母を自宅で看取り天涯孤独になった瞬間の話。⑭ エピローグ 完結編
エピローグ・4(2003年9月12日~20日) とても大切なこと
家を引き払う日、それまで沢山の物や家具があったのがうそのように部屋はがらんとしてた。
とてもシンプルで広かった。
もうここに戻ることはないのかと思いながら、家に対して「今までお世話になりました。ありがとうございました」って気持ちになった。
深々とお辞儀をして、玄関から出た。
本当に俺も母もずいぶん世話になった。
本当に今までありがとうございました。
しかし、家を引き払う日までは多忙を極めてた。
朝から晩まであちこちに電話をして、あっという間に深夜0時を回っていた。
睡眠時間も3、4時間で眠りも浅い。
疲労が溜まるが倒れてる暇もない。
それでも夜にはヒロと温泉に行くようにはしていた。
露天風呂に入っていると全てが流される。
気持ち良くて気持ちよくて、毎回ヒロと1時間以上しゃべっていた。
その時間がないと本当に倒れてただろう。
まさに癒しの時間。
どんなに忙しくても、作る必要があると思った。
少しづつ部屋が片付いてくると自分の友人にも連絡を取れる気持ちになった。
それまで楽しい話題でもないので、なんとなく連絡しずらく引き伸ばしてた部分もあった。
けど、人づてに俺の親の死が伝わった時、とても残念そうにしていた友人がいたので、自分の口から伝えるのはやはり大事だなと思い連絡するようにした。
みんなとっても心配してくれ、「力になれずにごめん」と言ってくれた。
決してそんなことはない。
みんなの心配してくれる気持ちはいつも俺の心を支えてくれている。
ありがとう、本当に。
東京で良く集まる古くからの仲間はヒロに「いいなーお前は側に行けて、俺の分までよろしく頼む」と言ってくれた。
ヒロも「いいだろー」と笑ってた。
そんな気持ちに涙が出そうだ。
函館でやることが落ち着いてきた日の夜、久しぶりに友人の夫妻の家に行った。
その夫妻は一周り以上も違う詩吟舞踊の仲間だ。
ヒロと2人でお邪魔したが、夫妻はとっても自然体だった。
以前一緒に遊んだ時のビデオを観て、腹の底から皆で大笑いした。
久しぶりに心底大笑いしてたら、自分がなんの為に函館に帰ってきてたのか忘れていた。
時間も忘れ、気付いたら夜中3時だった。
そうかー、笑えばいいんだ。
思いっきり笑えば嫌な事みんな吹き飛ぶんだ。
そうだよなー、なんか今までもずっとそうだったよなー。
仲間といつまでも笑ってる内に、そんなことを思い出した。
何も難しい事なんかない。
また一緒に遊んで大笑いする。
それが仲間だね。
夜中まで本当にありがとうございました。
お陰でとても大切なことを思い出しました。
エピローグ・5(2003年9月12日~20日) You are not alone.
家を引き払う前の日、挨拶回りも一段落したのでお世話になった訪問看護ステーションの所長に会いに行った。
お礼と一緒に、母が「使わなかったポータブルトイレは死んだらステーションに寄贈したい」と遺言を残していたので、ついでに持って行った。
会うのは数日前、看護学生時代の俺の恩師と一緒に家に来てくれた時以来だ。
その時は家で色々話したが俺が忙しいため、先生と所長を母の墓にご案内できなかったが、2人は一時間以上探して母の眠る墓に御花をお供えしてくれたのだ。
本当にありがたい。
久しぶりにステーションで所長に会ってゆっくり話をした。
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