講演会資料

埼玉県西川口の昭和の臭いを残した住宅街に、嘗て母親が営んでいたスナックを居抜きのまま集会所にしている「罪人の友 主イエス・キリスト教会」がある。ここを主宰する牧師の進藤龍也は元ヤクザだ。18才で稼業入りし、10年目に組長代行になったが覚醒剤にハマり、やがて覚醒剤の使用・密売で3度目の服役をする。
ヤクザ世界で破門状況の中、拘置所で手にした聖書の一節に目を奪われたのが進藤の一大転機となった。
私は悪人が死ぬのを喜ばない。 むしろ、悪人がその道から立ち返って生きることを喜ぶ。
立ち返れ、立ち返れ、お前たちの悪しき道から。(新約聖書・エゼキエル書33-11)

体中を歓喜が駆け抜け、とめどなく涙があふれ、幾度となく読まずにいられなかった。
「ヤクザを辞めてクリスチャンになれば、社会復帰ができる……」
出所後、進藤と同じく元ヤクザであった鈴木啓之牧師の教会に寝泊りし、アルバイトをしながら神学校に通った。
 
服役・覚醒剤中毒の経験を持つ進藤は、現在、刑務所伝道に携わっている。その活動のなかで、受刑者と文通を重ね、出所時の身元引受人になって無償で教会に住まわせたり、僅かな出所所持金を使い果たして転がり込んでくる者の衣食住の面倒までみたりもしている。
「僕はその人たちと文通しただけ、面会に行っただけかも知れない。あるいは服役中に雑誌やテレビで見た私を思い出して来ただけかも知れない。会ったことも交わったこともないかも知れない。ただ、僕が無条件にその人を愛して、ここに寝泊まりさせ食事をさせる中で、信頼関係が始まる。それは、僕がイエス・キリストによって無条件で愛され、赦され、そして牧師という立場になれたからなんです」

教会内の金目のものを持ち出して逃げ出すなど、恩を仇で返すような者もいた。正にジャンバルジャンの世界がここにはある。愛してくれたから愛す。愛しても見返りが無ければふて腐れる。そうやって人の愛は見返りを求める。しかし神の愛に条件はない。「その無条件の愛に近づくことが、我々クリスチャンの生き方」と進藤は言う。

イエス・キリストは他者のために生きることを徹底して貫き通した。進藤の生き方は正にそこに近づこうとしている姿だ。進藤の言葉からは、うさん臭さを微塵も感じることがなく、偽善の空音も聞こえてこない。また、狂信的な視野狭窄の印象も受けない。「牧師は金太郎あめのような人、何処を切ってもイエス様が出て来る」と言われるほどの優しさと、時にユーモアを交えて真摯に語る彼の言葉は、強固な響きを伴ってヒシヒシと染み入ってくる。

クリスチャンの洗礼式は、全身を水に沈める行為を行う。「水の中に入ることで、古い自分は死ぬ。また起き上がることで、キリストと一緒に新しい自分に生まれ変わるということ。自らの生を引き受け覚悟を持って生きる。しかも、祝福を受けた光の中で……。その充実した生を、進藤はクリスチャンになることによって獲得した。それを進藤は人々に伝えているのだ。

進藤は自ら言う。「私にあるもの:前科・刺青・薬物歴、無いもの:学歴、職歴、手の小指」。
それは彼がどのように生き、どのように救われたかの「証し」でもある。だから元ヤクザを売り物にしているという批判に対し、神様は私のようなこんな無に等しい元ヤクザでも用いてくださっている。だから私はピエロでもいい。私が恥をさらすことによって、一人でも救われるなら、たとえ100人からバッシングされようとも、それでよし、という気概を持って伝道を続けていると語る。

「私たちは無力じゃない。微力なんです。微力が集まれば、大きな力となって社会を変えることもできる」
刺青、小指、額の傷、注射痕。進藤の体に刻まれた受難の刻印と対峙していると、柔らかな光の差すカラオケスナックだった徹底的に俗なる空間に、だからこそ立ち上る聖性を感じずにはいられない。重たい話をしながら決して暗さを感じさせず、逆に明るく爽やかささえ感じさせる進藤龍也には正に濃密な、本物の感触がある。
今年(平成22年)12月23日、今上陛下の誕生日は進藤龍也の40歳の誕生日でもある。
 
◆進藤牧師の活動の詳細はブログ『進藤龍也牧師のヤクザな日記』でご覧になれます。

(3年前の明るい社会づくり運動の講演会チラシ記事です)

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