5年でハイリスク妊娠、中絶、離婚、再婚、出産を経験した私が伝えたい4つの事・後篇
もしこれが、ほぼ同じ時期に公開された「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」のチケットであれば、私はそこまで気に留めなかっただろう。
その夜、夫がぐったり疲れて帰り、眠ったのを見計らって、私ははじめて、夫のカバンを空け、長財布の中身を観た。
そこから出てきたのは、2008年の12月、天橋立の展望台の入場券と、金沢にあるシティホテルに宿泊した際の、領収書だった。
それから、某有名ラブホテルチェーン店のメンバーズカードも出てきた。
話し合い
翌日、仕事が終わった夫を、私は近所の個室居酒屋に呼び出した。
そして、オーダーを通し、料理が来た後で、
なんてのんきに言う夫を無視し、これはどういうこと? と、夫の財布から抜いていた領収書を、目の前に突きつけた。
もともと日中は仕事で外に出ず、色白の夫の顔が、更にさあっと青ざめていった。
夫はそう言って、ひたすら平謝りした。
しかし、それ以降も夫が帰ってこない日が続いた。
私は気持ちを振り払うために、近所の夜0時まで空いているスポーツジムに通いだした。
身体を動かしている間は、嫌な気持ちを振り払うことができる。
そして、ぐったり疲れないと、眠れない日が続いた。
20.入院の夜
扁桃腺を摘出した後、私はステロイドを入れるため、3回入院した。
ステロイドパルス療法は、まずは点滴でステロイドを入れ、それから、錠剤の切り替え、1年をかけて、徐々に減らしていく、というやり方だ。
そうしないといけないほど、ステロイドはきつい薬なのだ。
そして、2度目の入院の日。二日目、私は点滴の合間に、外出許可を無理を言って取り付けた。
祈りながら、バスに飛び乗り、家に帰る。
しかし、家に帰り、私の希望は、無残にも打ち砕かれてしまった。
洗面所に、見覚えのない歯ブラシ。
流しには、ティーカップが二つ。
そして、布団の脇には、ピンクの袋。
そこには、下着が入っていた……。
私は、たまらずその場で夫の両親に電話した。
夫の両親は、すぐに車で駆けつけてくれた。
そして、3人で夫と……相手の女を待つことになった。
二人で帰ってきたところを捕まえて、問い詰めるつもりだった。
病院には、外泊したい、とだけ伝えて、電話を切ってしまった。
しかし、物事は、うまく運ばなかった。
夫から電話がかかってきたのだ。
入院時に、連絡先として夫の名前と携帯番号を書いていたことを思い出した。
病院に口止めしていないかったことを後悔した。
しかし、頼んだところで、それを病院が了承するはずもないかもしれないが。
なぜそのときに、そんな裏切るような事をするのか。
ステロイドは、副作用のきつい薬だ。肌も荒れるし、顔も丸くなるし、気だるさもある。
それでも、頑張っているのに。
子どもが欲しいから頑張っていたのに……。
もう、おしまいだと思った。
夫にバレてしまっては、このままここに居ても仕方ない。
私は、夫の両親に付き添われて、病院に戻った。
21.心が離れた理由、そして離婚
翌日、最後の話し合いをした。
夫の相手は、彼が主任として勤務した職場の部下である、3歳下の栄養士の女性だった。
夫は、私に不満があったわけではなかったと前置きしたうえで、「強いて言えば」と2つ理由を挙げた。
1.転職を勧められるのが嫌だった。
2.子どもの事が重荷だった。子どもをお前と作るのが怖かった。
転職については、数回しか口にしたつもりはなかったが、態度などに出ていたのかもしれない。
私だって、できればパートナーのやりたいことは、全力で応援したかった。
しかし、朝から晩まで休みなく働く生活を応援するなんて無理だった。
私は、結婚前に夫がいた職場の話を思い出した。
そこの主任もまた、栄養士の女性と不倫関係にあった。
しかも結構おおっぴらに、ひと目をはばからずイチャイチャしていたらしい。
その時、彼は「上司として、人間として全然尊敬できない人のもとで働くのは辛い」とこぼしていた……。
その事を指摘したら、夫は黙っていた。
