汝の道を行け そして人々の語るにまかせよ

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 お二人とも裏社会というか、戦争と同じように極限のパワーゲームというか、殺すか殺されるかの状況下で生きてきたわけですね。活動時期こそ違うけれども、「力(暴力)こそ正義」という任侠道の世界で、目いっぱい虚勢を張って生きてきた。
 その際に覚醒剤は、それを補強する材料というか、徹底的に自分を強く見せる偽物のパワーがある。なにせ戦争中は「特攻錠」として玉砕覚悟の特攻隊員が恐怖心を抑えるために飲んで出撃したらしいですから。
 そういう一時的な幻想の世界というか、シラフではとてもできないのに、束の間の陶酔感にのめり込ませることで万能感を駆りたてて、自分をスーパーマンだと錯覚させる。そんな悪魔の力みたいなものがあるんですよね。
 そういう中で栗原施設長は曲折を経てダルクにつながって、幸運にも依存症からの回復の道を歩まれた。一方の進藤先生の方は神と出会って自力? での回復って言っていいんだと僕は思うんですが、依存症を克服していく。
 そこはとても興味のあるところなんです。その辺を具体的に話していただけますか? まずは進藤先生からお願いします。
 
 ■ダルクにこそ他力でなく自力を感じる
 進藤 まあ自力と言えば自力なんでしょうが、ここは信仰の世界ですから、僕たちは浄土宗的に言うと「他力」なんですよね。要するに神の力をもって克服できた、と。
 だから自分自身の思いからすると、今言われた自力とは真逆なんですよ。僕は神様の力によって、他力によって、要するに神の力にすがることで克服できた、信仰の力でね。
 でもダルクを見てると、逆に僕は皆さんにこそ「自力」を感じるんです。そこには神が無いと思えるから。
 もちろん皆さんには12ステップがあって、ハイヤーパワー(自分が信じる神)があるかもしれないけど、そのハイヤーパワーっていう目に見えない力っていうのは、僕たちにとっては神であり、イエス・キリストだ、ということになります。
 だから、この他力っていうかね、ここに救いがあると思うんですけども。僕たちにとっては何かこう、ハイヤーパワーっていう言葉で、雲隠れさせてる感じですね。
 ―そのご指摘は興味がありますね。「雲隠れ」ですか?
 進藤 まあ、それはしょうがないです。これは多分にそのー、行政が入ってくるとニュートラルな形にせざるを得ないでしょうから。
 でも元々は、アメリカから始まったのはキリスト教的なものだから、元々のことを考えれば同じなのかなと思います。
 要するに僕たちから言わせれば、ハイヤーパワーっていうキリストが皆さんを救いに導いている、依存から救い出していく、つまり魂の霊的な解放なんですよね。
 だから、どんな宗教かというと「解放」の宗教なんです。囚われからの解放…。
 で、先ほどの「満たされない思い」という子どもの時の話につながりますけど、僕の母親はね、実は栗原さんがいた組事務所の下で長年、水商売をやっていたんです。ほんと、奇遇ですけど。
 で、その後にここのスナックで独立したんですよね。当然、母親は夜は仕事してるから家には居ないでしょ。一人っ子で兄弟もいませんし、結局、家庭で満たされないから外に行くんですよ、子どもは。
 非行の問題ってのは、大体が家庭で満たされない子どもが家の中に自分の身の置きどころがないから、外に居場所を求めていくところから始まる。でも、それでも心は満たされない。
 で、次に満たされない思いは友だちに行き、そこでまたいろいろ動いてはみるんだけど、やはり満たされない。今度は女に行き、っていう形で次第に依存のシステムが自分の中に構築されていく。
 そういう形で最終的には身体に害のある薬物やアルコール依存症という、厄介な病気になっていくと思うんですけど。
 僕はやっぱり自分の依存の問題が、その家庭で満たされないところから始まっていたんだなあ、と。
 でも、最終的に刑務所の中で聖書と出会い、神様と出会った時に、この「自分では変えられない」という自分の「自力」ではダメだと、いうところから新たな歩みが始まるんですね。その構造は、ダルクも同じだと思うんですよ。
 そこはもう、だから一緒だと思うんですよね。
 施設長も幼児体験の中で満たされない思いがあったと思うんですね。先ほどの話だと虐待扱いを受けたというのが依存症の原点ですかね。
 
