汝の道を行け そして人々の語るにまかせよ
進藤牧師との対談①
■最初の1回は量が多くてひっくり返った
進藤 対談に入る前に少しだけ祈らせてください。では一言祈ります―。
神様、今日は依存症の人たちの回復支援活動をしている潮騒ジョブトレーニングセンターの方々が、茨城県鹿嶋市から2時間以上を掛けて、労力をかけて、祈りを掛けて、願いを持って、ここ「罪人の友・イエスキリスト教会」にやってきました。
私たちは一つです。それは依存症で苦しんでいる多くの者たちへの解放、あるいは刑務所を出て行き場のない者の受け入れの場、そして何よりもその者たちの社会復帰を支援するということ。
依存症という病を持つ者が仕事を身につけて、このジョブトレーニングセンターという名前のように、どうぞ一人でも多くの人が、いや一人も残さずに社会復帰できるよう、そしてただの依存者で、ただの生活保護で終わるのではない、本当に社会に組み込まれる、そのような人を一人でも、いや一人残らず、そのようになるよう私たちは働いています。
どうかこの思いを結実し、思いを新たにし、また共に前進していけるように、助けてください。今日集まった一人ひとりの上に、あなたの豊かな格別な祝福がありますように…。イエス様の前に祈ります。アーメン。
―ありがとうございます。それでは始めさせていただきます。今日は進藤先生に貴重なお時間を割いていただきまして、ありがとうございます。
進藤 はい。ありがとうございます。
―奇しくもお二人は出身地がほぼ同じで、かつて暴力団組員としてこの地元地域で活動し、ほぼ同じ犯歴があったりします。今日の対談テーマの一つでもありますが、困難だった依存症も克服されてきた、という経験を共通してお持ちです。
栗原施設長はダルクで、進藤先生はキリスト教によって助けられたと思うんですが、まずは進藤先生に、ご自分が薬物依存症だという自覚を持った時の様子から伺います。
進藤 自覚を持った様子ですか。うーん、そう言われると真剣に依存症だという自覚を持ったことはなかったかなあ。
僕は覚せい剤をやる前はシンナーを何度かやったことがあるんですけど、結局そんなに中毒にならずに済んだというか、友達がやってるからやるぐらいの感覚でしたからね。自分から買いにいったり、やりに行ったりとか、そういうのは無かったんです。
しかし覚せい剤は、一回やった時からとりこになりました。いや正確に言うと最初の一回は量が多すぎて、実はひっくり返っちゃって「こんなもん二度とやるか」と思ったんです。
でも、その一年後に「薄いのでいいからやろうよ」と友だちに誘われて。怖かったんだけど、やったらすごく気持ち良くてですね、その二回目の薄いのを打って「これだ!」って完全にハマってしまった。それからもう完全にとりこですよね。
ですからもう、自分で分かりました。「ああ、もうこれやめられないな」って。で、それが切れかけて、その日のうちに「またもう一回やりたい」っていう感じだったのを覚えてますね。
僕の依存症はそこから始まってると思います。十八か十九歳になるくらいだったと思います。はい。
―栗原施設長はどうだったですか?
栗原 私はまず、アルコールから入ったんです。十三歳ぐらいだったですかね。大変な飲兵衛で、アルコールに強くて、飲むと元気が良くなってね、まあ酒乱というところですかね。
それが二十代で覚醒剤と出会うわけですけど。その頃組織にいたものですから、バクチの中でお客さん用に覚せい剤とアルコールが置いてあった。
その残ったのを試しにちょっとやってみた、腕を出してみた、というのがきっかけです。一回目ですごい万能感を味わった。それが、とりこになる原因だったんですね。
■孤独な環境が依存を引き受けてしまう
―やはりお二人とも、依存症になる素質というんですかね、下地というか、そういうのが自分の中にあったんでしょうか?
その、家族関係も含めて薬物とかを受け入れてしまう、依存症を受け入れてしまう、何か素質や資質、あるいは環境要因みたいなものはあったんでしょうか。振り返ってどうですか、進藤先生の方から?
進藤 僕の場合は、むしろ環境でしょうかねぇ。素質というよりかは、僕は環境だと思います。子供時代に何か満たされない思い、寂しい思い、それをやっぱり埋めなきゃならない。
それが子どもなら興味本位も手伝って身近にあるたばこですね。そしてシンナー、やがて覚醒剤…。でも、薬物やってた人が急にやめれば、心と肉体の中にポックリ空洞が…、それを埋める作業かな?
まあニコチンやめればパイポやってみたり、そのような代替行為、依存の置き換えですよね。今はキリスト依存で、それが何とか満たされてはいるんですけども…。
やはり子どもの頃から満たされない寂しい思いとか、そういうのがその要因というか、その何だろうねえ、孤独な環境が自分の意識下にある依存を引き寄せてしまう、そんな体質だったんではないかなと、そんなふうに思うんですけど。
―栗原施設長もやはりそういう幼児体験とか大きいですか?
