汝の道を行け そして人々の語るにまかせよ

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 すいません。さえぎる形になってしまうんですが、そういう先の見えない、不安な時代だけに、これまでは浮上してこなかった依存症、アディクションが深刻な社会問題となっている側面があると思います。
 それで僕が思うに、行政というか国の対応というのは十年一日のごとく変わり映えしないですよね。薬物問題で言えば、聞こえてくるのは相変わらず「ダメ。ゼッタイ。」の空しい掛け声ばかりで、この国には罰を与える仕組みしかない。
 一貫して、厳罰化すれば薬物の乱用は解決できると錯覚してる。でも厳罰化したからといって、この国に違法薬物がなくなるわけはありません。どんどん厳罰化の流れになってますけど、一向に減っていない。
 逆に薬物汚染は巧妙な手口で広がりを見せるばかりで、今や子どもたちや家庭の主婦にも広がっている。それだけじゃなく政界、経済界、法曹界、教育やスポーツの世界…と、もう汚染の垣根は完全に取り払われている。薬物を取り巻く社会環境は少しも良くなっていませんよね。
 そういう中で国も財政がひっ迫しているから、現実的な対応にシフトし始めた。薬物事犯者を刑務所に入れるだけでは再犯の多さを食い止められない。国家負担ばかりが重くなって、らちが明かないと考えるようになってきたんですね。
 だから国もここにきて、やっと重い腰を上げ始めた。再犯が大半を占める薬物事犯に対しては「刑の一部執行猶予」制度が現実のものとなった。
 三年後には、その法律が施行されるみたいですが、こうした動きについてはどう思われますか。
 進藤 ちょっと長くなって申し訳ないんですけども、答えになっていないかもしれないけど、僕が言いたいのは薬物依存と取り締まりのイタチゴッコに終わりはないってことです。
 今言われた国の対応、制度的な流れも含めてね、時間はかかるとしても、それは少しずつ変わっていくでしょうね。
 日本の社会って世間の目をとても意識するから、すごく気にしますよね、世間体を。だから、それにひっぱられて社会防衛の面からも厳罰化の動きは否定できないと思います。
 でも、国も借金漬けで大変だから、欧米のように「司法対応から医療、福祉へ」という流れに少しずつ舵を切っていくでしょう。僕も、それは現実的な政策になっていくと思いますよ。それは避けられない時代の流れだと思います。
 でも、依存の問題はそうした小手先の制度の手直しだけでは解決できませんよ。もっともっと手ごわい問題ですよ。なにしろ本質的には、難しい心の領域の問題が関係していますからね。
 いくら文明が発達しても、科学や医療技術が高度に発達しても、心の闇は見通せない。どんなに豊かな社会になっても、心の空洞は埋められませんからね。
 逆に、寂しさに耐えきれず、孤立して薬物に依存する傾向が強まるかもしれない。うん、これは人類永遠の課題かな、しょうがないですね。
 
 ■たった一人出迎えてくれたのが姪っ子だった
 ―よく依存症ってのは「寂しさの病」って言われますが、その寂しさを埋め合わせるためにアルコールや覚醒剤などに頼るようになるんでしょうね。
 その基本構造はどんなに時代が移ろうが、変わりようがないでしょうね。
 振り返ってみると僕らが子ども時代、昭和三、四十年代ですが、どこでも裸の付き合いがあって、人間関係もストレートにぶつかり合っていました。
 それが世の中すごく便利になって、核家族化が進んだ。すると人との付き合いも裸のままじゃなくて、よそいきの衣をまとうようになった。
 おまけに少子高齢化の波が押し寄せて、子どもがすごく大事に育てられている。だけれども、肝心な愛情の部分では響き合う親子関係がうまくつくれていないケースが多くなった。
 あちこちでコミュニケーション不全が拡大しているように思うんですけども、そういう時代の変遷の中で、薬物ってのは確かに入手しやすくなってるし、蔓延してるってのは言えると思うんです。
 その一方で回復のルートを考えた時に、AAなんかはもう四、五十年の歴史になりますかね、ダルクもあと二年ほどで三十年ですね。もう立派な一角の歴史なんですけども、そういう中でダルクが果たしてきた役割は無視できません。
 そこで、その意義っていうんですかね、日本では長い間、薬物中毒か乱用かっていう概念しか無くて、非行や犯罪の色メガネでしか世間は見てこなかった。
 そういう考え方しか無かった中に、ダルクは当事者の自助活動として登場し、「薬物依存症という病気なんだ」、しかも「回復できる病気なんだ」と力説してきた。
 栗原施設長はそのダルクで助かったわけですが、改めてダルクの存在意義についてはどのように考えますか?
 栗原 そうですね。ダルクについては刑務所の中でも一応聞いていたから、その存在は知っていたんですけどね。私の場合、前橋刑務所を満期出所して三日でアルコールを飲んでぶっ倒れて、気づいたら留置場の中でした。
 その時に包丁持ってたもんですから銃刀法違反で逮捕されてね。まあ、飲酒それ自体は合法なわけで何ら法に触れることはありませんから、トラブルを起こさない限りはね。でも、その時に取り調べした検事が温情ある人で、起訴猶予にしてくれた。
 実は私の出所時に、たった一人だけ出迎えてくれたのが身元引受人になってくれた姪っ子なんです。NAメンバーのアノニマスが「ロバ」という私の姪っ子なんですけども、彼女を身元引受人にして、処分保留という寛大な処分をしてくれた。
 その代わり「ダルクに入りなさい」という条件付きでね。で、私はその足でダルクに連れて行かれちゃうんですけど、その姪が北関東を横断する形で車を運転してくれてね。群馬から千葉、茨城とね、ありがたかったです。
 そこで初めてダルク、NA、12のステップというものに出会うんです。不思議なことに、ダルクで初めて自分の居場所を与えられた、っていう感じがしました。
 そうして「ここなら俺はクスリをやめていけるぞ!」っていう決意というか、覚悟みたいなものが持てたんです。それまでとは何かが決定的に違ってました。
 過去七回も刑務所を出たり入ったりしていながら、やっと与えられた自分の居場所だったんですよね。そこがダルクだった。結構、中には逃げ出すのもいたんだけど、私にとってはとても居心地のいい場所だったです。
 それまで私が刑期を終えて出所する時には毎回、暴力団仲間が車で迎えに来て、必ずクスリが一本付いていた。腕さえ出せば体に入ったという環境にあったんです。刑務所を出るやいなや「出所祝い代わりに一発」でした。
 それが七回目の出所の時にはまったく状況が違っていて、何ものかに導かれるように、やめる場所に連れて行かれた。だから姪は私にとっては命の恩人。彼女がいなかったら、私はとっくに野垂れ死にしていたと思います。
 
