。バックパッカーとレ ストホームを掛け持つ9月の3日まではあっという間に時間が経つだろう。そのあとは資 格所得に向けて、頑張ろうと思う。
8月20日 昨日の夜。仕事が終わってから家に帰り、とても疲れを感じたので自然に何か甘いものを 食べたいと思い、パンに蜂蜜を塗って食べた。今日はフラットメイトの誕生日だったの で、みんなは街に出ていて私の帰る時間と同じくらいに帰ってきた。時間は12時半を 回っていたが、バースデイケーキを食べよう、と言うことになりみんなでチョコのケーキ を食べた。さらに私の食欲は止まらず、昨日の夕食の残りを温めて食べた。そして布団に 入った。とても罪悪感を感じた。最近はいつも身体を鍛えることを考えていたので、夜ト レーニングをしていた。でもそれもせずにしかも12時をすぎてからばくばく甘いものを 食べ、すぐ寝た。この食べ物は、脂肪になっていくんだろう。友達で、自分の決めてる以 上食べると、もっとたくさん食べて、はいてしまう子がいる。私はこれは絶対良くないと 思い、止めようとしたが難しかった。開き直って、特技にしちゃえばと思ったときもあっ たが、男ならともかく女の子は妊娠することもある。妊娠中にはくようなことがあった ら、どんなに辛いだろうと思った。何とかうまく止められる方法を見つけて、その友達を 助けてあげたい。私はこれからトレーニングをする。昨日の分の栄養を発散しようと思 う。
8月21日
土と水と空気と火。
体と心と魂と命。
何か似ている。
この世界があと1000年経っても、
この事は変わらないのだろう。
ここから見えるあの太陽が燃えているように、
私達も燃えている。
必ず私達の出しているこの炎は、
何かに影響してる。
その炎を、
コントロールしたい。
8月21日 1ヶ月前から図書館に貼っていた、ランゲッジエクスチェンジの広告に最近e-mailがき た。何度かメールを交わし、今日の夕方、遂にあうことに。彼は高校の先生で、外国人の クラスの担当もしてると言うことだった。ただ、話はすぐに終わり、30分で、一緒に 入ったマクドナルドから出ることに。うーん、こういう事もあるんだなあ。と思ったと き、どこからともなくスペイン語が聞こえてきた。すぐ近くの席で、カップルがスペイン 語を話していた。私は以前メキシコレストラン(東京)で働いていた。そこにはまりあっ ちという3人組のミュージシャンがいて、その一人が、譲ってくれたギターを私はここク ライストチャーチに持ってきた。もう一人がくれたスペイン語の歌の本には、たくさん曲 が乗っているが、私の知っている曲は1つしかなかったので、誰かに聞きたいと思ってい た。とにかく無性にスペイン語を話したくなった私は、すぐに自分のメールアドレスを紙 に書き、そのカップルに声を掛けた。そして自己紹介をすませると、彼らはメキシコ人 で、今はオークランドの大学生で、ここには旅行できていて、明日帰ってしまうことがわ かった。でもその男性はとても親切で、私のスペイン語の曲のことを話すと、メールで曲 名を送ってくれれば、MP3で送ってあげるよといってくれた。今であったばかりなのに! とてもハッピーな気持ちで私はマクドナルドを出、そのあとは夜のダウンタウンのお勧め コースを、バックパッカーに泊まる人達にちゃんと説明できるように街を探索した。明日 の仕事が楽しみになった。
8月22日 今日からあと2週間でバックパッカーの仕事が終わる。思えばここニュージーランドに来 た次の日に、クリーナーとしての仕事をここで見つけ、たったの1週間で腰が痛くなり、 辞めた私を仕事が見つからなくて困っているときにレセプションとして雇ってくれたマ ネージャーにはとても感謝している。あのころは、まだ一緒に到着したSUBWAYの従業員 がここクライストチャーチにいて、なんか不思議な感じがしていた。そして、彼女に、街 でばったりであったとき、一緒にいたのがオリーブだった。それからすぐにオリーブとは 仲が良くなりあっという間に時間が過ぎていった。そしてオリーブはオーストラリアに旅
立ち、早1ヶ月が経った。残り約3ヶ月。私の心には、そしてこの日記には、どんな記憶 が書き足されていくのだろうか。
