自分が伝えたいことのために必要な言葉を選べるということ。

特別じゃない人生の中で、見つけた大切なこと。


テレビに出てくるスポーツ界のスター、芸能人、著名実業家。これらの人達の人生は一般人からするとほんとびっくりな人生を歩んでいる。僕を含め、多くの人はそうじゃない。


それらの人達を否定するわけではないが、経験に色物的側面があるからこそメディアが興奮し、

著名であればあるほどメディアはその経験をクローズアップし、世の中に拡散し、世間はその経験に賞賛と同調、あるいは共感を得ることで自分も特別な経験を共有したと錯覚させられることがある。


僕を含め、多くの人がそんな特別な経験を持ってるわけではないし、みんな世の中でひっそりと当人にしか分からないすごく大事な経験をしているものだと思う。



僕にとって何気なくしてきたことが

今後の人生を決める大きな鍵になりそうだと言うこと。


周囲の友達や先輩が社会に出ている今だからこそ、自身が感じる社会との向き合い方を伝えようと思う。


小学校時代、授業が終わると校庭に出て、サッカーをするか近くの公園で日が暮れるまで友達と遊んだ。とにかく街中が僕らの遊び場だった。

高学年になると、塾に行くことになり次第に遊ぶ時間が減っていった。


そんな中で、増えていった時間は読書。もちろんはじめはくだらない本をいっぱい読んでいた。たまに背伸びをしたくなり、母の本棚から読めそうな本を探す。


・・・・・・・・あっ。これ読めそう。


手に取ったのは「吉本ばなな」であった。


選んだ理由は名前である。そのままページをめくるがなんか簡単なようで簡単でない。

その当時は自分がなぜ理解できないかも分からないまま、とにかく大人の本を読み切るという上辺の優越感を勝ち取るためにページをめくり続けた。


中学に入って、部活が忙しくなっても読書の習慣だけはなくならなかった。


というのも、本だけはどれだけ買っても、レシートを渡せば母親があとでお金をくれたからだ。

そのうち悪知恵を働かして、古い本屋のレシートは漫画も文庫本もレシートの表記は「書籍」になることを発見し、大量に漫画を買ったりもするのだが、、、、、、、


この頃になると本も小説だけでなく、ライトなものから古典、近代も手に取ってみるようになった。

今思い出すと異常な少年のような気もするが、当時は本当に友達と遊びまくってたし、女の子と初デートでめちゃくちゃ緊張してしどろもどろ、、、みたいな普通の青春を過ごしてる風にしか感じてなかった。


高校はだらだら長いので、割愛。。。。。


大学は、かっこいいイメージという一択でずっと志望していた建築学科に進む。

入るまではおしゃれな家建てて、なんかスーツじゃなくてタートルネックにジャケットみたいなダンディズムを感じさせる硬派なのか軟派か分からない中性的な建築家像を抱いていた。


それから大学で設計課題や講演会、また建築家の事務所にアルバイトにいったり色々なことをした。

そこでわかったのは建築家は世の中のことをすごい考えてて、どちらかというと社会学者に近いポジションにいること、そして各人の社会に大しての批評性を表現するメディアの一つとして建築があること。

どの建築家にあっても莫大な知識の裏付けとした批評性をしっかり持っている。その人たちがしゃべる言葉の一つ一つに意図を感じ、自身の表現のために最適な言葉を選んできてるような気がした。


僕は20歳になるかならないかという頃、自分の中での大人の定義をぼんやりと構築した。


・自分が伝えたいことのために必要な言葉を適切に選べること。

・何かをいい方向に変えようとするエネルギーを持っていること。(社会でも街でも、ほんとに身近なことでもいいけど、とにかくただ漠然と毎日を過ごすような生き方をしないこと)



成人式で「もう大人だねー。」とかなんとか言われたが、やっと大人とは何たるかを自身の頭で考えた矢先だったので、ひどく違和感を感じていた。


現代では、様々な量と質の情報が飛び交っている。それはtwitterのような即時性の強い媒体から新聞、テレビ、ラジオ、数えだすとキリがない。

そんな中で正しい情報はどれくらいあるのだろうか?


またその正しさとはなんなのだろうか。。。。


思い返せば、幼い頃からの読書といった何の変哲もない行為のおかげでそこにかける判断量は人より多いと自負できる気がする。(無論、まだ若干22歳でたいした知識量があるわけではないが、)


幼い頃、絵本の少年の気持ちに同調すること、なぜそこでそんなに悲しくなるのか、、、


本という目の前にある、通り過ぎていくことのない情報と対峙することで

僕は色々な好奇心を養ってくと同時に、様々な価値判断を自然と行っていた。


確かに本というのは、情報の即時性の観点からすればもっとも遅い大衆的なメデイアだと思う。

だからこそ僕の中での信頼度は大きい。

情報、感情を伝えるものとして、社会に発するものとしてある単体(作者なり)が時間をかけたことの証拠としての蓄積された執筆期間こそが受け取る側に少なからずの安心感を与える。


これからの時代、もっと便利に、もっと豊かになるだろう。

それと同時に、もっと危険でもっと無秩序になるに違いない。


そんな時、どうするか。


今は分からない。


しかし、僕は読書を通じて得る価値判断力が自分の武器になると信じている。























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