7月からの4ヶ月で大学生が変わった話

著者: 東 智也

エリートしかしないと思っていました

高校を卒業後、
私は早稲田大学に進学しました。

高校生だった僕は、
とにかく優秀な人ばかりの大学で
今までのようにバカ騒ぎしていたら
キャンパス中で浮くんだろうな、なんて思っていました。

こんな人ばっかりなんじゃないかって。

私は大学に入ったら
こういう風になるんだろうなあと、
想像を膨らませていた事がいくつかありました。

でも人と比べたら
かなり肝が据わっていて、
高校を出たばかりにしては
死んだ魚のような眼をしていた気がします。

それから約1年半経って、
自分で変わったつもりが無くても、
立ち止まって見ると
明らかに今までの自分ではない部分が見つかったんです。

時間管理が厳格に

私は大学2年の7月から
企業のインターンシップに参加しました。

ベンチャー企業だったせいもあり、
1人当たりの所有タスクが比較的多く
自分自身でいつどこでどれくらいかけて作業するのか、
厳密に考えて管理しておかなければなりませんでした。

どんなに管理をしていても
全ての仕事が予定通りに進むことはなく、
例えば、取引先が商談に遅れるだけでも
ミーティング後のスケジュールに遅れが出てしまう。

でもそんなことは言い訳にすらならず、
だったら多めに時間を見積もっておけばいい、
もしくは前日に今日の積み残しタスクをやっておくべきだ、
なんてことを自問自答しながら自分の責任は自分で果たし
自分の身は自分で守るということを、いつの間にか習慣化していました。

誰のために全力を尽くすのか

今まで私は自分の損得のため、
あるいは友達や先輩の指示だから、
くらいにしか自分の行動を認識していませんでした。

インターンシップとはいえ
仮にも会社の一員として
報酬を受け取りながら仕事をしていると、
否が応でも自分や先輩のため
などという私的な感情では作業をしなくなりました。

では誰のために数あるタスクに
優先順位をつけ、
誰のために帰社後もパソコンの前で
アクセス解析や広告原稿を書いていたのか。

今考えればそれは、
自分にお金を払っている人のためでしょう。

考えてみれば、
それ以外の利害関係でビジネスマンが
会社に所属し汗水たらして働く動機はないはずです。

Visionや理念に共感しようと、
報酬なしでは誰も働かないはずですから。

はじめのうちは、
とにかく就業体験としての
インターンシップを全うするつもりで
企業さんにお願いして働いていました。

でも何か月も働いているうちに、
戦国時代の一騎打ちのように
降り注ぐタスクを切り捨てるのではなく、
どうすれば企業の利益につながるほど
質の高いアウトプットができるのかという風に、
任されているタスクの捉え方が変わっていきました。

絶対を否定できる

大学入りたての時に受けた
アルバイトの面接では
「○○をやりたくて応募しました!」
と自分の動機を説明していました。

2年になってすぐ興味をもった
英会話講師のアルバイトでも、
「英語講師をやりたいです!」
とハッキリと特定の作業をやるために面接を受けました。

この考え方は、今までの私の価値観の表れだったと思います。

つまり、目的と行動が一致していたんです。
英語講師をやりたいから英語講師をやる
カフェのバイトをやりたいからカフェでバイトする

いま私は、
「目的のための手段の中から判断して行動を選択しています」。

目的達成のための手段が
一つではないことを自然と認識して、
そこから自分で最適解を考える努力を
できるようになっていました。

とはいえ完璧に答えを導けるような
代物ではありませんが、
絶対的な正解が一つだと
決めつけていた自分よりは遥かにマシです。

選択しなければいけない

やりたいことはいくらでもある、
でも全部やっていては時間が足りない、
有限な時間は自分で管理しないといけない。

どれもこれもやろうとせずに
まずは優先順位をつける、
判断基準は「誰のために行うのか」。

次に目的を明確にする、
それぞれの目的を
達成するための手段を無数に浮かべ、
より効率的にいろいろな目的の達成に
近づける手段を自分の判断で選択する。

4か月でこんな風に変わりました。

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