今日は仕事のあと、最近友達になった日本人の女の子と、コーヒーを飲んだ。その店はと ても雰囲気が良く、まだそのこと会うのは二回目だったので、少し緊張もあり、不思議な 気分だった。いろんな事を話した。彼女は私よりも英語が上手で、私達は英語で会話を楽 しんだ。その中でも、男と女は全然違うっていう話が印象的だった。私は、今までいろん な人に惚れてきたが、自分と似てるなって思って惹かれるときと、自分と違うなって思っ て惹かれるときがある。とにかく楽しい一日だった。おっと、まだ終わってない。今日も これからトレーニングだ。がんばるぞっと。
8月24日 48時間。この2日間の間に、私は今までの人生の中でも一番突拍子もないことをした。 遅くまで、「ハニーポットカフェ」にいた私は家に帰り、いつも通りこのページを開い た。そして、そのあとは、ホットメールの確認をし、オリーブからのメールがなく、とて も声が聞きたかったので、あとのこり3枚あるフォンカードの一枚を使い、オーストラリ アのシドニーに住むオリーブの携帯電話へと電話を掛けた。もう彼女と離れてから1ヶ月 以上立つが、離れていることに全然慣れない私は、カート ゙のこり時間もあと数分のとき にオリーブが言った、「嫌われるかも知れないけど書いた」という題名の文を、まだ送っ てはいないが下書きしたというのを聞いて、とたんに不安になった。彼女が寂しがりやな のはわかっている。たとえどんなことがあったとしても、自分の気持ちに変わりはないこ ともわかっている。そう思いながら話していると、「凹むんならおくんないよ」とだめ押 しされ、それに答えられないまま、カードの時間が切れた。私はもう1時半を過ぎていた ので、布団には入ったが、オリーブに会いたい気持ちで全く寝られなかった。何も解決策 を見つけられないまま、気が付くと3時になっていた。 そして、ふと、「次の休みに日帰りでもシドニーに行けないだろうか?」と考えた。ここ クライストチャーチからシドニーまでは約3時間半かかる。空港から彼女の家まで1時間 かかったとして、空港に2時間前に着かなければいけないことを考えると、たった1時間 会うために、最低でも14時間かかる。とても日帰りでは無理だと思った。私の休みは水 曜日で、火曜日は夜の仕事があった。しかし、私はどうしても、どうしてもオリーブに会 いたかった。「明日一日仕事を休んで、朝一で飛行機に乗り、明後日の夜の便で帰れば何 とか会ってゆっくり話す時間は作れる!」と思いついた私は、すぐさま布団から飛び起き パソコンの電源をいれ、ウェブサイトで、フライトスケジュールを確認し、23日朝7時 発のクライストチャーチ発シドニー行きと、24日夕方6時30分発シドニー発クライス トチャーチ行きを発見した。しかし私はクレジットカードを持っていないので、ウェブサ イトからのチケット購入はできず、さらにはその時間は空港が閉まってるので、電話での
空席確認もできず、とにかく、空港に行くしかないという結論が出た。そう気づいたとき の時間は4時、私は1日分だけの着替えをいれたバックを背負い、パスポートを確認し て、家を出、自転車に飛び乗った。私の働いているバックパッカーまでは約20分で着 き、何とか4時半にバックパッカー出発のエアポートシャトルに乗ることができた。5時 に空港に着いた私は、早速ニュージーランド航空のカウンターに行き、空席を確認、割引 無しのチケットを手に入れた。空港税を払ったときには、もう私の預金はほぼからになっ ていた。ここNZでは、週払いの給料だったので、何とかなると思い、私はその往復チ ケットを手に入れたのだった。それから、フラットメイトのみんなには、明日の夜には帰 ると携帯からメールを送り、バックパッカーのマネージャーには緊急でシドニーに行かな ければ行けなくなってしまったので申し訳ありませんが今日だけ休ませてくださいとの メールを送った。そしてそれから約5時間後、シドニーの時間で23日朝8時半に空港、 それから2時間後にはオリーブの泊まっていた家の前に来ていた。約3年前、私はここシ ドニーに10ヶ月間住んでいた。