5年でハイリスク妊娠、中絶、離婚、再婚、出産を経験した私が伝えたい4つの事・前篇

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 手渡された資料には「致命的」とか「母体死亡」といった不穏な言葉が並ぶ。
 さすがの夫も、一言も言葉を発することはできなかった。
H医師
同じ状況で、3人とも無事に生まれた学会資料を探しましたが、見つかりません。……この問題には、正しい答えなんてありません。
 医者の一人は、そう言った。
 あなたは、間違ってはいませんと。
 それから、診察を受けた。
 3人とも、動いているのが見えた。
 先生が、何かの機械を私の腹にあてた。すると、

「ポコン……ポコン……」

 音がした。
 それは、初めて聞いた、子供たちの心音だった。
 私は声を殺し、肩を震わせて泣いた。
 大粒の涙が、後から後からあふれて止まらなかった。
 夫は黙ったまま、じっとエコーを見つめていた。

11.「4つ子がいるんです」


 夫と病室に戻る。
 夫はすぐに、「何件か電話をかけてくる」と言って携帯を片手に出て行った。
 私も起き上がり、ふらふらと外へ出て行った。
 渡り廊下に公衆電話があった。
 私が電話をかけた先は、Mさんが教えてくれた病院だ。
 先日、A医療センターで問い合わせてもらい、駄目だった病院。
 私は、事情を説明し、何とか入院させてもらえないか頼んだ。
 週末に、自宅にあるネットで調べたところ、その病院は、双胎間輸血症候群のレーザー治療の実績があったのだ。
 しかし、やはり、結果はNO、だった。
どこにも行くところがないんです。どうしても、どうしても駄目なんでしょうか!?
受付
……あなたとほぼ同じ週数の、四つ子の赤ちゃんの妊婦さんが入院しているんです。ですから、あなたの受け入れはできないんです。
 私は絶望し、無言のまま受話器を置いた。
 そこから、どうやって病室に戻ったのかは覚えていなかった。
 ベッドに横たわり、目を閉じる。
 救ってもらえると、誰にも救ってもらえない
 その差はいったい、どこにあるのだろう。
 もっと早く、あの病院に行けばよかったのかもしれない。
 私はできるだけのことをしたつもりだが、全然足りなかったのかもしれない。
 もちろん、そんなのは結果論にすぎないのかもしれない。
 まさか、双子だと言われていたものが、いきなり三つ子になるとは思わなかった。
 まさか、受け入れてくれるという病院に、やっぱりうちでは無理ですと言われるとは思わなかった。
 まさか、県内で一番大きな病院に、中絶を勧められるとは思わなかった。
 でも……重い後悔が、私の肩にのしかかった。
 もちろん、日本全国を探せば、私を受け入れてくれる病院は、あるかもしれなかった。
 しかし、もう期待して、断られるのは怖い。
 それに、誰も頼る人のいない土地で、たった一人で入院し、重い障碍が残る可能性の高い子どもたちの出産を待つ勇気も気力も、私にはなかった。
 夫を放って、何か月間も入院するなんてできなかった。
 それに、もし生まれても、どうやって生きていけばいいのだろう。
 一気に障碍を持つ三つ子を抱えて暮らすだけの余裕など、我が家にはなかった。
 重度の脳性麻痺となると、寝たきりというケースも出てくるそうだ。
 もしかしたら、寝たきりの子どもを3人抱え、生涯世話をしなければいけないかもしれない、ということだ。
 普通の子育てみたいに、どんどんできることが増えてくることもない。
 一生、私に笑いかけてくることは、ないかもしれない。
 共に成長を喜び合うことは、一生できないかもしれない……。
 正直なところ、私には具体的なイメージは沸かなかった。
 しかし、おそらく、私は仕事を続けられないだろうことはわかる。
 そして、夫の給料だけで生活していくのは無理だということも……。
 2億分の1の確率にかけることは、私にはできない。