その不倫した前の上司もそうだったのかもしれないが、私達夫婦には、圧倒的に「一緒に過ごした時間」が足りなかった。
朝から晩まで一緒に仕事している人にかなうはずもないのかもしれない。
子供のことについては、こう尋ねた。
すると、夫は、私の目をじっと見据えて、こう答えた。
私は、その時、夫が本当に心から、3つ子の誕生を待ち望んでいたのだと、今更ながらに理解した。
私は、自分ばかりが辛くて、夫に支えてもらおうとばかり、していたのではないか。
夫の「哀しみ」にどれだけ寄り添うことができたのだろうか……。
最終的に、子どもを諦めた理由のひとつは、「経済面の問題」だった。
夫の給料で、自分が仕事をやめて、障害を持つ子どもを3人かかえて生きていく事が、難しいと思ったのだ。
もちろん、本人に直接、そう言ったつもりはない。
しかし、夫なりに、感じ取っていたのかもしれない。
離婚後、よく周囲に言われたのは、月並みな「子どもがいないからまだよかったね」という言葉だった。
もし子どもが一人だけ、健康に生まれていれば。
もし、重度障害が残った子どもを3人産んでいれば。
それでも夫は、相手の女性に心変わりしたのだろうか。
考えても仕方ないが、自分はもし周りに子どもがいなくて離婚した人がいても、この言葉だけは絶対にかけずにおこうと思う。
その頃の忘れられないニュースがある。
81年間連れ添った仲良し夫婦、妻に手を握られながら101歳夫が他界。
http://www.narinari.com/Nd/20090912236.html
私はずっと、こういった夫婦に憧れていた。
でもできなかった。
夫と最後に出かけたのは、私が好きなフィンランドのバンドのライブだった。
休みのない夫と一緒に出かける場所は、外食かライブぐらいだった。
夫はアニソン好きなので、私が聴く音楽もいいと言ってくれた。
アンコールで流れたこの曲を聴きながら、涙した。
Forever - Stratovarius http://youtu.be/8BvV9arABLs
離婚へ
1か月後、離婚した。
慰謝料は、結局請求しないことになった。
実は一度、市の弁護士相談には足を運んだことがある。
しかし、結果的に、証拠に乏しくて、これで勝つのは難しいということだった。
例えば私が入手した、映画のチケットやホテルの領収書、それに実は夫の携帯のメールを何通かこっそり自分のGmailに転送したのだが、そういうのは、本人が認めない限り、決定的な証拠にはならないそうだ。
結局、ホテルに入る決定的瞬間の写真を撮るなどしないと、訴えるのは難しいらしい。
なので、本当に、慰謝料をもらいたいのであれば、入院中、自分で病院を抜け出したりせず、探偵を雇って張り付かせることだったのだ。もう遅いけど。
夫もきっと警戒しているだろうし、今更、それを依頼するだけの気力は私になかった。
怖かったのだ、相手に、「夫婦関係の破綻」を主張されることが。
夫の友人のMさんは、「あいつはそこまでするやつじゃないだろう」と言っていたが、周りが入れ知恵するかもしれない。
こちらとしては、激務の夫の身体を気遣っていただけなのに、それを主張されてしまうと、きっともう立ち直れない。
最終的に決断を促したのは、実父の、
「最終的にお金でもめて罵り合って泥沼になって終わらせるのか? そんな幕引きでいいのか? 100%向こうが悪いという離婚はありえない。お前も一度は好きになって結婚したんだから、潔く身を引け」
という言葉だった。
そして、「人間万事塞翁が馬だ」とも。
夫の最後の言葉は、
だった。
3ヶ月後、知った真実
その3ヶ月後、私は、Mさんに居酒屋に呼び出される。
それは、夫が例の女性と「出来ちゃった婚した」という知らせだった。
私は、周りにある箸やおしぼりを彼に投げつけ、床に突っ伏して泣いた。
子どもを作るのが怖いと言いながら、とっとと「一抜け」した事が憎かった。
自分がただの邪魔者だったという事実が辛かった。
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