通る道、見える景色が私にいろいろなことを思い出させ た。3年ぶりに再会したい友人もここシドニーにいる。しかし私はそのためにここに来た のではない。今立っているこの家の中にいるオリーブに会うために、そのためだけに来た のだ。ノックして、出てきたオリーブは、ただひたすら驚いていた。私は彼女を抱きしめ たい衝動を止めることができなかった。彼女は1ヶ月前と変わらない笑顔で私を迎えた。 それからたくさん話した。シドニーの天気はとても良く、外を歩きながらたくさん話し た。座りながらたくさん話した。 コーヒーを飲みながらたくさん話した。7ドルステーキを食べながらたくさん話した。た くさん笑った。くだらないことでたくさん笑った。他にも久しぶりにあってオリーブに紹 介した友人にも3年ぶりにあったが、オリーブ以外はあまり視界に入らなかった。「あと 1時間だね・・・・」ダイリングハーバーに架かる橋から、遠い空を見つめながら言った その一言で、私達は現実を感じた。私はオリーブが働いているバックパッカーから出るエ アポートシャトルバスを予約していた。今会ったと思ったばかりの時は、あと1時間を 切っていた。悲しいという気持ちを抑えるために、私達はこの先の予定を話し合った。本 当は先の予定はそのとき決めなくてもいいのはお互いにわかっていた。でもそうしない と、私はあふれ出る涙を止めることができなかった。オリーブの瞳はそのときの話の内容 で色が変わっているのがわかった。シャトルバスに乗った・・・・・彼女が見えなくなっ たとたんに涙が流れ落ちた。そしてそれは止まらなかった。シャトルバスに乗っていた1 時間も、飛行機の待ち時間も、空の上での4時間も、あっという間だった。ただ、私の目 には、彼女の笑顔が移り、手にはそのつないだ感触が、耳には、笑い声が、鮮明に残って いた。そして今私はここにいる。48時間前とまた同じ椅子に座り、明日は私を待ってい る。10月18日。この日までの毎日がお互いのためにあってくれることを強く願い、私 はこれから布団に入る。
8月26日 ここ、クライストチャーチにもそろそろ春がやってくる。最近であった、世界のいろいろ なところに住んだことのある日本人は、クライストチャーチが一番いいと言っていた。そ の方は、たくさん見て、そして暮らした中でここがいいと言っていたが、私はこの先どこ が一番好きな土地になるのだろうか?ふと今までの自分の暮らした街を思い浮かべてみる と、どうしても、街よりも、人が浮かんでくる。自分と似た環境で暮らしている人とたく さんで会えた場所が、私にとって一番好きな土地だなと思った。ここクライストチャーチ はどうだろうか?私のクライストチャーチの思いでは、どうしてもオリーブとの出来事に なってしまう。たくさんの思い出は、私がこの街に住んで1ヶ月目に出会った彼女との思 い出ばかりだ。来年は半年間静岡に住むことになるだろう。その先はカナダ。こうして、 自分の進む道が見えていることに、なんて幸せなんだろうと思う。これからも自分のなり たい自分になれるように、自分自身、そして自分の周りの環境をどう変えていくかと言う ことをしっかり考えながら生きていきたい。そしていろいろなことを考える時間というの はとても大事だとあらためて感じた。
8月27日 最近は仕事が忙しく、まともにフラットメイトと話をしていない。昨日も帰りが遅く、今 日の朝冷蔵庫を開けてみると、私のための晩ご飯が入っていた。とても申し訳のない気持 ちになった。あと1週間はこんな生活が続く。先日の航空券で、私の預金はほぼ0となっ ているため、今の忙しい生活は、私には必要なものとはわかっているが、早くこの1週間 を乗り切りたい。
8月28日 昨夜の私は落ちていた。どうしようもないほど、気持ちが落ちていた。理由はわかってい るが、それ以上に落ちていた。きっと体内のバイオリズムが今下がっている所なんだろう と思って落ちてる気分に自分をゆだねた。虚脱感があった。なぜかそこから立ち上がれな かった。腕立て伏せをたくさんしたときに、手に力を入れても全く身体が動かないような 状態に、心がなっていた。