12.帰っておいで


 しばらくして、夫が戻ってきた。
 私はベッドから身体を起こし、話を切り出した。
あのね、私ね……
おろすんだろ?
まだ、何も言ってないよ?
だから、さっき泣いたんだろ?
 反論、できなかった。
 心音が、聞こえる。
 普通の妊婦さんなら、喜んでしかるべき場面で、私は泣いた。
 それが、すべての答えだった。
 
うちの親と、お前の親に、俺から全部説明しておいた。
ありがとう……。
両方とも、意見は一致していたから。お前の身体が一番大切だから、お前を優先しろと言っている。
そっか……。
俺も、同じだ。
ごめんなさい……。
謝る必要はないよ。じゃあ俺、今日はもう帰るから。
うん、気を付けてね。
 夫は背を向けて、出て行った。
 しばらくして、看護師の女性が、体温計やカルテ等を持って、部屋に入ってきた。
 血圧を測るためのバンドを私の腕に巻く彼女に、私は彼女に中絶する旨を伝えた。

 私は、まったく胎動を感じていなかった。
 もし、胎動を感じていたら、どうなっていただろうか。
 お腹に手を当ててみたが、返事はなかった。

退院


 翌日、中絶の旨を伝えた私に対し、医者はこう言った。
H医師
一日も早く退院し、手術をしてもらってください。
え? ここで手術してもらえるわけじゃないんですか?
H医師
うちでは中絶手術はできないことになっています。
 中絶できない病院なのに、中絶を勧めるの!?
 怒りでかっとなり、手が震えそうになる。

さんざん中絶しろと言っておいて、いざ患者が中絶を決めたら手術はできない? また自分で探さないといけないんですか?
H医師
いえ、探す必要はありません。こちらから、あなたが受診していたT先生に連絡を取りました。引き受けてくださるそうです。明日にでも来てくれとのことです。
 2つめに受診したT産婦人科の先生が、私の中絶手術を担当することになったとのことだった。
 私は、妊娠16週に入っていた。
 私は中絶について、保健体育の授業程度の知識しかなかったのだが、手術方法は、12週を境に大きく変わるそうだ。
 95%の中絶手術が、この12週までに行われる。
 その後は、中期中絶と言って、お産と変わらないやり方になるそうだ。
 そのため、中期中絶を断る病院は多く、できる病院はごく限られるらしい。
 T産婦人科も、本来であれば引き受けないが、事情が事情なので、ということだった。
H医師
今回は、ごくごく稀なケースでした。あなたの母体には以上はありません。次に妊娠するときは、きっとリスクのないお産ができるはずです。もしどうしても不安であればうちでも検診しますので、来てください。
 私は、H病院をあとにした。

13.T産婦人科に戻る


 翌日、私は自分の両親に付き添われ、T産婦人科を訪れた。
 T先生は、いつにもなく暗い面持ちだった。
T医師
昨日、H病院から連絡を受けたあと、私もいくつかの病院に電話してみた。しかし、受け入れてくれる病院はなかった。
そうでしたか……。
T医師
本当に、中絶するのか? それで納得しているのか?
……
 答えない私を見たT先生は、ひっつかむように受話器を取った。
 そしてH病院に電話をかけ、私の対応をしたセンター長の男性を呼び出した。
 T先生は、しばらく電話をしていた。
 だんだん、T先生の声が荒くなるのがわかった。
T医師
この人は、出産を希望しているんだ!! 日本には、彼女を救える病院はないのか!?
T医師
何とか……何とかしてあげられないのか!? どうにもならないのか!? どうなんだ!?
 T先生の声は、震えていた。
 私は泣いた。
 母も、そして普段は涙を見せない父も、泣いていた。
先生、もういいです! お気持ちだけで十分です!
 私は叫んで、T先生の電話を遮った。
 T先生は、諦めて受話器を置いた。
 父は、涙ながらに、T先生に取り上げてもらうことはできないのかと尋ねた。
T医師
出産だけなら、私のところでもできます。しかし……産まれた赤ちゃんを受け入れる先がないんです。

