高慢チキ社長が、引きこもりの無職になった後で見つけた「10年後の○○は見えないが、18ヶ月先なら知っている」という話。
社長(実父)
お前、今日から社長な。ほれ、これ名刺。
私
・・?・・・?・・・おっさん、起きてるか?・・・?・
朝いつもどおりに出社したら、そう言われ机上を見ると
そこには新しい名刺が10ケースほど置いてあった。
【代表取締役】
それが新しい肩書きらしい。
「で、誰がよ?」
13年前、入社して3年の一現場監督の私は全く予告なく、
ある朝抜き打ちで、小さいながらも地域密着型企業の社長に。
先代社長は実父。私は二代目になる。
(写真はイメージです。)
就任直後は自分に何が出来るか分からず、途方に暮れてた。
当時私は29才。ただのハナタレ小僧に過ぎなかった。
当時の社長からは何の予告もなく、
真新しく、インクの香りも清々しい名刺が
私のものであると理解するのに多少時間を要した。
混乱とは多少の時差を伴うのか、本当に困ったのは、
それから後だった。
私
社長がすべき仕事?すべきでない事?
私
昨日までみたいに普通に現場に行けばいいのか?
とにかく分からないから動く。
ひたすら動く。
それでも分からないから、他社の社長に聞く。
私
社長業って何すればいいんですかね?
他社の社長
社長ってのは遊ぶのが仕事だって!
別の社長
社内一の営業マンだよ!
また別の社長
自分が寝てても儲かる仕組みを作る人。
・・・・・・・・・
立ち止まって考える。
私
なるほど・・・・さっぱりわからん。
今となっては諸先輩方の言葉の真意は理解できるが、当時の私には
さっぱり意味不明だった。
聞いても分からないから、動く。
「この会社は先代が裸一貫から育てた会社。周囲は必ず先代と俺を比べてくる。絶対負けれん!」
父と息子とは、こういったプライドのぶつかり合いが見えないところで
常にあると思う。だから、比較されて恥ずかしい思いはしたくなかったから、
必死だった。
そんな事を繰り返して数年が過ぎた頃、気づけば青臭いながらも
そこそこ社長らしくなってたらしい。
【ただの高慢チキ勘違い社長】
私
頑張っていれば、何とかなるもんだな。
責任ある立場のプレッシャーを、楽しめる…そんなちょっとした
余裕も出来た頃、おごりが出てきたのかもしれない。
儲かる仕組み作りを追い求めていた私は、従業員に委任することを
過剰に進めていた。委任はいつからか、放任になりやがて無関心に。
そのときの自分の心理には、
私
少しでも自分が楽が出来ないか?
そんな考えがあったんだと思う。
そんな小さなほころびから端を発し、少しづつ本当に少しづつだったが、
自分のおごり・甘さも乗じて業績も下がり始めた。
一度ほころんだ物は簡単には修復されない。
時期は重なり、世は政権交代。
政権与党一年生へバトンが渡り、更に業績悪化は急加速した。
遠回しではあったが、銀行からは暗に首の据え変え(社長交代)を要求された。
この遠まわしな言い方が、胃液を喉まで持ち上げ、吐き気を誘う。
普段から険悪な間柄だった実父の相談役からは、激しい叱責。
それも従業員が一堂に会した場で・・・
その時、自分の中で細く張り詰めた糸が、切れてしまうのがわかった・・
私
自分はこの会社を本当に本当に誰よりも愛していたのに・・
その瞬間から会社に対する感情が無になってしまった。
人が感情を断ってしまった状態。
私は感情なきロボットになってしまったのだ。
・・・・
・・・
・・
・
そして私は退籍を選択した・・
18ヶ月前、梅雨明け前の湿度の高い日の事だった。
虚無との対話
体外的なことも考慮してか、会社に籍を置いて、形式上肩書きを会長に…
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