私が見る夢はまるで漫談のよう

著者: 吉田 けい
 先日見た夢は街全体が呪われ、友人含む有象無象が次々と行方不明・発狂するも、呪いの主は一向に姿を見せないという、まるでサイケデリックホラーだった。
 彼らは死んだわけではないから、私たちは犠牲者がどこかで生きているかも、もしかしたら正気に戻るかも、という淡い期待を捨てきれず、二度と同じ景色にはならぬ道、某叛逆映画のように目的地に着かないバス、自宅さえも見知らぬ古い家具が置かれどこからか啜り泣きが聞こえる中、友人の行方と解決策と脱出方法を求めて彷徨い、疲弊して行く。
 そんな時もまた一人、一人と人数が減る。電車が動いていると聞いて互いにはげましあいながら駅までいくも、ホームまでの階段が断崖絶壁と化し、到達は不可能。
 家に帰れば様相は更に悪化、一部屋を除いて全て火事現場から拾ってきたような薄汚れた家具で埋め尽くされ、耳にまとわりつくような啜り泣き。
 このまま私も気が狂うのか。
 ふと、友人の一人が、新しく出来た道が外に出られるかもしれないといい、半信半疑で薄暗い森の獣道へと向かう。
 本当にここしかないのか。
 どこに行っても一緒だ、ならば停滞より前進を選ぼう。
 進み始めた道は、深い森の奥に閉じ込められるという予想に反し明るく開けて行く。
 道は階段になり、梯子になり、なんだかアスレチックのようになっていく。
 前を行く三人は、初めこそ恐怖に震えていたものの、今やげらげら笑い転げながら進んでいる。
 はやくおいでよ、楽しいよ。
 呼びかけに応じたい反面、アスレチックは地上20mほどにもなり、薄氷の上を歩くような不安は未だついてまわっている。
 あんなに笑って、本当にもう怖くないのか? 
 彼らは騙されているのではないか。
 ・・・それとも彼らは狂ってしまったのか。

 だとしたらいつからだ? あの梯子を登った時? いや、新しい道があると言い出した時、駅にいこうと言い出した時 ・・・いつからだ? 進むべきなのか、この先に脱出口は本当にあるのか、狂っていないのは誰なんだ、私はそもそも狂っていないのか。
 縋るような思いで梯子を掴む己の手を睨むと、それが上げ下げ窓のようにスライドして動くのに気がついた。スライド枠を目線で追い、上を見上げると、ちょうど窓の真ん中あたりに半円形のくぼみ。梯子の隙間を押し広げてくぐろうと頭を突っ込んだら、丁度首を押さえつけられるような位置に。

 断頭台だ!
 そう閃いた瞬間私は絶叫し、己の理性が死んで行く声を聞き、隣の夫が寝てたと思いきや突然叫んだ妻に死ぬほどびっくりして私を叩き起こし、それでようやく全て夢であり家は啜り泣きなどない快適な我が家であることを思い当たった。

 眠りに落ちればまたあの断頭台に引き戻されそうで、しばらく目を閉じることが出来なかった。

 しかし一番怖ろしいのは、夢の中で友人だと思っていた人たちは、現実世界では誰一人として知人ですらなく、あんなに何度も呼んでいた名前も一つも思い出せないことである。彼らにとってもあれが夢であったことを願う。

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