 ■ウチの教会ではクスリの欲求が出てこない?
 なるほど。そこで栗原施設長は初めて、ご自分の「底つき」を経験した、ということになりますね。もはや自分の無力を認める段階に差し掛かっていた…。
 栗原 そうですね。あの時が決定的だったかなと、振り返って思います。
 ダルクで言うところのハイヤーパワーが私の回復にとってじゃまだったものを、あの時初めて全部取り外してくれた。だからお手上げ状態になれた。私の回復は、あそこから始まったんです。
 その時、栗原施設長は既に六十歳、還暦だったわけですよね。いくら日本の社会が高齢化社会だとしても、六十歳っていえば定年退職の年齢です。
 普通なら仕事終えて人生の大きな責任を果たして、あとはゆっくりと余生を楽しむというか、悠々自適の年金生活に入るわけですが、そういう中で六十歳にして新しい人生に踏み出すってのは、僕なんかからすると掛け値なしい「すごいなあ!」っていう感じです。
 恐らくダルクの中では最年長の回復記録でしょう。
 栗原 もうね、刑務所でも「クスリをやめたい」ってのはあったんです。何回もそういう気持ちはあったんですけど、シャバに出るとすぐに欲求に負けちゃう。
それまでの決意なんて簡単に吹き飛んじゃう、刑務所を出ると全く違う世界に出ちゃうんですよね。
 それまで私の出所時に迎えに来てた連中にしても、目の前にクスリが現れれば、それまで抑制されたものが一挙に噴き出る。二倍にも三倍にも欲求が膨らんで、自分をクスリに真っ直ぐ向かわせるんですね。たちまちとりこになってしまう。
 目の前にシャブを溶かしたポンプ(注射器)を出されると、人格が豹変したように、制御できない自分になってしまうんですよ。
 まさにそこが依存症の怖さ、悪魔の正体ですね。進藤先生は振り返って、ダルクと出会ったという時の様子はどんな感じだったんですか?
 進藤 僕もダルクについては、刑務所の中で何度かそういう施設に入っていた人とから話を聞いたりしていていました。
 だから一番最初の刑務所の時は、よっぽど「俺もダルクに入んなきゃダメかな」「こんな所に出入りして、俺の人生は終わっちゃうのかな」なんて思いながらね、漠然とダルクのことは考えていました。
 でもそれは一時的なもので、出ればまた栗原施設長の話じゃないけど、迎えに来てる連中が、元の帰るところが腕出せばシャブを入れてくれるようなところですから、やめる環境など無かったです。
 で、これは皆さん不思議に思われるでしょうが、ウチのこの教会では、みんなクスリをやりたいという欲求が出てこない、って言うんです。薬物依存のみんなが「これは奇跡だ!」なんて言ってます。
 もちろんそれは神様の奇跡でもあるけれども、もっと言うなら「やめられる環境に自分を置く」ってことが大切だと思うんですよね。
 やめられる環境(ダルクや教会)に自分を置いたからこそ、また自分が何とかして回復したいという熱い思いがあったからこそ、神様がその後押しをして今があるわけで、まあ実際に僕はダルクとの関わりというのは、この教会を始めて、ダルクの施設長だった人間がスリップをして、奥さんがSOSでこっちに来たのが始まりです。
 その人の友達とか、ダルクの人は何人かがここに来ています。またある人は、ここで洗礼を受けてから再度クスリを使い、そして再び刑務所に入り、また戻ってきたというケースもあります。その人は今またダルクにいるみたいですけど。
 もう一人は、僕と一緒にテレビ番組にも出てくれた兄弟ですけども、彼はとりあえずおとなしくしていて、洗礼を受けてます。刑務所へも戻らず、神学校に行きました。なかなか卒業できないでいるみたいですけど、でも頑張っています。
 あとは沖縄のダルクですかね、これまで講演に2回ほど行ったんですけど、そこの施設長もやっぱり悩みながら、今は教会で洗礼を受け、つながっているみたいなんです。
 やっぱり施設長も牧師みたいなもんで、いろんな人のケアとかが大変らしくて、ストレスでスリップしちゃう人も多いみたいですね。
 ダルクとの関係というか、僕は実際にはここに来て牧師になってから、そういう形でダルクでスリップした人たちと関わったのが最初ですかね。

進藤牧師との対談②

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