T医師
それに、腎機能の低下も心配です。腎炎を起こしています。私も取り上げたい気持ちはありますが、母体に危険が迫っているのは事実です。
 そして、T先生は力不足で申し訳ないと言って頭を下げた。
 私も、こちらこそお世話になりますと頭を下げた。
 翌日、手術することが決まった。

14.現実は甘くない


 私は、中絶のやり方について、「普通のお産と同じようになる」と聞かされていた。
 しかし、出産経験のない私には、それが具体的にどんなものなのか、よくわかっていなかった。
 普通のお産と同じということは、16週の自分の身体に、無理やり陣痛を引き起こさせるということだ。
 もしそのことをイメージできていれば、私は中絶を断固拒否したに違いない。
 それくらい、その一部始終は、強い痛みを伴うものだった。
 まず、すぐに、陣痛を引き起こすための前処置が行われた。
 陣痛を促進させるための錠剤と、それにラミナリアという棒を子宮口に入れた。
 白い、煙草みたいな棒。水を吸うと膨らむそうだ。
 これが、合計8本入れることになった。
 もちろん、出産経験のない私に、すんなり入るはずもない。
 額に脂汗がにじむ。
 まだ入れるの? え、もう無理! 入らないってば! やめて! と私は叫ぶ。
 T先生には「力を抜け!」と言われるが、うまくできるはずもない。
 一番辛いのは子供たちに違いない……。
 子供たちは今、もっと痛い思いをしているかもしれない……。
 そう思う余裕もないほどの痛みだった。

出血


 処置が終り、私はベッドに横になった。
 T病院は3階建てで、一般の入院病棟は3階だが、私は2階の個室に案内された。
 お腹が痛い。
 移動もままならないほどの痛みに、横になるしかできなかった。
 陣痛促進剤を入れたので、その影響もあるそうだ。
 ショックだったのが、分娩手術において、いっさい麻酔を使わないとのことだった。
え……麻酔なしなんですか……。てっきり麻酔を使うものだと……。
T医師
麻酔をしてしまうと、いきむ事ができないだろう。麻酔を使うのは、初期中絶の場合だけだ
 今思えば、T先生は、次の妊娠・出産に影響を与えないよう、最大限の配慮をしてくれたのだと思う。
 しかし、当時の私には、「初期中絶の場合は、麻酔で痛い思いをしなくて済むのに、なぜ望んで授かった私がこんな思いをしなければいけないのか」としか思えなかった。
 初期中絶の痛みは経験したことはないが、年間何十万件もあると聞いたことがある。
 繰り返す人もいる位なのであれば、そこまで痛くないのではないだろうか……。
 と考えていると、ふと、トイレに行きたくなった。
 立ち上がり、壁伝いにトイレに向かう。
 そこで私は、自分が出血していることに気付いた。
 思わず、立ちすくんでしまう。
 それまでは、一度も出血はしたことがなかった。
 なんだかんだ言って、それまでの順調だった、ということなのだ。
 これは、私の流した血なんだろうか?
 それとも……。
 目の前が、真っ暗になる。
 もしかしたら、問題なく出産できたのかもしれない……。
 しかし、私の身体は、既に動き始めているのだ。「出産」に向かって。
 もしここで私が中絶をやめます! やっぱり産みます! そう主張したとしても、もう後戻りはできないのだ。
 もう、どうしようもない。
 ベッドに戻った。
 お腹が痛い。
 痛くて眠れそうもない。
 でもこの痛みは、きっと子供たちの主張なのだろう。
 自分たちが、ここにいる、(もしかしたら「いた」かもしれない)ということの主張。
 最初で、最後の主張。
 そして、この痛みが消えるとき。
 それは、子供たちとの「お別れ」のときなのだ。
 そして、私にはこれからの人生があるが、この子たちにはもうないのだ。
 痛くないはずがない。
 痛くて当たり前なのだ。
 私は、この痛みを、忘れないでいようと決めた。

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