8月29日
天国と地獄。聞き慣れた言葉。たとえ宗教を信じていない人でも予想はできるだろう。で もそれっていったい何なのかが、今日ちょっとわかったような気がした。たくさんのお年 寄りをみていると、同じ歳でも全然違うことがある。それは元気の良さよりも、表情のち がいだ。たとえ身体を満足に動かせなくても、そこに笑顔があふれている人と、いつも不 満げな顔をしている人がいる。単純に考えるなら、今まで動かせたからだが動かないこと は不満に決まっている。だけどそれまでの人生で培われた、考え方というものが、その人
を幸せにも、不幸にもしているんだと思った。身体の自由がどんどんきかなくなって、遂 に何も感覚がなくなったとき、その人には何が残っているだろうか?記憶と、受け入れる 心、そしてそれに対しての考え方だと思う。そしてこの身体と魂が離れたとき、その人の 人生の全ての記憶に対しての考え方が、その人の魂をどこかに連れて行くんだと思う。こ こで、ふと今のことを考えると、今も先も条件は全く同じだということに気づく。自分に 対して起こることに対しての考え方。今までの記憶。人の心を受け入れる心。 今自分は何 をするべきかと考えることはよくあることだが、その考えている自分こそが、一番大事な ことだと気づいている人がどれくらいいるだろうか?私達は、もっと考えるべきだと思 う。考える時間こそが、その人を造っているんだと思う。
8月30日 寝るのが楽しみに感じたことは、子供の頃のクリスマスくらいしかなかった。でも今の私 は寝るのがとても楽しみになっている。人を待つ思いをしたことのなかった私が、人を待 つということを実感させられているときだなと思った。睡眠と言えば、私は今まで、身体 の回復時間としか考えたことがなかった。一日に睡眠を3時間2回に分けてとっていたこ ともあった。6時間寝ると、よく寝たと思う方だった。最近は違う。時間が経つことに嬉 しさを感じている。最近「キャッチミー イフ ユウキャン」の本を読み始めた。とても 英語が難しいが、何とか止まらずに読み続けている。一度みてとても面白かった映画だけ に内容がわかってるから助かっている。読み切れたらいいな。
8月31日
今日はとても久しぶりに、全く予定のない一日となった。 街にふらっと出てみたが、何かしっくり来ない。 家に帰ってきて、ゆっくりしている。私はもしできることならこの日記を、一冊の本にし たいと思っている。もしどなたか詳しい方がいらっしゃったら製本について教えて頂きた い。
私はここクライストチャーチに来るときに日本にいたときとは完全に変わった生活をしよ うと意気込んでいた。それはまるで忙しさの中で自分が何か環境を変えたいと願う心が思 い浮かべたとても正反対の生活だった。しかし実際に到着してみると、すぐにその環境に なれ、気が付くと周りの人と何ら変わらない生活になっていた。私の働いていた日本のサ ブウェイの従業員の一人がたまたま私と同じ時期にここクライストチャーチに1ヶ月間留 学に来るということで、とても不思議な感じで彼女に出会った。そのとき私はすでに働い ていたので、なかなかあう機会がなかったが、2回目にあったとき、その子と一緒の語学 学校に通っていた彼女の友達が、オリーブだった。みんなで6人いたが、それぞれ目的の 場所があったので、2人づつに分かれたとき、私と一緒に日本のエージェントに向かった
のがオリーブだった。初対面だったが、彼女はとても明るかったので、私もいつの間にか すぐに心を開いていた。用事が済み、待ち合わせの所に向かうときには、もう「けん」と 呼ばれていた。私は正直とても嬉しかったのと同時に、自分の中で、日本人の友達はでき るだけ作らないようにとおもってた自分に妥協した。そのときはお互い連絡先すら知らな かったので、私はただ、またいつか彼女に会いたいと思って過ごしていた。しかし、なか なかその機会は来ず、待ちきれなくなった私は日本から一緒に来てる子に連絡先を教えて 欲しいと頼んだのだった。そしてそのあとほんの数回あったとき、私は彼女の通う、ジム に一緒に通おうと決めた。彼女(オリーブ)の寸出たホームステイは、ジムのすぐ近く で、時々そのホームステイ先によることもあった。そんな中私は自分の気持ちを確信した のだった。