栗原 そうですねぇ、やはり大きいですよね、幼児体験って。私の場合、あまりいい思い出がないですからね。
はっきりした記憶はないんですけど、父親が戦死して三歳で里子に出されましてね。その養母の家で、今でいう様々な幼児虐待を受けていたから、どこにも自分の居場所がなかったんですね。
だから不良少年としてグレるしか術がなかった。十三歳にして酒を覚え、酔うことで心の空洞っていうか、寂しさを埋め合わせていたんだと思います。
多分、今進藤先生がおっしゃったような体験的なものを自分も味わっていたかな、と。
―そこのところをもう少し話して頂けますか。
栗原 思い出してみると、子どもの頃よく映画館に行ってたんですよ。
今のようにテレビなんかない時代ですから、娯楽なんてない。子どもながらも、まち場にある映画館に通ってひたすら映画を見ていたのを思い出しました。
それも一軒では済まない、二軒、三軒とはしごして、日が暮れるまで、バスの時間が許す限りずうっと映画館を巡り歩いちゃうという体験がありました。
何か一つのものに異常なほど没頭する要因というか、その頃すでに依存症になる資質みたいなものが自分の中にあったんでしょうかね。
それが過酷な少年期の成育環境と相まって、後にアルコールや覚醒剤と出会うことによって嗜癖というか、病的な依存につながっていったんでしょうね。
―病的かどうかの線引きは置くとしても、人間誰しも依存ていうのはありますよね。
子どもが母親に依存するように、それはもう当たり前の風景だとは思うんですが、そのいわゆるアディクションとして嗜僻的な方向に、病的な依存にまでなっていくという、その異常なのめり込み方ですよね。
そこのところの一線を越えてしまうっていうのが、まさに依存症という病気の領域だと思うんですが、一線を踏み越えてしまったことで当然ながら、意識も行動も狂っていきます。狂気の世界に踏み入れたことで、いろんなトラブルを引き起こします。
今思い出されて、例えば進藤先生の場合はヤク中となったことで、自分の中で思い出すトラブルというか一番ひどい状態の体験みたいなものは振り返ってどうですか。
ここらへんが本当に大変だったな、っていう話ですが、エピソードも含めて何かありますか?
■「力こそ正義」の世界で目いっぱい虚勢を
進藤 うーん、狂ってた頃のエピソードですか。ありすぎるぐらいあるけど、大変だったのは、さっきも言ったけど一回目に覚醒剤やったときですよね。
多分ものすごく量が多かったと思うんですけど、そこで倒れたんですね。もう本当に二日くらい寝れない状態で幻覚を見ながら、「頼むから普通になってくれえー」というような感じでした。
あと変な言い方だけど、その後に中毒も板についてきた時に、けっこう派手な抗争事件があったりしてね。もうそれこそ、エスカレートして人殺しに行かなきゃいけない時とかに、先輩たちと景気付けに覚醒剤を打ったりなんかしてね。
そう、抗争事件の中でね、だけどもう自分がヨレちゃっているから、本当に追われてるのか分からないけど、木刀とかいろんな道具を持った連中が車で追いかけてくる。幻覚の世界だから、あれがいまだに分かんないんですけど…。
それに対して僕たちは、ただ偵察に行って丸腰だから、ひたすら車を走らせて逃げる。今考えるとヤクザが抗争場面でヨレて逃げ帰っちゃうだから、なんか漫画みたいな光景だけど、そういう場面があったですねえ。うーん。
とにかくシャブで狂っていだ頃は宇宙人的な、あり得ない話というか、笑っちゃうよな話がたくさんありますねえ。シラフになると赤面しちゃうような体験があります、はい。
―栗原施設長も過去のヤクザ時代には覚醒剤絡みの抗争事件で大変な経験があったんですよね。
栗原 そうなんです。覚せい剤の利権に絡んだ抗争事件だったんですけど、最初は大したことじゃないんですよ。
それがお互いにクスリ(覚醒剤)によってどんどんエスカレートしていって、いつの間にか大人数が集まって大規模な抗争事件に発展して、発砲事件にまでいってしまったんです。
私はその事件で逮捕され、結局は懲役9年か10年ぐらい、かなりの長期刑で刑務所に行ったんですけど、その間にまあ重傷を負わせた相手が死んでしまったという、そういう悲惨な事件がありました。
それはやっぱり、今考えてみると元はクスリが原因だったんだなあ、と。クスリで狂っているから怖いものなしで気分が高揚して、抗争がどんどんどんエスカレートしていくんですよ。
両方が人を集めて、それがぶつかりっこしてね。そうして自分でも予想外の、ヤクザ同士の大規模な抗争事件にまで発展したわけなんです。当時、新聞でも大きく報道されましたけど。
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