 ■「もう死んでやれ!」と自宅の井戸に飛び込む
 栗原 そうですよね。戦後間もなく不遇な幼年期を経て不良の世界に入っていくという、うすうす自覚的になったのは七歳くらいなんですがね。
 その頃、「もう死んでやれ!」と思って自宅の井戸に飛び込むとかっていう、そういう自暴自棄な体験をしているんですけど。
 やはり愛情不足というんですかね、そういう満たされない少年期を経てアルコールに走っていったわけです。
 子どもながら、もう力に頼るしかない、自分が頼れるものは力、目に見える形の暴力ですよね。
 その頃の任侠映画の影響もあったのかもしれませんが、男の意地とか根性とか、やたらと強い人に憧れていって、ヤクザの世界に真っ直ぐにこう、行ってしまったんです。今考えれば、それは虚勢にしか過ぎなかったんですが。
 だから当時は、酒を飲むと非常に元気がいい少年でね。それなりの武勇伝もあるんですけど、まあ、なるべくしてなったという感じですね。
 だから割合、自然な流れで任侠道というか、ヤクザの世界に憧れて足を踏み入れて行ったわけです。
 先ほども触れましたが、そこにおけるアルコールや薬物、覚醒剤はですね、それは自分が強い人間だと錯覚させるわけですよね。
 例えるならトップアスリートが、自分の限界を超えてパワーアップしようと、ルールに違反しても筋肉増強剤を使用するように、万能感を得られる魔法の薬となるわけでしょ。
 結局シラフの自分っていうんですか、酒にしろ覚せい剤にしろ普段の酔ってない状態では自分を保てない。シラフの自分を肯定できないということが根本にあるんでしょうか? ありのままの自分を認められないというか…。
 栗原 うーん、シラフの自分ねぇ…。やはりどこかで自分をつくっていたんでしょうね。こう、鎧をまとう感じで。自分はこうあるべきだとか、人に負けてはいけないとか、一種の防衛本能みたいなものかな。子ども時代から一人で生きていくしかなかったですからね。
 とにかくシラフのままでは、ありのままの自分を支え切れないから、何かこう虚勢とか鎧とかで弱い自分を包みこんでね。目いっぱいヤクザの正義感を前面に出して、やれ意地だ、根性だってね。そう自分に言い聞かせて、一生懸命に自分の弱さをカモフラージュしてたんだと思います。
 普段の生活では、それがなかなか自分の中でみなぎる力とならないから、パワーを成熟させるためにお酒だったりクスリだったりに頼る。そこに段々と深入りしてったということですかね。
 
 ■「人間って不完全なまま子どもを産む」
 進藤先生の場合はどうでしょうか。シラフの自分、ありのままの自分を肯定できないという問題なんですけども。
 まあ、現代社会というのは、そういう意味ではストレスがいろんな形で多いですよね。あれこれストレスが充満する社会。しかも強固な学歴社会ですから、子ども時代から激烈な競争の中に投げ入れられる。
 小さい頃から「他人を蹴飛してでも、自分の力でのし上がれ!」みたいな雰囲気や価値観の中で育っていくわけなんですけど、今、栗原施設長が言ったように「虚勢」を張ってというか、何かやっぱりその、ありのままの自分を生きられないというか、肯定できないという問題が、現代社会の病理でもある依存症問題の根底にあると思うんですが、それについて進藤先生はどう考えますか?
 進藤 基本的にですね、人間ってやっぱり、不完全なまま子どもを産むと思うんです。アダムとイブの堕落以来ですね、罪が入って以来、人間は完璧じゃないわけですから、どんなに成熟したとしても人間って完璧にはなれない。
 そういう人たちが成人して親になり、それなりに愛情と情熱を傾けて子どもを育てていくんでしょうけれども、そこにはどうしてもひずみが出る。
 とりわけ僕たちの親の世代っていうと、戦中生まれか、戦後すぐの団塊の世代だったりするわけで、苦労して働いて日本の高度経済成長を支えてきた世代です。
 多くが仕事中心で生きてきて、人一倍忙しい生活を送ってきた。そういう心を失う社会の中でね、それでも必死になって僕たち子どもを育ててきてくれたと思うんですよ。
 それだったらまだ親として合格点かもしれないけど、もっとひどい人たちもいるわけですね。だからと言ってグレていいのか、依存になっていいのか、っていうのはまた別問題なんだけれども。ある子はやっぱり自分の親がポン中で、虐待されて育てられたとか、自分の親に彼氏を寝取られた、っていう話だってある。暴力を振るう親にしょっちゅうブッ飛ばされたりとか、本当に耳を疑うようなことがあります。
 僕たちだって、そんな同じところにいたんだなと思うと、本当に怖いですよね。昔も今もそれは変わらないかもしれないけど、今はテクノロジー万能の時代でしょう。
 2020年夏のオリンピックが東京に決まったけど、今から半世紀近く前の東京オリンピックの時だって、僕はまだ生まれていなかったけれども、新幹線や首都高速道路が開通して、「戦後は終わった」って感じでみんなスゲーって思っていたんでしょう。
 今はあの頃とは比較にならないぐらい、もっとすごい便利な世の中になって、僕たちを取り巻く時間がどんどん速くなった。スマホや携帯で誰とでも連絡を取れるっていう時代に僕らは生きている。
 確かに便利なんだけど、それだけに覚醒剤だって簡単に手に入るようにもなった。悪い方の人たちも同じように便利に商売をするようになったわけです。昔はシャブなんて暴力団やその周辺の風俗、水商売ぐらいでしたよ、使う人は。
 だけど今は、善も悪も全部一緒くたになって成長して、昔は思いもしなかったほど簡単に、いろんな欲求を満たしてくれる社会になったけど、それに応じて心も豊かになったかというと逆に貧しくなっている。
 じゃあ、どう生きたらいいの、そこでどうするかっていう問題が今、切実に問われている。みんな答えが見いだせない、生きるビジョンが見えないという混沌の中でね。
 恐らく三、四十年前と比べると、こころを病む患者や精神病で病院に通う人たちは倍増していると思いますよ。それは現代社会が本当に心を無くしている証拠ですよね。薬物の汚染も社会のすそ野にどんどん広がっていると思います。
 
 ■依存は制度の手直しだけでは解決できない

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