高慢チキ社長が、引きこもりの無職になった後で見つけた「10年後の○○は見えないが、18ヶ月先なら知っている」という話。

1 / 3 ページ


社長(実父)
お前、今日から社長な。ほれ、これ名刺。
・・?・・・?・・・おっさん、起きてるか?・・・?・

朝いつもどおりに出社したら、そう言われ机上を見ると
そこには新しい名刺が10ケースほど置いてあった。

【代表取締役】

それが新しい肩書きらしい。

「で、誰がよ?」


13年前、入社して3年の一現場監督の私は全く予告なく、
ある朝抜き打ちで、小さいながらも地域密着型企業の社長に。
先代社長は実父。私は二代目になる。

(写真はイメージです。)

就任直後は自分に何が出来るか分からず、途方に暮れてた。
当時私は29才。ただのハナタレ小僧に過ぎなかった。

当時の社長からは何の予告もなく、
真新しく、インクの香りも清々しい名刺が
私のものであると理解するのに多少時間を要した。

混乱とは多少の時差を伴うのか、本当に困ったのは、
それから後だった。

社長がすべき仕事?すべきでない事?
昨日までみたいに普通に現場に行けばいいのか?

とにかく分からないから動く。
ひたすら動く。
それでも分からないから、他社の社長に聞く。
社長業って何すればいいんですかね?
他社の社長
社長ってのは遊ぶのが仕事だって!
別の社長
社内一の営業マンだよ!
また別の社長
自分が寝てても儲かる仕組みを作る人。
・・・・・・・・・
立ち止まって考える。
なるほど・・・・さっぱりわからん。


今となっては諸先輩方の言葉の真意は理解できるが、当時の私には
さっぱり意味不明だった。

聞いても分からないから、動く。

「この会社は先代が裸一貫から育てた会社。周囲は必ず先代と俺を比べてくる。絶対負けれん!」

父と息子とは、こういったプライドのぶつかり合いが見えないところで
常にあると思う。だから、比較されて恥ずかしい思いはしたくなかったから、
必死だった。


そんな事を繰り返して数年が過ぎた頃、気づけば青臭いながらも
そこそこ社長らしくなってたらしい。

【ただの高慢チキ勘違い社長】

頑張っていれば、何とかなるもんだな。
責任ある立場のプレッシャーを、楽しめる…そんなちょっとした
余裕も出来た頃、おごりが出てきたのかもしれない。

儲かる仕組み作りを追い求めていた私は、従業員に委任することを
過剰に進めていた。委任はいつからか、放任になりやがて無関心に。
そのときの自分の心理には、

少しでも自分が楽が出来ないか?
そんな考えがあったんだと思う。

そんな小さなほころびから端を発し、少しづつ本当に少しづつだったが、
自分のおごり・甘さも乗じて業績も下がり始めた。

一度ほころんだ物は簡単には修復されない。

時期は重なり、世は政権交代。
政権与党一年生へバトンが渡り、更に業績悪化は急加速した。


遠回しではあったが、銀行からは暗に首の据え変え(社長交代)を要求された。
この遠まわしな言い方が、胃液を喉まで持ち上げ、吐き気を誘う。
普段から険悪な間柄だった実父の相談役からは、激しい叱責。
それも従業員が一堂に会した場で・・・

その時、自分の中で細く張り詰めた糸が、切れてしまうのがわかった・・

自分はこの会社を本当に本当に誰よりも愛していたのに・・


その瞬間から会社に対する感情が無になってしまった。
人が感情を断ってしまった状態。
私は感情なきロボットになってしまったのだ。
・・・・
・・・
・・
そして私は退籍を選択した・・



18ヶ月前、梅雨明け前の湿度の高い日の事だった。

虚無との対話

体外的なことも考慮してか、会社に籍を置いて、形式上肩書きを会長に…

著者の渡辺 大吉さんに人生相談を申込む

著者の渡辺 大吉さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。