世界を変えた日本

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クズ鉄・航空機燃料の対日輸出を制限し、日本経済に打撃を
与えました。
 
また、アメリカ・イギリスは、日本と戦う蒋介石の中国国民党に物
資を送り支援していました。
日本は1940年9月、このルートを遮断すべく、フランス領インドシ
ナに進駐。
また同月、日独伊三国軍事同盟を締結します。
 
これによって、アメリカは日本を完全に敵国と見なすようになり、
イギリス・中国・オランダと共に、資産凍結、対日石油禁輸などの
経済封鎖で日本を追い詰めます。(いわゆるABCD包囲網)
日本はアメリカと、全面戦争回避のための日米交渉をつづけてい
きました。
しかし、同年11月26日、アメリカ国務長官コーデル・ハルから、
「中国大陸からの完全撤退」を要求する「ハル・ノート」が渡される
と、日本はこれを「最後通牒」と受け取りました。
 
12月8日、日本は真珠湾を攻撃。太平洋戦争がはじまります。
 
日本は、アメリカ・イギリス・ソ連・中国の大国連合と4年の月日を
戦いぬき、1945年8月15日に降伏しました。
 
この一連の流れについて、日本ではさまざまな解釈がなされていま
す。
私はここで、二つの点に言及しておきましょう。
 
まず、第二次世界大戦は、「善の民主主義国家」(アメリカ・イギリス
・ソ連等)対「悪の全体主義国家」(日本・ドイツ・イタリア等)の戦い
だったというのが一般的見方です。
これは大ウソ。
 
まず、民主主義国家群に、なんでスターリンの全体主義国家ソ連
が入ってるのですか?
 
さらに、インディアンを虐殺し、黒人を奴隷にしてこき使い、日本に
原爆を落として20万人を大虐殺したアメリカに、「悪の日本」なんて
いわれる筋合いはありません。
 
イギリスだって同じこと。
世界一広大な植民地をもっていたこの国に、日本の植民地支配
を非難する道徳的根拠などないのです。
 
もう一つ、「自由・平等」という観点で見てみましょう。
 
絶対勝てない戦争に突入した無謀な国・日本は、世界が「より自
由に」「より平等に」なるために、何か貢献したのでしょうか?
 
強調しておかなければならないのは、アジアは第二次世界大戦
勃発時、ほとんどイギリス・オランダ・フランス・アメリカの植民地
だったということです。
 
日本が参戦しなければ、アジアのほとんどの地域は、いまだに
欧米の植民地だったかもしれません。
 
しかし、太平洋戦争の序盤戦、日本は破竹の勢いで欧米のアジ
ア植民地を攻撃していった。
非白人国が、白人の宗主国を打倒している。
これを目撃したアジアの人々は、白人への劣等感を克服し、後
に独立を達成する大きな力になった。
こんな風に、台湾の李登輝元総統、マレーシアのマハティール
元首相、インドネシアのスカルノ元大統領などが語っています。
 「日本が欧米の植民地支配を終わらせる原動力になった」
とアジアの指導者たちは認識しているのです。
 
私たちはこれまで、アメリカGHQの洗脳と、中国・韓国の反発
により、「日本がすべて悪い」と思いこんできました。
しかし、別の見方があることも知っておく必要があります。
 
経営学者ドラッカーは、その著書「新しい現実」の中で、第二
次大戦とその後の世界について、「自虐史観」に染まった私
たちが驚愕するような事を書いています。
 
<しかし、結局のところ最後に勝ったのは日本だった。
 
日本が採った道、つまり自らの主権の下に近代化、すなわち西洋化
を図るという道が、結局西洋を打ち負かした。
 
日本は西洋を取り込むことによって、西洋の支配を免れた。
 
軍事的には日本は第二次大戦において歴史上最も決定的な敗北
を喫した。
 
自ら植民地大国たらんとする政治的な野望は達せられなかった。
しかし、その後の推移では、政治的に敗北したのは西洋だった。
 
日本は西洋をアジアから追い出し、西洋の植民地勢力の権威を
失墜することに成功した。
 
その結果、西洋はアジア、次いでアフリカの西洋化された非西洋
世界に対する支配権を放棄せざるをえなくなった。
 
第二次大戦後、世界中の非西洋諸国が一八六八年の明治維新

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