フツーの主婦がサラリーマンの旦那を日本に置いて、マレーシアのジョホールバルに移住して起業してしまった話 その3(帰国後)

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前話: フツーの主婦がサラリーマンの旦那を日本に置いて、マレーシアのジョホールバルに移住して起業してしまった話(高校留学時代編)
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実は中学時代から、
私は行きたい大学があった。
そこは、英語に力を入れている大学だったので
英語が得意だった私は、
行けるといいなあと夢描くようになっていたのである。
その思いは、
帰国後も変わらず・・・。
その大学名は、
「上智大学」
国際色豊かな、英語では有名な大学。
特に行きたいと思っていた学部は、
帰国子女で有名な
早見優や西田ひかるの出身学部、
比較文化学部」に憧れていたのだ。
ここは生徒数が1学年120人と少なく、
他の学部とは全く違う。
つまりアメリカの大学のように英語で授業をする学部だったので、
学生は、ほとんどが帰国子女か留学生。
一般の受験とは異なっていた。

受験は、
TOEFLとSAT
小論文
学校長の推薦
アメリカの大学の入試と同じ形をとっていたのだ。
ということで、
自分の能力よりはるかに上で、
合格への環境は厳しいとわかっていたのだが、
それでもずっとこの大学に行きたいと思っていた。
留学しその思いはさらに強くなり、
上智大学一本で行く事にしたのだ。
そのために
「上智大学比較文化学部受験対策講座」という
専門の塾に通った。

先生はネイティブの外国人。少人数制だったのもあり、かなり月謝も高かった。
TOEFL・SATの勉強に
明け暮れることとなるが、
なかなかうまくいかない。
周りのライバルがどんどん
目標スコアをとっていく中、
私はスコアが上がらない(;_;)
結局、現役の半年間では合格できず
浪人生活を送ることになるのであった。

▼浪人時代

この浪人生活がまたまた波瀾万丈だった。
まず、浪人という、
何も肩書がない状態が
私にとっては非常に辛かった。
大学生という肩書に憧れていたのかもしれない。
どこにも所属していないのが
嫌だったのだろう。
今は全く気にしないが、
何故かその時は、嫌だったのだ。

早く、大学生になりたくて仕方なかった。

上智に入るための条件、
TOEFL・SAT
TOEFLは、毎月受けれたので、
本当に毎月受けていた。
毎月受けても、そんなすぐには成果にはあがらず、
先が見えないテストを毎月受けるだけの感じだった。
今思えば受験料も毎回1万円超。
相当な親不孝者だ。
それで合格点数までクリアできればいいが、
550点以上の壁が全く突破できない。

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