ど田舎にできた高校アメフト部がたった2年で関西大会に出た話(19苦労した経験こそが生きる力になる)

著者: 岩崎 吉男

19苦労した経験こそが生きる力になる

 

8月になり、僕たち3年生は練習に戻った。

もう、怠けて練習を休む者はいなかったが、関西大会出場、この目標を掲げての練習は言葉ではいい表せないほど厳しかった。

 なにしろ、日本体育大学と同じことを高校生にやらせるのだから僕らはたまったものじゃない。少しでも、気を抜いた練習をしていると、必ず最後に100ヤードダッシュが待っていた。

これが、恐ろしい。いつ終わるか分からないからだ。事前にダッシュの本数をいうと、その本数に応じて体力を温存する。

 だから、本数はいわない。U先生が、体力の限界だと判断するまではダッシュが延々と続く。

 

ある夏の日の練習で事件が起こった。

その日、空には雲ひとつなく、大きな太陽が地面を睨みつけるように容赦なく照りつけていた。おまけに、風もない。

U先生は練習に遅れてくることがよくあった。そのときには、いつも僕らは自分たちだけで練習を始めていた。

グランドに集まって練習時間がきても、U先生の姿が見えないと、僕らは内心喜んでいた。なんだか得をしたような気分になる。

いろいろと厳しい注文を付けられずに、自分たちだけでのびのびと練習ができるからだ。もっと正確にいえば、自分に甘く、多少手を抜いて練習をしていても誰も何もいわないからだ。

U先生は、セリカのリフトバックに乗っていた。オレンジ色をしたクーペタイプのスポーツカーで教師にはおよそ似合わない車だ。練習にはいつもこのセリカに乗って学校にやってきて、体育館前の駐車場に留めていた。

先生が練習に遅れてきたときに、先に練習を始めている僕らは、体育館に通じる砂利の坂道からザザッとタイヤが砂利を蹴散らす派手な音が聞こえてくると憂鬱になった。

もう来たか。

僕らはあきらめるのだ。

自分たちが、指導を頼んでおいて、先生が来ないことを願うとは何とも矛盾した話だが、これが人間の勝手というか、弱さである。

 

その日も、U先生は遅れてやってきて、何もいわずにしばらく練習を見ていた。

が、そのうちにプイッとその場を離れてしまった。隣で練習をしているソフトボール部のところへ行って、ノックをしだしたのだ。

僕はいやな予感がした。

先生は、それからはしばらくソフトボール部の指導をしていた。

そして、練習のメニューがほぼ終わりかけた頃、それまでぶすっとして黙っていたU先生がもどってきて突然、怒鳴り出した。

僕は、まずい、と思った。

「今日の練習はなんや。これぐらいの暑さでばてとって試合に勝てると思うとるんか」

「ダッシュや。ダッシュ」

U先生は不機嫌そうにそういうと、後は一言もいわない。

その後は、いつ終わるか分からない100ヤードダッシュが延々と続く。全員が一度に100ヤードを全力で走る。一瞬の休憩があるだけで、また走る。

夏の日中の練習は禁止されている学校もあったが、三木にはそんな制限はなかった。

一番暑い日中の2時ごろに練習をしている。気温は35度を超える。ホースで水をまいても瞬く間に水蒸気と化し、グランドを裸足で歩くと、足の裏を火傷して水脹れができるほど地面は熱い。その地面から熱気が体中に押し寄せてくる。

ばてるという理由で水を飲むことも厳禁だ。おまけに体には、ショルダーパッド、ヒップパッド、サイパッド、ニーパッドの防具を付け、頭にはヘルメットをかぶる。これで約5キロはある。

それに加えて、長袖のジャージ。

 これだけの装備をすると新人のころは、練習中にだんだんと頭が下がってくる。首がヘルメットの重さに耐え切れないからだ。

 そのうえヘルメットがなんとも臭い。真夏に、それも気温が35度はある日中に、ヘルメットをかぶるものだから、中は、蒸し風呂状態で汗だらだら。もちろん洗濯はできないので、これを繰り返すとかなり匂う。

おまけにヘルメットもジャージも汗でぬるぬるとしている。

フットボールの練習は、試合で見る華麗さからは想像できないほど泥臭い。

 こんな状態で練習をするものだから、少し怠けたろかと思ってもおかしくはない。

だが、U先生は決してそれを許さなかった。自分が納得するまで延々とダッシュが続けられる。100ヤードを走り終わるたびに

「オー、オッ、オッ、オッ、」

と全員で声を出す。

本数が増えるごとにその声がだんだんと小さくなってくる。

「声を出さんかい。終わらへんど」

僕は、みんなに怒鳴っていた。

「オー、オッ、オッ、オッ、」

僕らは、力をふりしぼって声を出していたが、限界が近づいていた。

そしてついに、7往復目のダッシュの途中でとんぼが倒れた。

とんぼは、まるで飛行機が胴体着陸をするように地面に落ちた。

それを見たU先生はゆっくりと、とんぼのところに近づいた。

「どないしたんや」

U先生はとんぼの顔を覗き込んだ。

「先生、もう足が動かへん」

かろうじて頭を上げたとんぼが蚊の鳴くような声でいった。

それを聞いたU先生は、

「そうか。足が動かへんのか。休んでもええで」

「でも、お前が休んだ後また走り出して、わしがええというまでみんなは走り続けなあかんな」

「おまえ一人だけ、ゆっくり休んでもええで」

妙にやさしくいった。

すると、それを聞いたとんぼは、観念したのか何とか体を起こした。そしてまたヨロヨロと走り出した。その後、3本走って

「よっしゃ、今日はもうええわ」

というU先生の声とともに恐怖のダッシュは終了した。

全員その場に倒れ込むと同時に、本当に死なないでよかったとほっとした。

 

その日は、練習の最後にU先生が僕らを集めていった。

「しんどい練習は、何のためにしとるんや。誰かいうてみい」

「体力をつけるためやと思うけど」

関取が得意そうに答えた。

「違う」

「根性をつけるためや」

続けて、Yが答えた。

「ちょっとおおとる」

「お前らは、これから試合もあるけど、社会にでたらいろんなことがある。そのときにこれが役にたつんや」

僕らは、なんのことかよう分からんという顔で聞いている。

U先生は続けた。

「社会にでたら、しんどいことがいっぱいある。体がしんどいのとちゃうで。いろんな問題が起きて、精神的にしんどいんや」

「人間は精神的にしんどい方がこたえる。そんなときに、おもいっきりしんどいことを経験したやつは、強い」

「あのときあれだけしんどい練習ができたんやから、今のしんどさは大したことはない。きっと乗り越えられる。そう思えるからや」

「ところがや。若いときにしんどいことを経験してないやつは、あかん。誰でも経験せんことは怖い」

「死んだことがないから死ぬのが怖いんと一緒や」

「経験してないことは恐怖なんや。そやから、どうなるんやろと不安で一杯になり、最後にはつぶれる」

「ええか。つぶれてしまうんや」

「もういっぺんいうけど、社会に出る前に死ぬほど苦労してないやつは、弱い」

「分かったか。将来きっと役に立つんや。そう思うてしんどい練習をせい」

それを聞いた僕らは、なんだか分かったようで、分からんようで。それでも、結局しんどい練習がこれからも続くということだけは、はっきりと分かった。

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