肩書きなんて要らない?

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両親にとっては3番目の「娘」で
「アジア人」で 「日本人」で
・・・・

ここまでで 私 という人間の側面が大分見える
皆さんの頭のなかに
一般イメージの「オバサン」が生まれただろう

ここからはちょっと違うが それでも「私」の補足にはなる

私は「元外科医」で「病理医」になって
「元研究職」で
「投資家」で 自分の会社の「社長」で
ある団体の「地域代表」で

この数行は 今の私をもっと表していく肩書き達だ
私の興味、私のコンプレックスをもふくんでいるが
そんなこと 多くの人には見えないに違いない

肩書きをなくしてみたい なんて思っていた
けれど 今は なんて無駄なことに
エネルギーを向けたのか、と思う。
それは着飾って見栄を張ることと同義であり対義でもあり
ハダカの王様になって笑われることでもある。

名誉は自分でどうこうできるものではない
地位も自分で決められない(望めるが)
肩書きは一歩 人生を踏み出す度に
あしあとのように増え
影のようにいつもついてくる
私は大きな勘違いをしていた
「肩書きなんて要らない」のではない
「肩書きは私の日記」なのだ
肩書きは 自分の日記へつけてもらう
「よくできました」の花型スタンプだ

名声はいらない それはOKだ
肩書きは 例えその場を離れても 期限が切れても
過去形で残っている。
影ぼうしの一部になっている。

自分を中途半端だと思っている
だからつきまとう影が嫌だった

でも選んだときは与えられた選択肢の中で
自分にも大切な人々にもベストのものを選んだと思っている
それを後出しジャンケン宜しく
勝手に批判していたのは私の間違いだ

どれもこれも「中途半端」レッテルじゃない
「きちんと経験してきたね」の
金色シールにがふえているに過ぎない

そしてそう思ったとき
初めてありのままの自分で勝負、という意味が分かった
地位・名誉ではない肩書き付きの自分
私の沢山の肩書きが
私の40数年をあらわしている。


あなたはそのままが素晴らしい、それが肩書き

ひねくれた考えでいたから
他の人に伝えたいことがある。

「私は何もできないから」
「自分なんてただの会社員だから」

そうだろうか
ちょっと考えてみてください。
私が自分の小さな肩書きから始めたように

「男の子」「ひとりっこ」
「友達のなかではXXXのゲームでは負けない」
「○○高校に行っている3年生」
「将棋がすき」
こんな子が他にいますか?全く同じ子がいますか?

似ている人はいてもきっとどこか違う
それがdiversityだ
diverse(多様性のある、違う)な部分に目をむければ
それは「面白み」という評価にもなる

「やりたいことが見つからない」も立派なdiversityだ
自分を掘り下げようとしているからその表現が出る

これから社会へ、というひとたちに
そして私のところからいつか巣立つ子供達へ
肩書きは自分で作れるという本当の意味を伝えたい
地位、名誉は他人から決めてもらうものだ
でも肩書きは 日々の君たちの足跡だ

どんな仕事にも言えることだけれど
1万歩同じ足跡を残すことは本当に凄いこと
同じように
一歩は深く地面にめり込み 他はつま先立ち、だって凄い
その勢いを 他のひとのしないやり方を
敢えてしてみた その勇気が肩書きだから

君たちはそのままでいい
時々自分の「肩書き」を
私がさっきやってみせたように書き出してみれば
君たちがきちんと歩んでいる軌跡が見える
その素晴らしさを ただ真っ直ぐ認めてあげれば
他人の良さも違う所の素晴らしさもわかる

Everybody is Special.

そして思う存分
いろんな肩書きを身につけてください

だってこの年になった私ですら
まだ新しい肩書きを求めて歩いているんだから。
そしてそれは
ちっとも難しい事ではないんです。
 

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