私はクリーナーの仕事、オリーブは語学学校があったため、仕事のあとに街で待ち合わ せ、そのままジムに向かい、そのあと彼女を家まで送ってからバスで私の家に帰るという のが私達のパターンだった。そのうち私は張り切って働きすぎたせいか、持病の腰が痛み 始め、大事をとって仕事を変えることに。しかし次の仕事はなかなか決まらず、面接を繰 り返してるうちに私は語学学校のエクスチェンジ(お金の代わりにフリーレッスン)の仕 事が決まった。オリーブの住んでいたホームステイのファミリーはとてもいい家族で、特 にお母さんは語学学校の先生、私も誘ってもらい、野外コンサートや、ディナーに誘って もらった。そのときはまるで私もホームステイをしているような気分だった。しかし彼女 は語学学校+ホームステイでかなりのお金を使っていたため、私がフラット生活の話をす ると、彼女もふらっと生活がしてみたいと言った。私の部屋は、かなり広く、もしかした ら二人いけるかなと思い、フラットメイトとも相談し、遂に4月から、オリーブは私の住 むフラットに引っ越しをした。さらには、語学学校も予定の3ヶ月を1ヶ月縮め、なんと 私の働いていた語学学校のレセプションのエクスチェンジワークに見事合格したのだっ た。そして私達の、家、仕事、ジム、という共同生活がはじまった。
9月1日 今日から9月だ。最近自分がちょっと落ち込んでるような感じがする。なんていうか、自 分のできることの半分しかやっていない。というよりも、心ここにあらずという感じ。そ んなの駄目だってわかっているけれど、心がいうことを聞かない。身体は一つしかないけ れど、心はきっと、いくつかあると思う。いくつもの自分が、その状況に合わせて相談し ている。いまは、オリーブを思う自分が、他の自分を蹴散らしている。だけどそれじゃい けない。全ての自分が、満足できるような決断をしなきゃいけない。だからこれからだ。 今日、9月1日。私はこういった区切りを大事にする。今年もあと4ヶ月。しっかり地に 足を下ろして生きていこうと思う。
私は今までにも、何度も共同生活をしている。異性とのルームシェアは、これで3回目と なる。一回目は、オーストラリアにいたとき、そのときの彼女と。そのときは、一緒にい ることで、自分がどんどん彼女に甘えていってるような気がしてもっとしっかりしなきゃ と思うことが何度かあった。2回目は、東京のマンションで5人でフラットシェアしてた ときに、ドイツ人の女の子とルームシェアをしていた。はっきり言ってその期間私は朝か ら晩まで毎日仕事だったので、ルームシェアしてるという感覚すらなかった。そして今 回。
家だけではなく、仕事場も、そのあとのジムも同じ生活。 大丈夫かな?とちょっと不安になったりもしたが、 最初の2週間は毎日がとても楽しかった。しかし私と彼女の決定的なちがいが身にしみる ようになってきた。彼女はどんな人と接するときもすごく自分を出せる人だった。それに 比べ私は、相手に合わせることが多く、私達二人だけの時はいいが、何人かで行動を共に するときや、語学学校での仕事中に、彼女は私に不満を抱いた。そして私達の意見は何度 も食い違うようになった。オリーブは怒らなかった。ただ、「もういい」という感じでそ の場のお互いの意見のぶつかり合いを納めてしまうのだった。最初の頃私は、もういいん ならいいよと思い、自分もすぐ気持ちを切り替えていたが、そのままだとお互いの雰囲気 が悪くなる一方だった。私は自分の気持ちを確かめた。やはり私には彼女が必要だった。 「もういい」といったあとにわたしは、「よくない」と反抗するようになった。たくさん のケンカをし、私は一緒にいない方がいいなと思うことが何度もあった。でもお互いに、 謝ることは忘れてなかったから、何とか私達は4月から5月までの1っかげつを過ごし た。そんなときオリーブの友達が、みんなでオーストラリアに10日間行こうという案を 立てた。私も誘われていたが、丁度その頃やっとお金をもらえる夕方の仕事にありつけた ため、私は断った。私とオリーブが10日間離れるのはいい期間だなと私は思った。しか し、問題はその前に起こった。職場にオリーブが慣れてきたため、私達は交代でレセプ ションをし、さらには私の夕方の仕事で、完全にすれ違いの生活になった。私はジムに行 く時間もなくなってしまった。仕事が遅くなって家に帰ると、ちょっと機嫌の悪いオリー ブがいた。私はこの状態を何とかしなければと毎日思っていた。そして彼女はオーストラ リア10日間の旅に旅立った。
