(思想の話6)10時に帰れ、進捗は30分おき、20%ルールで金曜日は業務なし!

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「ジェフ、いつかわかる日が来ると思うが、賢くなるよりもやさしくなるほうがはるかに難しいことなのだよ」

引用(http://logmi.jp/6726


部下のおかげでマネジャーの第一歩を踏み出す


確か年末年始だったと思うのだが、半年差で新卒入社していたメンバーの1人を追い詰めるという失態をしてしまった。人間とは不思議なもので、大嫌いだったSさんのマネジメントを自分のメンバーに向けてやっていたのだ。

具体的には、

「(どうでもいい)タスクの詳細な進捗管理をされ、遅れについて全て詰められる(スケジュール要件が間違ってるんだって)」

これだ。

まさにこれを毎日のように繰り返し、その人対して(時間差があるので当たり前なのだが)スキルが低いことをなじっていた。で、そのちょっと前に僕が会社を辞めようとしたように、その人もうつ状態になってしまった。


S社では当時、毎週役員+マネジャー+リーダーでMTGを開いており、事業の定量/定性の進捗を細かく報告していた。当時の定性報告ではその人が元気ないという点が毎度指摘され、ある日マネジャーに「来週までにあいつ元気にならなかったら俺が見るから」と言われた。それは困ると思い、色々と考えた結果取った行動は、「褒め殺し大作戦」だった。とにかく褒める。「あの作業終わったの?やるじゃん!」「マジ!?いけてんじゃん!」「わっしょい!」的なノリでとにかく細かい点から褒めまくって見た。




なんと元気になった。褒めるだけで元気になるのかよ、と相当驚いたのだが、その人はその後著しく成長角度を向上させ、チームを支えるメンバーに成長してくれた。そして、僕と同じようにアホなマネジメントをするという失態を繰り返してくれた。歴史は繰り返すのだ。


なんにせよ、大きな勉強をさせて頂いた。


業務がつまらなかったので圧縮することにした


どのタイミングからだったのかは忘れたが、ある時から仕事がつまらないと強く感じるようになった。「ディレクターは事業部の花型だから」と言われていたが、実態としては明らかに資料作成係だったのだ。協働でクライアントにコミットしてもインセンティブが出るのは営業メンバーだけ。会社で最も労働時が長いのに、お前たちは粛々とやってろよ、みたいな印象を受けてムカついていた。日々の業務を「雑務だから」と言って怒られ始めたのもこの頃からだったと思う。ちなみに辞めるまで言い続けた。


で、つまらなかったので辞めることにした。長時間労働を、だ。雑務に時間を取られている場合ではなくて、もっとクリエイティブな仕事をしなくてはならないのだ。業務効率化については日報で詳細に時間管理を行なっていた自分の習慣を取り入れ、エクセルで30分おきにタスクを埋める作業をメンバー全員で行なってみた。これが見事に予実が合わない。過程は忘れたが、みんなで試行錯誤した結果、最終的には「前日夜までに30分単位でタスクを入力し、朝のMTGで確認し、夜のMTGで全員の予実確認とFBを行う」というフローに落ち着いていたと思う。メンバー全員で時間管理を行うことにより、精度高くスケジュールを組めるようになった点は非常に大きな成果だったと思う。出来ないタスクは事前に洗い出され、他のメンバーが手伝う流れも自然に出来ていた。


多分、同時に「22時帰りの徹底」という目標を掲げていた。「22時超えた分のタスクは俺がやっておくから」と言ってみた。21:50にO君が来て、「菅野さん、あと20分だけいいっすか?」「帰れデブ」といったやりとりをしながら22時帰りを徹底させていった。もちろん、リーダーの権限を使って残タスクの大半は期限を遅らせていた。上司の「俺やっとくから」は本当に嘘だ。


何ヶ月かかったかは忘れたが、22時帰りの徹底と30分おきの高精度スケジュール管理は自走するようになっていった。この時点で業務時間を30%位は圧縮したと思っている。また、仲が悪くならない程度にメンバー同士でFBしあう習慣を身につけたら、結構いいテンションの牽制が効いて楽しかった。先輩でも油断すると詰められる、みたいな。みんな、素直でコミット感にあふれるメンバーだった証拠だ。その後は定性の評価シートを毎日全員でFBしあったりして、定性評価の向上も達成したりしていた。


しかし、人並みの労働時間で通常業務を終わらせてもつまらなかった。つまらなかったので、更にGoogleの20%を適用すると決めた。具体的には「月-木で通常業務は終わりで、金曜日は自由にプロジェクトを行う日」としてみたのだ。これはさすがに厳しかったみたいで、3ヶ月くらいかけてやっと最後の1-2回全員で実現できただけだった(その後僕の退職に伴い全ては崩壊したと思う)。しかし、通算50%くらいの業務効率化に取り組み、メンバー全員で協力して達成できたことは、思い返すとマネジャーとしての一番の成果だったかもしれない。


ものすごい手作り感のあるチームだったし雑だったけれど、とても楽しかった。


楽しかったが、仕事はつまらなかった。

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