9月2日 今日と明日でバックパッカーの仕事が終わる。夜12時までだ。今日はなぜか朝早く目が 覚めたので、とても長い一日になるだろう。これからレストホームの仕事に行き、帰って きたら、バックパッカーに行く。最近口内炎ができた。舌もいたい。何かストレスが溜 まってるのかなあ。
9月4日
遂にバックバッカーの仕事が終わった。ワーキングホリデー生活は、1年という短い時間 の中に、いろいろな区切りがあるので、とても生活がテンポ良く進んで行く。今月はレス トホームに集中、来月は、なんとバックパッカーにクリーナーとしてエクスチェンジアコ モデーションをもらう生活を始める。バックパッカーに長期滞在したことのない私は、今 からもう楽しみだ。オリーブは今シドニーで同じ事をしているが、やっぱりいろいろある みたいで、時々心配にもなる。よし、今日はサッカー、ちょっと天気が良くないけど、頑 張って子よっと!
今日で、サッカーのシーズンが終わった。試合後に、次のシーズンに向けての監督のコメ ントがあった。自分はもういないんだなあ、とあらためて感じた。きっと来年の今頃はカ ナダのどこかにいる。私は高校で腰を痛めて以来、約9年間もサッカーをしていなかっ た。それをここで、こんな形で再開できたことにとても感謝している。そして、自分の腰 にもこうして痛めずにひとシーズンを終えることができたことに感謝している。自分の身 体の一部分に感謝したのは初めてかも知れない。今私がこうして文字を打っている指、画 面を見つめてる目、呼吸をしているこの身体全てに、私達は感謝をしなければいけないん だと思う。心が身体を思うように、身体だって心を思ってくれる。どんなに身近な人より も一番身近にいる自分の身体。これからは、もっとうまく自分の身体とコミュニケーショ ンととっていきたい。
9月6日 一日予定がない日の朝に、その日の予定を決めるのはとても楽しい。その日の天気、体 調、気分、全部がうまくまとまる計画を立てることができる。今日は、ビートルズの「イ エスタデイ」を覚えることに。それだけだと、すごく集中できる。レストホームでの毎日 はとても充実していて、私を中から成長させてくれる気がする。
今日は私にとって転換の日だ。オリーブと電話でたくさん話して、自分の愚かさを知っ た。涙が流れた。彼女は過食症という病と、もう10年間も戦ってきているという話を以 前にも聞いたことがあった。私は何とか私にできることはないかと頑張ったつもりでい た。しかし、また今こうして離れているところで、彼女が辛い思いをしているかと思う と、どうしても彼女をそこから救いたいという気持ち一心で彼女と話した。「もうちょっ と過食症について調べてみて」と言ったオリーブの言葉に、私はすぐさま過食症をネット で調べた。こんなに簡単に調べられることを何で今まで調べなかったんだ!と、自己嫌悪 になった。でも後悔してもはじまらない。私は今から彼女に対してできることを夢中で やってくんだと思った。時には失敗もあるかも知れない。だけど私は失敗をおそれずに、 全力を尽くしていきたい。そして、ここmixiのコミュニティーでたくさんの同じ悩みを持
つ方のつらさが私に伝わってきた。私に何ができるか、オリーブだけじゃなく、過食症で 悩む全ての人の意見や気持ちを聞いて、私のできることをしたい。がんばろう。
9月8日 オリーブが、なんと今月中にここクライストチャーチに戻ってくることになった。毎日電 話をし、私がだだをこねていたからかも知れないが、とにかく私はオリーブのことが心配 だった。24日にサッカーのトーナメント&パーティーがあって、それにオリーブといき たいよ!といっていたら、しっかりそこに間に合うように帰ってくることになった。とて も嬉しかった。誰かに、何かをされると言うことはとても嬉しい。私はこの日記を書き始 めたとき、二人の記念に、いつか一つの本として、彼女にプレゼントしたいと思ってい た。今私は、本当に真剣に、彼女の摂食障害の回復に協力したいと思っている。だから私 はこの日記物語も、そこを中心に、書いていこうと思う。いつかきっと彼女の病が治った と心から思えるときが、この物語のエンディングになるだろう。 この日記をみたみなさんのご意見、どんな意見でも聞かせて頂きたいです。そして、同じ 摂食障害を持つ皆様、頑張りましょう。私はオリーブを思うと共に、この症状のつらさを 感じさせられました。もしこの症状が、体よりも心の問題なら、必ずこのインターネット という世界を通じてでも、回復に向かえると思っています。なぜなら、素直になれる世界 だからです。
今日は一日中家を出なかった。ニュージーランドに来てから、初かも知れない。でも不思 議と満足している。日本にいたときなら、考えられなかったことだ。時間をもったいない と思う気持ちが明らかに小さくなった。時間よりもそのときの自分がどういるかのほうが 大切な気がした。時間というのは、時計があるから計れる。その時計を気にして、今自分 の前で起きている大切なことを自分は今までにいくつも見逃してきたと思う。だからこの 日記もそう。今日話した人もそう。今日練習したギターもそう。今日勉強した英語もそ う。全部が自分に与えてくれてることを、しっかり受け止めていこうと思う。そう考える と、時間がもったいないという気持ちは自然になくなっていく。
9月9日 レストホームでの仕事は、本当に自分に生きる元気をくれる。たとえ身体を動かすことさ えできない人達でも、そこに心がある。たとえ私の英語が理解してもらえなくても、かれ らのえいごがりかいできなくても、心と心が向かい合って、何かを伝えようとしてるのを 感じる。そして彼らの生きると言うことに対する気持ちが伝わってくる。精一杯生きてい る彼らと接して私も精一杯いきたいと感じた。今日はこれからランニング。今日は金曜日 なので街はにぎわっているだろう。
9月10日
やった!遂に天気が良くなった!最近は、曇り続きで、あまり調子も出なかったんだけ ど、今はとても快晴。ここクライストチャーチの好きなところを3つあげるとしたら、 1,水道水がめちゃうまい。2,緑がたっくさんある。それも、ちゃんと町が発展してる のに、まるで、植物も、街の住人のようにこの町に住んでいる。3,丘に並ぶ家々の明か りが、夜ほんとにきれい。まるで、星空のよう。でも、その丘に登ると、今度はクライス トチャーチ全体が見事な夜景として見える。本当に贅沢。 今日は充実一日になりそうだ。外の景色を見てるだけで、そう思えてくる。
9月11日
一つの案が思い浮かんだ。 私はNZに出てくるときに、ビテオレコーダーを買った。 それは、何か作品を作りたいと思ったからであった。
しかし、実際今のところほとんどうまく使えていない。 私はもともと写真も撮らない方だが、この機会に、ビデオをたくさん撮っておこうかなと 思った。それも、この日記と平行したものを。
いつの日かこのクライストチャーチ、日本、その先の海外のいろいろな街が、一つの物語 として、編集できるように、ビデオに収めておくのもいいかなと思った。
9月12日
私は今、
「Catch me if you can」 という英語の小説を読んでいる。 この物語は映画にもなり、ノンフィクションの映画だ。 結構知っている人も多いと思う。 そしてビックリしたのが、 この小説は、その物語の主人公が、 そのまま自分の過去を書いているというものだ。 私も以前詐欺師にあったことがあるので、 とても興味がわいて、今読んでいる。 英語の小説を読み続けているのは、 実はこれが初めてだ。 いつも途中で挫折してしまっていた。
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